第9話 決意
その時、これしかないという防御の手段を思いつく。
「ジャック! 後ろに下がって!」
ほんの一瞬の判断だった。
握っていた神代の右手を引いて後ろに下がらせて自分が前に出る。
そうすることで化け猿と彼女の間に割って入り、できるだけ致命傷にならない部分、右肩のあたりで化け猿の攻撃を受ける。
「ぐはぁっ!」
今まで出したことのない叫び声をあげた。歯をきつく食いしばってなんとか耐える。
化け猿が鋭い牙で噛みついている。服をあっさり貫通して肩の肉をえぐっている。
激痛と共に大量の血が流れていく。上着の右肩部分には赤黒いシミがどんどん広がっていくのがわかった。
化け猿と目が合う。
そいつは血走った目つきでにらんでくる。恐ろしい目つきだが、絶対に視線を外してはいけない。一度視線を外したら最後、こいつは僕を格下だと思ってなめてかかる。
「ぐ、ぐ……か、影の盾!」
黒く大きな盾を化け猿に向かわせる。
ここは大きな衝撃を与えて引き離すしかない。
「悪喰! い、今すぐキサラギを助けなさい!」
しかし、僕たちの攻撃はどちらも
化け猿が危険を察知して距離をとったのだ。しばらくこちらをにらみつけていたが、僕も歯をむき出しにして獣のように威嚇してやった。
そのおかげなのか、化け猿はうなり声をあげながら森に隠れた。
「やった……。なんとか……追い払ったよ……」
苦しまぎれに笑ってみたが、右肩の痛みがどんどん増していき、苦笑しかできなかった。
気を抜けば今にも倒れてしまいそうだ。けれど、隣と後ろにいる人のためにも立ち続ける。
「キサラギ! 大丈夫!? 私が誰かわかる!? 自分が誰かわかる!?」
神代は気が動転しているのか、記憶喪失者と勘違いしているのか、変なことを聞く。
「……君はジャック。僕はキサラギ。忘れるわけない。僕たちは共犯者なんだから。ぐっ!」
無理に笑おうとしたけれど、あまりの激痛で顔がゆがむ。
「ごめん、キサラギ。私のせいだ……。私のせいでこんなに傷ついて……」
神代の顔は僕以上にゆがんでいた。
目には涙がたまり、ひどく悲しそうな顔をしている。
「ジャックのせいじゃない……。僕は……僕にできることを……やったんだよ……」
僕と神代と騙り部。
三人の中で化物を倒せる術を持っているのは、神代と騙り部の二人だけ。
神代の悪喰は、実際に化物を倒すところを見ているからその強さを知っている。
騙り部の力は見たことがないけれど、有名な伝説があるくらいだから強いのだろう。
そして僕の影の盾は、守ることはできても攻めることには向いていない。突き飛ばすか、抑え込むことはできるが、それでは致命傷にならないだろう。
ただの野生の猿ならいざしらず、相手は化物に姿を変えてしまっているのだから。
それなら僕の体が傷ついたとしても彼女たちの盾になり、被害を最小限に抑える方がいい。それに、あの状況ではああするしかなかった。
誰かが傷つくのは見たくない。誰かが死ぬのはもう嫌だから。誰かが突然いなくなるのは辛いから。
「それより……化け猿を……探そう……。またすぐに奴が……痛っ……」
肩が痛む。顔や背中から嫌な汗が流れる。
呼吸が辛い。次第に寒気までしてくる。
立っているのがやっとの状態だ。
まずい。このままでは化け猿を倒すより先に僕が倒れてしまいそうだ。
あれから何分経っただろう。
騙り部は相変わらずなにやらつぶやいているけれど、まだ能力を使う準備ができないのだろうか。
「そんな……」
「え……?」
「そんな自分を犠牲にするようなことしないでよ」
「ジャック……?」
「そんな悲しいこと言わないでよ」
神代はひどく辛そうな表情をしている。
そこでようやく気がついた。彼女も僕と同じなのだと。
考えてみれば当たり前だ。
誰かが傷ついたり死んだりするところを見たい人なんているわけがない。
そんなものを見たがる奴がいたら、そいつは人の痛みがわからない人でなしだ。
視界の端に化け猿の姿をとらえた。
「影の盾!」
化け猿が不意を突いて攻撃してきたのだ。
今度は間に合った。盾を叩かれたことで大きな金属音が響く。
