第4話 悪玉
魔、日陰者、名前のない化物。
目に見えるものがすべてではないと祖父からよく言われていた。
しかし、たった半日で目に見えない存在を知ることになるなんて思いもしなかった。
「あんたら報酬をもらいにきたんだろ? それならさっさと証拠を見せな。ただし、嘘はつくんじゃあないよ。あたしの前で嘘をついたら地獄に落とす前にあたしが舌を引っこ抜くよ」
「あの、すみません。ここって……ただの駄菓子屋だったと思うんですが……」
「そういえば昼間に見たことがあるねぇ。じゃあ、この顔に見覚えがあるだろ?」
名無しさんは音もたてずに歩いて暗がりに入る。それからすぐに昔からここで働いている男性店員が出てきた。太いまゆげにぺちゃっと低い鼻という見慣れた顔。だが……。
「いつもご利用くださいましてありがとうございます」
中年男性に似つかわしくない幼女のような声で話す。
僕が声も出せずに驚いていると、男性店員はまた暗がりに戻り、今度は若い女性がやってくる。この人も駄菓子屋で働く店員の一人だ。けれど、やはり本人とは違う声で話している。
まさか駄菓子屋で働いていたすべての人間の正体は……名無しさんだった?
「名無しさんはね、騙すことが得意な化物なんだよ。そしてどんな嘘でもすぐ見破っちゃうの」
「昼は駄菓子屋。夜は化物退治の仕事紹介所。あんたらのような化物退治屋に証拠と引き換えに報酬を渡してやるのもあたしの仕事さ。ほら、わかったらさっさと見せてみな」
「じゃあ真木野。左手を貸してくれる?」
神代が右手を差し出してきたので僕は左手を出して握る。
いくら能力を使うためとはいえ、同級生の女の子と手をつなぐという行為は緊張する。
「悪喰。あなたが食べた悪玉を吐き出しなさい」
突如現れた悪喰は、その名に恥じない大きな口をグワァッと開けると机の上に吐き出した。
机の上に黒い玉が転がる。それは野球の球と同じくらいの大きさで、黒い盾や悪喰よりも濃い黒色をしている。臭いはまったくしない。それなのに、見ているだけで吐き気がしてくる。
「これが魔に刺された人間の悪玉だよ。人間の胸のあたりにあるんだけど、魔が刺すと日が暮れてから影が実体化して日陰者になって暴れだしてもとの人間にも悪影響をおよぼす。気持ち悪くてもよく観察しておいて。この悪玉は私たち邪行の力の源でもあるから」
「でもさ、街を守っているのに悪事なんておかしくない? 神代のご先祖様はどうしてそんな能力にしたんだろう」
「邪行は悪に手を染めることによって影の力が使えるの。でもこれは人間には過ぎた力だし、街を守るためとはいえ、どんな理由があっても化物を殺して命を奪っていいわけじゃない。だからこれは誰がなんと言おうと悪事。だから邪行の人間の悪玉は嫌でも肥大化してしまう。だけどそのせいで……邪行は魔や日陰者に命を狙われやすくて……」
「この悪玉って触っても大丈夫?」
僕は机の上に置かれた悪玉を指さして聞く。神代は疲れた顔でうなずく。
おそるおそる指で触れてみる。感触は程良い硬さをしている。
悪玉とは不思議な物体だ。そんなものが人間の中にあるなんて想像もつかない。
「あたしはねぇ、数千年前から今に至るまでたくさんの人間を見てきたよ。弱い奴や強い奴、優しい奴やおもしろい奴、いろいろさ。だけど邪行の奴らは……みんな短命だったねぇ」
名無しさんが悪玉を受け取って鑑定を始める。
邪行の力は神様に与えられた力と言っていたけれど、力を使うことによる弊害もまた神様に与えられた試練のようだと思った。この土地の神様は理不尽だ、なんて言ったら怒るかな。それとも笑って許してくれるのかな。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
彼女がなんのことで謝っているのか考えたらきりがない。
黒いあざ以外に弊害があることや邪行の力を使う人間が化物に狙われやすいこと、その他いろいろなことで自分を責めているのだろう。
つないだままの彼女の手もかすかに震え、その上に涙の粒が落ちてくる。
怒るべきか許すべきか、それが問題だ。
僕はすぐに一つの答えを出す。
「謝らなくていいよ」
「え?」
