第3話 ロリババア

「あれはなに!? なにはあれ!?」

「落ち着いて真木野。ちゃんと説明するから」

 僕と神代は、すっかり日が落ちて暗くなった道を歩く。

 先ほどまで絶対に離すまいと手をつないでいたが、さすがに今はもう離している。僕らが手を離した瞬間、黒い盾も黒い球体の化物も霧散した。

「まず私の家のことを話すね。私の家は神代という苗字の他に【邪行じゃこう】という屋号があるの。あ、屋号って知ってる? その家の特徴を表すあだ名みたいなものなんだけど」

「知ってるよ。僕の家にも屋号があるから」

「なら話が早いね。うちの先祖はずっと昔からこの街の土地神を信仰していたんだけど、ある日その神様からお告げがあったんだって。いずれこの地に化物があふれだし、人々に災いが降りかかると。それを防ぐために神様から力を授かった私の家が化物退治を始めたみたい」

 神様から力を与えられたなんてまるでおとぎ話のようだ。だが、神代は真剣に話している。それに僕もこの目で化物の姿を見ているし、この手で能力を使っているから信じるほかない。

「邪行って邪な行いって意味だよね。でも、これって良い行いじゃないの?」

「うちの先祖が争いや殺生せっしょうを嫌う優しい人だったからじゃないかって聞いたけど。たとえ化物でも命を奪うのが嫌だったんだと思う。だからこれは、邪行の罪の証なのかな」

 神代はセーラー服の袖をめくって手首を見せる。そこには黒いあざがある。そしてそれは、僕の手首にもある。彼女と握手した瞬間、痛みが走ったけれど、何か関係があるのだろうか。

「真木野。ごめん」

「え、なにが?」

「真木野には悪に手を染めてもらったけど、これを悪の手と書いて【悪手あくしゅ】と呼んでる」

 学校で求められたのは握手ではなくて悪手だったのか。

「最初は先祖とその親族だけで化物退治をしていたんだけど、そのうち人手が足りなくなって血縁者以外でも能力を使えるようにするため、悪手で共犯者を増やしたと言われてる」

 なるほど。だから神代は、校内掲示板で『共犯者求ム』なんて貼り紙をしていたのか。

「この黒いあざは邪行の力を使う者に必ず表れる。それは邪行の家に生まれた者だけでなく、共犯者になった人も同じ。日陰者や魔が現れるとあざが痛んでだいたいの位置を教えてくれる。だけど、化物を倒せば倒すほど黒いあざは濃くなっていくし痛みも増していく。たぶん、命を奪うという行為に罪の意識を持つように、うちの先祖がそう決めたんだと思う……」

 教室で話していた時、急に顔色を変えて出ていったのは化物が出たせいであざが痛んだからだろう。そして悪手したことで共犯者として邪行との縁が結ばれたから、僕の手首にも黒いあざが出たのか。先ほどまで感じた痛みが急になくなったのは化物を倒したからだろう。

「ちゃんと説明してから共犯者になってもらいたかったんだけど……ごめんなさい」

 神代は申し訳なさそうな顔でまた謝罪の言葉を述べる。気にしていないと言えば嘘になるが、あの状況では仕方ないと思う。だがそれでは、彼女の中にある罪の意識は消えないだろう。

「神代のご先祖様は信仰心があつくてまじめで優しい人だね。うちの先祖と話が合いそう」

 自分の手首と神代の手首を隣り合わせて比べる。言う通り、黒いあざの濃さが違った。

「神代。さっきは助けてくれてありがとう。これは、僕たちが共犯者という証だね」

 今でも命をかけることは怖いし、本物の化物を見て恐怖心はさらに増している。それでも、僕は悪に手を染めてしまった。それなら街を守るため、彼女を守るために、この力を使おう。

