第5話 嘘しか言わない騙り部

 朝に目を覚ましてから最初に確認したのは両手首だ。

 昨日のことはすべて夢だったのではないかと思ったけれど、そこには真っ黒な現実があった。

 顔を洗ってパンと牛乳で簡単な朝食を済ませてから登校の準備をする。白いワイシャツと黒い学ランに袖を通し、襟元に真っ赤なもみじを模した校章バッジを付ける。

「行ってきます……じいちゃん」

 仏壇に手を合わせてから家を出る。

 神棚の鏡には手を合わせなかった。



 学校の玄関で靴を履き替えていると、黒いセーラー服と朱色のスカーフが視界に入る。

 顔を上げてみれば同級生であり共犯者でもある女の子がそこに立っていた。肩まで伸びた髪は今日も毛先が少しはねている。

「おはよう神代。ごめん、遅れた?」

「おはよ真木野。ううん、私が早く来ただけだから」

 それならどうして不機嫌そうな顔をしているのだろう。



 理由を聞いていいものか悩んでいるうちに神代はさっさと歩き始める。僕は遅れてついていく。

 そのうち歩調を合わせて並ぶと中央棟から渡り廊下を使って別の棟へ行く。そして全国でも有数の蔵書数を誇るという私立秋功学園の図書室にやってきた。

「【かた)】って知ってる?」

 図書室の出入口の前で立ち止まった神代が急に質問してくる。

「語り部? 昔話とか民話を語って聞かせる人のこと?」

「字が違う。人を騙すとか名を騙るとか……そういう字を使う騙り部」

 頭の中でその文字を想像してみる。

 すぐに子どもの頃に読んだ昔話を思い出す。

「もしかして秋葉山あきはやまの化物退治伝説で有名な……あの騙り部?」

 今度の問いかけには首を縦に振って肯定する。

 それから図書室の戸を開けることなく、すぐそばにある地下書庫へ続く階段を下りていく。

「ちょっと待って。あれって昔話の登場人物じゃないの?」

「秋葉山の化物退治伝説で有名なだよ」

「……嘘だろ?」

「嘘のような本当の話だよ。騙り部は、うちの先祖が邪行を名乗るずっと前から化物退治をしていたし、今も子孫がこの街を守ってくれてるんだから。この業界では有名人なんだよ?」

 階段を下りきったところにある扉をゆっくり開く。



 地下書庫の中は、うす暗くて先がまったく見えない。それでも僕らは進む。ここで人と会う約束をしているから。

 しかし、まさかその相手が騙り部の血を引く子孫とは思いもしなかった。

 幼い頃、祖父から秋葉市内の昔話を聞かされていた。その中に『嘘しか言わない騙り部』というお話がある。

 騙り部は、いつも嘘や冗談ばかり言って人を楽しませる存在として描かれている。

 ある日、騙り部は秋葉山に人を騙す化物がいるから退治してほしいと権力者から依頼される。騙り部は秋葉山に向かい、その化物と騙し合いの勝負をしたという。そして三日三晩の騙し合いの末、騙り部は化物を負かしたのだ。

「だけど、嘘しか言わない騙り部って矛盾してるよね」

「真木野もそう思った? 嘘しか言わないならその発言自体が嘘ということになるし、じゃあ本当のことも言うなら嘘しか言わないって間違っているし……あれあれ? ってなるよね」

「そうそう。僕も祖父から騙り部のことを聞いた時、その意味を考え続けて頭が痛くなったよ」

「でも、それが騙り部なんだよ。意味があってもなくても嘘をつくし、嘘か本当かわからないことを言って相手を騙してしまう。ただし、誰かを傷つける嘘は言わない。そうじゃない?」

 前を歩く神代がこちらを向いて明るい声で話す。



 うす暗い地下書庫をゆっくり歩きながら奥へ奥へと進んでいくが、探し人は見つからない。

 探し人は伝説の存在であり、神代の初恋の相手でもあるらしい。いったいどんな男だろう。電話やメール、その他いろいろ連絡手段がある現代でわざわざ手紙を使うなんて今時珍しい。

「騙り部ってどんな人?」

「天才……かな」

「天才?」

「うん、天才。あー、でも、ちょっと違うかも。どちらかというと……変態?」

「へ、変態?」

 バカと天才は紙一重と言うけれど、変態はちょっとひどくないか?

「たぶん、あいつのことだから今もどこかに隠れて私たちのことを見て……ひゃわっ!」

「神代!?」

 背後で悲鳴があがる。

 なにかあったのかとすぐ後ろを見るとそこには……。


「ひゃんっ! あっ! やめ! ま、真木野っ! た、す、けて! あんっ!」

 控えめな神代の胸が上下左右にゆれてその存在を激しく主張している。

 その光景に思わず目が釘付けになるが、すぐ冷静になって不審者を取り押さえようと動く。

「おいやめろ! その手を離せ! 変態野郎!」

 神代のセーラー服の下に入れていた手をつかんで引き抜いた。

 ふと違和感を覚える。男の手にしては小さい。

 しかもよく見ると変態野郎も秋功学園のセーラー服を着ている。

「え……女……?」

 地下書庫の暗さにようやく慣れてきた目でもう一度確認する。

 やはりそこにいるのは女子生徒だ。しかも絶世の美女と言っても過言ではないほどきれいな人だ。

 僕の身長は一七三センチほどある。目の前に立つ人は自分と同じくらいか、それよりほんの少し高い。この暗さとその高さのせいで男と勘違いしてしまった。

 だが、この暗さでも彼女の肌は透き通るように色白だ。体型はもちろん、腕や脚も細くしなやかで繊細さを感じさせる。かといって弱々しくはなく、ピンと背筋を伸ばした姿は堂々としている。

 腰まで伸びた長い黒髪は艶やかでさらさらと流れている。整った目鼻立ちと高身長で細身な体型も相まって誰もが見とれる美女である。

 だが同時に怪しさを持ち合わせていてどこか浮世離れした雰囲気の女性だ。

 そういえばこの人、どこかで見たことがあるような……。

「やあやあ、初めまして。私は二年の古津詩ふるつうた。屋号は【騙り部】。特号は【騙り部一門】だよ。私のことは本名じゃなくて気軽に騙り部って呼んでほしいなぁ。これからよろしくね」

 

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