「悪に手を染めた時から覚悟はしてた。これから命を失うかもしれない危険なことがたくさん起こるって。でも僕には頼りになる共犯者がいる。だから神代は、もう謝らなくていいよ」
嘘だ。僕は嘘をついている。
本当は覚悟なんてこれっぽっちもできていない。
怖い。死ぬなんて嫌だ。絶対に嫌だ。
今でも日陰者の姿を思い出すだけで足が震えるし、これからどうなるのかという不安で胸がいっぱいだ。
しかし、事件事故の原因が化物のせいだとしたら見過ごせない。
祖父を殺した犯人のような奴をこれ以上増やしたくない。増やしていいわけがない。
「真木野……」
神代は涙をいっぱいためた目で見つめてくる。
「ありがとう。本当にありがとう。あなたを共犯者に選んで本当によかった……うぅ……」
「泣かないでいいって! もう泣かなくていいから!」
「な、泣いていない。これは目にゴミが入ったせいだから……」
神代は赤くなった目を恥ずかしそうに手で隠すが、名無しさんでなくても嘘だと気づく。
「バカップルみたいな会話は外でやりな。夫に先立たれたあたしへのあてつけかい?」
「バ、バカじゃありません!」
落ち着いて神代。
それではバカを否定できてもカップルを否定できていないよ。
「鑑定結果が出たよ。金額はこれでどうだい?」
名無しさんが小さな指を使って電卓を打ち込んで僕と神代に見せる。そこには高校生のアルバイトでは何ヵ月も働かなければ得られない金額が表示されていた。
いやいや、この金額はおかしい。
名無しさんは嘘が得意な化物だから、きっと僕たちを騙そうとしているのだ。
「あたしは金のことで嘘はつかないよ。人間の詐欺師なんかといっしょにしないでおくれ」
名無しさんがこちらの考えを見透かして指摘する。
「これでお願いします。まだ悪玉を刺されて一日か二日程度の日陰者ですからね」
神代が納得した表情で了承の意を伝える。僕には相場がわからないので任せることにした。
「この悪玉はどうするんですか?」
「あたしの今晩の夕飯さ。最近は油で揚げて塩をかけて食べるのにハマってるよ。きゃはは」
悪玉の天ぷらやフライなんて食べたいとはまったく思わない。というかこれは嘘だろう。
本当のことを教えてくれとお願いしても企業秘密と、はぐらかされてしまった。
「安心しな。どうせすぐ新しい悪玉が体内に生まれるよ。人間なんて口では改心したとか反省したとか調子のいいことを言ってもすぐ悪事を犯すんだからねぇ」
「この悪玉の持ち主って大丈夫ですよね? 日陰者の悪行は元の人間にも悪影響を及ぼすって聞きましたけど、まさか日陰者を倒したら元の人間も傷つくなんてことないですよね?」
「安心しな。人間の魂を傷つけたわけじゃないんだ。傷つくことも死ぬこともないよ。だけど元の人間は、これから影がない人生を送ることになるだろうねぇ。きゃはは」
「え、それって大丈夫なんですか?」
名無しさんはニタニタと笑っている。
「名無しさん、嘘つかないでください。大丈夫。日陰者を倒しても悪玉を抜いても元の人間は傷つかないよ。それより一日でも早く日陰者を倒さないと大変なことになるからね」
呆れた表情を見せながら神代が話に加わってきた。
「日陰者は時間が経てば経つほど成長して強くなる。今日のはまだ人の形を保っていたし、力もそこまで強くなかったから倒せた。でも、明日になっていたら倒せたかどうかわからない。見た目も化物らしくなって口から火を吐いたり空を飛んだりすることもあるんだから」
嫌な汗が背中を流れる。
人型とはいえ二メートル近い大きさで、店のシャッターを押しつぶす力がある日陰者。それでもあの程度ならまだマシなんて……笑えない。
「まあ、強い化物や成長した日陰者の悪玉ほど高値で買い取るんだけどねぇ」
「そうなんですか?」
その瞬間、神代が両手を机の上に叩きつけてバーンと大きな音をたてる。
「ダメ! 絶対にダメ! 一日くらい大丈夫なんて考えないで! お願いだからやめて!」
まだ知り合ったばかりとはいえ、こんなに怒る神代を初めて見た。
だが、この仕事を長く続けてきたからこそ、少しの心のゆるみが命の危機を招くと知っているのだろう。
「ごめん。悪に手を染めさせた私がこんなこと言える立場でないのはわかってるんだけど」
「その話はもういいって。それに、僕のことを心配して言ってくれたんでしょ? ありがとう」
