第6話 初仕事
「一年の真木野和輝です。屋号は如月。特号はキサラギジャックです。よろしくお願いします」
僕が自己紹介を終えると騙り部から手を差し出される。
握手を求められているのはわかる。
しかし、神代以外の人と手をつないでしまっていいのだろうか。
「ふふふ。大丈夫。特定の条件でないと悪手にはならないよ」
騙り部は僕の悩みを瞬時に見抜いて指摘する。
「如月って鏡が出土した家だよね。鏡の輝きを月に例えるなんて風流なご先祖様だね」
騙り部は手で口元を隠しながら小さく笑う。
だが、なぜそれを知っているのだろう。
その口ぶりからすると、名無しさんから聞いた風ではない。
「どうして君の家のことを知っているのか。気になる?」
また考えていたことを瞬時に言い当てられた。まるで心を読んでいるかのように鋭い。
「騙り部は口頭伝承を基本としていて、古今東西で起こったことを記憶している。特に地元である秋葉市内のことはしっかり覚えているんだよ。あ、私は心を読めないから安心してね?」
先ほど神代が騙り部について言っていたことを思い出す。
天才――。嘘しか言わない騙り部も、その天才性に嘘偽りはなかった。
「僕、秋葉市の昔話に出てくる騙り部の話が大好きなんです。だから実在の人物と知った時は驚きました。お会いできてうれしいです。でも、すみません。男の人と勘違いしてました……」
先ほどの件と神代の初恋の相手と聞いていたから生まれた勘違いである。
「ふふふ。たしかに私は背が高いけれど、女だよ。その証拠に……ほらほら。触ってみて?」
騙り部は豊かな双丘を近づけてきた。
僕がなにも言えず顔をそらして後ろに下がると、彼女は笑みを浮かべながらさらに近づいてくる。
「ちょっと騙り部! いい加減にして! 私のキサラギに変なことしないで!」
小柄で細身で胸は控えめだが、頼りになる共犯者が割って入ってくれた。
「やだなぁ。あいさつをしているだけだよ。君の彼氏を取る気はないから安心してね」
「か、彼氏じゃないから! キサラギは同級生で私の共犯者だから! か、勘違いしないで!」
「ふふふ。朝日ちゃんはかわいいなぁ。本当にかわいいなぁ。食べちゃいたいなぁ」
顔には上品そうな笑みを浮かべているが、口から下品な本音がもれまくっている。
変態と言っていた理由もすぐにわかった。たしかにこの人は、まごうことなき変態である。
神代は身の危険を感じたのか、僕の後ろに隠れて怒鳴り声をあげる。
「変態! アホ! マヌケ! バカ! バカタリベ!」
まるで小学生のような怒り方だ。
しかし、それだけのことをされたのだから怒るのも当然だ。
「ごめんね朝日ちゃん。君があまりにも可愛かったからつい……でも、大きくなったね」
「どこ見て言ってんの! バカタリベ!」
「ひどいなぁ。私の初恋の相手は朝日ちゃんで、朝日ちゃんの初恋の相手は私なのになぁ」
「ち、違うから! は、初恋じゃないから! ちょっとドキッとしただけだから!」
名無しさんは二人の関係を幼なじみと言っていたけれど、過去の二人の間になにがあったのだろう。べつに同性に惹かれたり恋したりすることはおかしなことではないと思うけれど。
「ま、真木野! か、勘違いしないでよ! わ、私は男の子が好きだからね!」
僕の考えていることを察した神代が背中越しに言ってくる。
狼狽する彼女を見た騙り部は笑う。
「昔の私は髪が短くて口調も格好も男の子みたいだったからね。勘違いするのも無理はないよ。あの頃から朝日ちゃんはかわいかったなぁ。ちなみに私は、女の子も男の子もどっちも好き」
「やめてぇ……。お願いだからもう言わないでぇ……」
神代は、真っ赤になった顔を手で隠してうずくまる。
かわいそうに思った僕は、早く本題を聞いてしまおうと尋ねる。
「あの! 名無しさんに手紙をもらってきたんですが、僕らになにかご用ですか?」
その瞬間、地下書庫の空気が変わったのを肌で感じた。
「その前に聞きたいことがある。邪行、いや今はジャックだね。君の体にできたばかりの傷があった。しばらく仕事はできないと言っていたよね。なのに、どうして傷があるのかなぁ」
背後で小さな悲鳴があがる。僕も騙り部の態度が急変したことに驚いて嫌な汗が流れた。
目の前に立つ騙り部は、会ったときと同じく優しい笑みを浮かべている。
しかしその顔の下には、怒りや悲しみなど様々な感情がうずまいているように見えた。
「どうしたの? 嘘をつかないで正直に答えてくれる?」
「共犯者、新しい。できた。大丈夫。行く、治しに、すぐ。だから、ゆ、許して。お、お願い」
神代が恐怖と緊張のあまりカタコトで話し始めた。
「彼女は悪くないんです。僕を守ってくれたから傷を負ってしまったんです。だから……」