だが奴は盾にしがみついたまま破壊しようと何度も叩き続ける。なんとか振り落とそうと空中で左右に振ったり回転させたりするが、なかなか離れない。
そこにゆらりと音もなく飛んできたのは黒い球体、悪喰だった。
目を真っ赤に光らせて食らいつくが、すんでのところで避けられてしまう。そのうち悪喰の可動範囲の外まで逃げられてしまい、その先を探すことはできなくなってしまった。
荒い息が口から出ていくばかりだ。全身が熱くて汗が流れているのに、ガタガタと震えが止まらないほど寒い。
「キサラギイィィィィィィィジャアァァァァッッッッッッッッッッッッック!!」
突如、神代が叫んだ。
腹の底からしぼり出した声に心の底にたまっていた感情をすべて詰め込んだような
「あなたの手を悪に染めたのは私なのに守られてばっかりだね……。もう誰かが傷つくのを見たくないと思っていたのに……。このままじゃ退治屋失格だよね……。ごめんね……」
驚きのあまり反応することができなかった。
「もう誰かが傷つくところは見たくない。死ぬところなんてもっと見たくない。ねぇキサラギ。私の手を握ってくれる? こんな私の手を離さないでいてくれる? こんな私と共犯者でいてくれる?」
尋ねてきた神代は、とても不安そうな表情をしている。
彼女のそんな顔を見たくない。けれどそんな顔をさせたのは僕だ。
自分を大切にしない、自分を犠牲にするような戦い方をしてしまった僕のせいだ。
自分が傷つくだけで済むなんて思い上がりだ。
悪に手を染めたばかりで、化物のことも、退治屋の仕事のことも、まだ知らないことばかりの素人なのに。
この戦いが無事に終わることができたら謝ろう。けれど今は、そんなことよりも言うべきことがある。
「もちろん。ずっとジャックの手を握るよ。だって僕らは二人でキサラギジャックだからね」
神代朝日の表情が晴れやかなものに変わる。僕の冷えた体も温かさを取り戻していく。
「悪喰!」
「影の盾!」
僕らは同時に技名を告げる。
恥ずかしさなんて感じない。これは誰かを守るための力だから。
化け猿はどこにいるのかわからない。草木の茂みを見まわせば至るところで音がしている。
おそらくわざと草木をかきわけて移動して居場所をつかませないようにしているのだろう。
決して猿知恵と侮ってはいけない。あいつは化物だ。
集中を欠いたら今度は首筋に牙を突き立てられるだろう。
僕たちは守るだけでいい。無理に攻める必要はない。
ただ待つだけでいい。騙り部の能力が発動するその時が来るのを。
「キサラギ! 上を見て!」
しかし、あちらはそれを許してくれない。
こちらの行動の意図に気づいたのか、石や木の枝を放り投げて空から降り注がせる。
ある程度は手で払うか、少し動くだけで避けられる。中には大きな石や尖った枝も混じっているから盾で防がなければいけないものもある。すぐに盾を頭上に動かして水平に置いてみんなを守る。
僕らが遠くに逃げたら騙り部が無防備になって攻撃される。また、盾で防がなければ致命傷になることを知っているのだ。おそらく混乱したところを攻めようと狙っているのだろう。
やはりただの猿となめてはいけない。それなら、こちらも気合を入れて臨もう。
「キィーーサァーーラァーーギィーージャアーーッック!!」
僕は山に響き渡らせるくらいの大きな声で叫ぶ。ふらついていた足をしっかり地に着ける。
「ガアァァルルウゥゥ!!」
化け猿が僕らの死角から飛び出してきた。
今すぐ盾を動かして防ぎたくてもそれはできない。
空から降る大きな石を受け止めなければ騙り部に直撃してしまう。
おそらく石の落下時間も計算したうえで攻撃をしかけたのだろう。やはりただの猿とは思えないほど知能が発達している。
だが急に走ることをやめてしまう。最初は悪喰が行く手を阻んだからだと思った。
しかし、それは違うとすぐに気がつく。
なぜなら、後ろにいたはずの騙り部がいつの間にかいなくなっていたからだ。
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