神代にこれ以上謝られたら、今度は僕の方が罪悪感でいっぱいになってしまう。
「最近、県外から出稼ぎにきた化物退治屋がいた。あいつは倒せるはずの日陰者を見逃しやがった。翌日、そいつは見逃した日陰者に殺されちまったよ。バカな奴だよ、まったく」
名無しさんは幼女の顔を怒りで歪ませながら言う。
「そういえば、あんたらの
「私の家の屋号【邪行】をそのまま使うつもりですけど、ダメですか?」
「あんた、男にもらったプレゼントを捨てられないタイプかい? あんたが昔の男の思い出を大切にしたいのはわかるけど、新しい男はどう思うだろうねぇ。あたしなら嫌だねぇ」
「わかりました! わかりましたから! そういう言い方……やめてくださいよ……」
神代はひどく辛そうな表情をしてうつむいてしまった。
特号とはなんだろう。屋号は知っているけれど、特号というのは聞いたことがない。
「特号っていうのは、仕事中に使うための特別な名前。コードネームみたいなものだよ」
特号の意味を考えていた僕に神代がわかりやすく教えてくれた。だが、声に元気がない。
「そういえば真木野の家にも屋号があるんだよね。特号の参考にしたいから教えてくれる?」
「いいよ。僕の家の屋号は【
「きさらぎ。キサラギ。如月。うーん、私は聞いたことがないなぁ」
「最近は屋号で呼ぶ人も少なくなったからね。知ってるのは近所の人くらいじゃないかな」
如月。旧暦の二月を意味する単語だが、それとはまったく関係がない。この屋号の由来を知っている人は、おそらく僕の家族や親族くらいではないだろうか。
「へぇ。あんた、如月の子孫だったのかい。懐かしいねぇ。まだ鏡は神棚にあるのかい?」
急に屋号で呼びかけられて言葉につまった。
「名無しさん。うちの屋号を知ってるんですか?」
「知ってるよ。だってあたしはあんたの家の畑から鏡が出てくるところを見たんだから。あいつ、すごくうれしそうだったねぇ。『その輝き月の如し』なんて言って自分の家の屋号にするくらいだものねぇ。でも、たしかにあの鏡は美しかったねぇ。今も鏡を拝んでいるのかい?」
なぜそんなことまで知っているのか、なんて聞くのは愚問だ。この人は化物なのだから。
「鏡は……今も神棚にあります。でも最近は……拝んでいません」
今まで毎日欠かさず神棚の鏡に拝むことが僕の家、如月の習慣だった。しかし両親や姉が家を出て、祖父がこの世を去ってからは一度も拝んでいない。
無意味だと思ったからだ。毎日のように拝んでも願いが叶うわけでも、奇跡が起きるわけでもないのだから。
「如月の鏡は家宝なんだから大切にしな。これからは毎日拝むんだよ」
「はぁ……」
僕は気のない返事をする。
「できた! ねぇ、私たちの特号はこれでどうかな?」
神代は自信満々といった顔で紙に書いた文字を見せてくる。
【如月邪行】
「なんだか……田舎の暴走族みたいな名前だねぇ」
僕が思っていたことを名無しさんが代弁してくれたので笑ってしまった。
「なに笑ってんの。もう、だったら真木野が考えてよ」
神代は不機嫌な顔を一切隠さずにペンを渡してくる。
僕はペンを受け取って新しい特号を考える。
しばらくペンを持ったまま考えていたが、ふと思いついたことを紙に書いてみる。
【キサラギジャック】
「如月邪行とキサラギジャックってなんとなく語感が似てるなぁって……ダメかな?」
どうだろう。この特号は僕と神代が名乗るものだから気に入ってくれるかな。
「……いいんじゃない。邪行にこだわりがあったわけじゃないし」
口では納得しているが、顔は不満そうにしている。
それならもう少し考えようと思ったが、名無しさんがさっさと手続きを済ませてしまった。
「これからよろしくね、キサラギ」
「こちらこそよろしく、ジャック」
すべての手続きが終わって帰ろうとした時、真剣な表情の名無しさんに言われた。
「ジャック。あんたに二つほど言うことがある。早くちゃんと能力を使えるようになるんだ。そうでないと、またすぐに新しい男を見つけることになるよ。わかったかい?」
「はい……」
「それから、あんた宛に手紙が届いてるよ。あんたの初恋の相手からだ」
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