見かねた僕が助け舟を出す。
「嘘はつかなくていいよ。共犯者だからといって彼女をかばう必要はないよ」
舟は一瞬で沈められてしまう。
しかし、どうして……。
「どうしてわかったのかって顔してるね。私は人の嘘を五感で見破ることができる。私は騙り部。嘘しか言わない騙り部だから。騙り部の前で嘘は通用しないのさ」
彼女はそう言って楽しそうに笑ってみせる。
秋葉山の化物退治伝説で有名な騙り部の子孫。その肩書きにも嘘偽りはなさそうだ。
「でも、君は優しいね。嘘にもいろいろ種類があって、大半が汚くて醜くて見苦しいものだ。けれど君の嘘は優しい嘘だね。ジャックを守りたいという気持ちがよく伝わってくるよ。ただ、少し嫉妬しちゃった。どうして彼女の隣にいるのが私じゃないんだろう……って」
それを聞いてドキッとする。
その言葉が嘘なのか本当なのか、僕には判断がつかなかった。
騙り部は、その大きな瞳で真っすぐに僕を見つめる。その澄んだ瞳に思わず見とれてしまう。
だがずっと見ていたら知らない世界に吸い込まれてしまいそうな不安にかられて目をそらす。
そこでようやく思い出した。彼女をいつどこで見たのかを。
「あの、騙り部……古津さんってこの学校の演劇部の人ですよね?」
「あれあれ? たしかに私は演劇部員だけど……どこかで会った?」
少し首をかしげながら古津さんが答える。
「この前の部活動紹介で古津さんの演劇を見ました。すごかったです。もう最高でした!」
私立秋功学園の入学式の後、部活動の紹介が始まった。
しかしタイミングが悪かったと思う。入学式が終わったばかりで緊張や不安から疲れている僕ら新入生は、ステージに立って部活動を紹介する生徒の姿は見えていても、話はまったく耳に入らなかった。
五分間で各部活動が順番に紹介していく。僕は頭の中で早く終わってくれと願った。他の生徒たちもあくびしたり雑談したり誰もまともに聞いていなかった。
最後にステージに立ったのが演劇部の古津詩さんだった。
与えられた時間は同じく五分。しかし、あれは濃くて長い、とても楽しい五分間だった。
彼女は舞台の上にたった一人で立ち、短い時間の中ですばらしい演劇を見せてくれた。
「あの時の
早く帰りたい新入生が悪ふざけで提案したお題だと思った。
しかし古津さんは嫌な顔を見せず、すぐにそのお題をすべて使った物語を考えた。
無人島に漂着した二人の男女が一杯のラーメンをめぐって争いながらも最後には愛し合うというラブコメディだ。彼女は声色や仕草などを変えながら難しい一人二役を見事に演じ切ってみせた。無茶苦茶なようでヤマがあり、しっかりと伏線があり、オチもついていた。
最初はつまらなそうにしていた生徒たちもいつしか食い入るように舞台に立つ彼女を見つめ、笑ったり泣いたりしながら最後には観客全員総立ちで大きな拍手を送っていた。
「二人が一杯のラーメンを鼻水たらしながら食べるシーンは笑い泣きしましたよ」
「そんなにほめられると恥ずかしいなぁ。でも、楽しんでくれてよかった。私は役者としても、騙り部としても、人を楽しませる嘘をつきたいんだ。誰かを傷つける嘘は苦手だから……」
騙り部は悲しげな微笑を見せる。その表情もまた美しいけれど、少し胸が痛くなる気がした。
「騙り部……ごめんなさい……」
隠れていた神代が前に出てしっかりと頭を下げて謝った。
「いいよ。許してあげる。そのかわり私と付き合ってくれるかな?」
直後、再び神代が僕の背後に隠れたかと思うとすぐさま小学生のような罵声を浴びせる。
本当になんなのだろう、騙り部とは。
天才かと思えば変態で、真面目かと思えば不真面目で、わかりやすい性格のようで謎めいている。つかみどころがない不思議な人である。
「ごめんね。話を脱線させてしまうのが私の悪い癖だ。そろそろ話を戻そうかな。君たちキサラギジャックをここに呼んだのは、いっしょに夜の仕事をしてほしいからなんだ」
「よ、夜の仕事っていかがわしい仕事じゃないですよね?」
「もちろん。こんなところで嘘はつかないよ。魔でも日陰者でもないんだけど、大きな化物が一体。私だけでは手に負えない厄介な相手だ。今はなんとか被害を最小限に抑えられているけれど、明日はどうなるかわからない」
いつの間にか明るく余裕のある雰囲気はなくなってしまっている。
それほど深刻な状況で、大きな脅威が秋葉市に迫っているということだろうか。
「わかった。私とキサラギで話し合って仕事を受けるかどうか決めて連絡する。それでいい?」
いつの間にか隣に立っていた神代が話を進めていた。
「ありがとう。今日の放課後までに連絡をくれるかな?」
神代はうなずいて了承する。
騙り部は地下書庫への出入口に向かってゆっくり歩いていく。途中、振り返って言い残したことがあると口を開いた。
「朝日ちゃん。ブラのサイズが合っていないみたいだから今度いっしょに買いに行こうか?」
「変態! アホ! マヌケ! バカ! バカタリベ!」
騙り部は神代の罵倒から逃げるように走り去る。
「ねぇ……。さっきの話、真木野はどう思う?」
怒り続けて疲れ切った顔を見せる神代が聞いてくる。
僕は悩みながら重い口を開いた。
「えっと、ブラはサイズに合ったものを着けないと胸の形が崩れると姉から聞いたことがあるけど」
「変態! そっちの話じゃないから! 騙り部の仕事の件をどう思うかって聞いたの!」
神代は顔を真っ赤にしながら怒る。僕はすぐに頭を下げて謝った。
素人の僕に意見を求めるということは、仕事を受けるべきか悩んでいるのだろう。
敵は一体だけだと言っていた。それでも騙り部一人では手に負えないらしい。
しかし、キサラギジャックが手を組めば三対一という構図になる。
それならなんとか倒せると判断したのだろうか。だが、どうして……。
「断ろうか?」
悩んでいる僕より先に神代が答えを出してしまった。
「今の私たちでは力不足だよ。あなたはまだ悪に手を染めたばかりで力の使い方も化物のことも知らないし、私もしばらく仕事を休んでいたし、二人の連携もまだ上手くできないし……」
まったく同じことを神代も考えていたと知って驚いた。
だが僕はもう一つ考えていることがある。それは……。
「どうして騙り部は、結成したばかりの僕らを仕事仲間として選んだのかな」
騙り部は一般人にも知られるほどの伝説を持っているし、邪行よりも昔から化物退治の仕事をしていると聞いている。そんな血筋を引く人間なら他の退治屋の存在を知っているだろうし、いっしょに仕事をしてくれる経験豊富な知り合いが一人や二人いるのではないか。
神代は騙り部をとりまく複雑な事情を聞かせてくれた。
「騙り部は昔から秋葉市を守っている。私が仕事をできない間もあいつやあいつのお父さんが日陰者を退治してくれていた。並みの化物で騙り部に勝てる奴はいない。だけど誰よりも強くて有名すぎる伝説があると、すごいより怖いって周りに思われちゃうみたい。でも、ちょっと辛いよね。同じ仕事をしている仲間にそんな風に思われるのって……」
なんとなく、わかる気がした。
神代の能力の悪喰。僕は初めて見た時、あまりの強さにすごいというよりも怖いと感じた。悪喰のおかげで命を救われたというのに、だ。
僕は騙り部を怖がる周りの人たちと同じだ。そう考えたら急に胸の奥が痛くなった。
「秋葉山の化物退治伝説でその化物と結婚したって結末があるよね。その話を本当だと信じている人もいるみたい。だから騙り部は化物じゃないかって陰口を言う人もいる。本当かどうかは私には判断がつかないけど、人間でも化物でもあいつはあいつなのに……」
神代の口から涙ぐんだ声がもれる。
「騙り部には悪いけど、この仕事の話は……」
「受けよう」
僕の発言に神代がひどく驚いた顔を見せる。
だがすぐに怒った顔で言ってくる。
「キサラギ。私の話を聞いてた? 化物退治の仕事をするってどういうことかわかってる?」
「わかってる。だから受けようって言ったんだ」
「キサラギ!」
「最初は僕も断ろうと思った。でも、僕らが断ったらどうなる? 誰かが手伝ってくれるの?」
「それは……名無しさんも他の退治屋に仕事を頼んでいるみたいだから……」
「騙り部は明日になったらどうなるかわからないと言ってた。それじゃ間に合わないよ」
「でも、私たちの実力では……まだ……」
「さっき、騙り部には悪いけど、と言ったよね。それって本当は受けたいんじゃないの?」
神代が迷っているのはすぐにわかった。
まだ知り合ったばかりとはいえ、僕は彼女の共犯者。
だったら彼女のやりたいことをいっしょにやってあげたい。
「死ぬかもしれないんだよ?」
真剣な表情と諦めるように言い聞かせる声で告げる神代。
「大丈夫。僕たちは死なない。騙り部も死なない。絶対に死なない。いや、死なせない」
無理に作った笑みと自信があると思わせるような声で告げる僕。
神代はしばらく真剣な表情を崩さなかったが、そのうち観念したように大きなため息をつく。
「キサラギ。私といっしょに街を守ってくれる? 騙り部の助けになりたいの」
ようやく彼女の本当の願いを聞くことができた。僕はすぐに答える。
「もちろんだよ。絶対にこの街を守ろう、ジャック」
こうしてキサラギジャックとしての初めての仕事が決まった。
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