「……ありがとう」

 神代は小声で言ってから顔を上げる。その顔は、少しうれしそうに見えた。



 またパトカーのサイレンが聞こえた。今度は救急車のサイレンもいっしょに鳴っている。

「さっきの人型の黒い化物。あれが魔ってやつ?」

 たしか人間の悪玉を刺すことで悪いことを行わせると言っていた気がするけれど。

「ううん。あれの名前は【日陰者ひかげもの】。魔が人間の悪玉を刺して生み出した影の化物だよ。あいつらは日が暮れると人の影が実体化して、もとの人間の悪玉が心臓の代わりになって街中で暴れだすの。そして暴れたら暴れるだけ元の人間にも悪影響を与えてその人も悪いことをするようになっちゃうんだよ。言ったでしょ。ここ最近の事件や事故は全部魔のせいだって」

 たしかに最初は影が実体化したような姿で、消える寸前はただの影のように見えた。

「ちなみに魔も日陰者も太陽が出ている時間帯は活動できない。たとえ雨や曇りの日でもね。なぜなら、お天道様てんとうさまが化物をしっかり見張ってくれているから!」

 神代は朝日という名前のごとく明るい調子で話す。

「ただし、私たち邪行の力も使えない。残念ながら雨でも曇りでも同じだよ」

 今度は太陽に雲がかかったように暗い調子で話す。

「えぇ!? なんで?」

「邪行は影を扱うからかな。私の悪喰も、あなたの盾も、自分の影を実体化させている。太陽には、日陰者も邪行も同じに見えるんだと思う。詳しいことは、着いた先でちゃんと話すよ」

 邪行という屋号や罪の証としての黒いあざ、そのうえ太陽にまで嫌われるなんて……。神代のご先祖様はまじめすぎないか? もう少し子孫のことを考えてくれてもよかったのでは?

 しかし、影を扱う力と聞いて納得もしている。

 僕が出した黒い盾も、神代が出した黒い球体の化物も、どこか日陰者に似ていると今になって思う。それにしても、街を守るために使う力が街を壊す化物と似ているなんて……皮肉な話だ。



 チリンチリンと自転車のベルが聞こえた。音のした方に顔を向けると警察官の横田がいた。

「おやおや~。こんなところに不良高校生がいるぞ~。不純異性交遊の罪で逮捕しちゃうぞ~」

「めんどくさいおっさんは嫌われるよ?」

「バカか。おっさん言うな。よっさんと呼べ。それから俺はまだ二十代だ!」

「よっさんは、まだ仕事中?」

「まあ、そんなところだ。お前らもう遅いんだから早く帰れよ」

 横田は、あいまいに答えて去っていく。

 神代は走り去る横田の姿をずっと見ていた。

「あの人、たしか駅前交番のおまわりさんだよね?」

「うん。昨年の春から配属された人。そういえば、もう一人の交番勤務の人は……」

 先月に殺されてしまったという話をしようとしてやめた。

 いくら神代が化物退治をする家系に生まれた人間でも普通の女の子だ。こんな暗い話をしなくてもいいだろう。

「ところで、今はどこに向かってるの?」

「あ、そうだよね。うちは慣れてるから気にしないけど、真木野の家族は心配するよね」

「大丈夫だよ。今は一人で暮らしてるから」

「そうなの? どうして?」

「姉は今年の春から大学生で県外へ出たし、両親も転勤で家にいないんだ。僕はここに残って祖父と暮らす予定だったんだけど、先月交通事故で亡くなったから……」

「ごめん。話したくないことを話させちゃったね」

 僕は気にしなくていいと伝えたが、残念ながら重い空気はなくならなかった。

 それから神代が重苦しい表情でポツリと言葉をもらした。

「大切な家族が突然いなくなるのは辛いよね……」

 その言葉の意味を聞こうとしたが、それより先に目的地に着いたらしい。

「え、ここって……」

 目の前には、子どもの頃からお世話になっている駄菓子屋がある。すでに店のシャッターは閉められているため、中に入ることはできない。

「真木野。こっちこっち。裏口にまわって。人に見られないように静かにね」

「入って大丈夫なの?」

「合言葉が必要なんだよ。定期的に変わるけど忘れないでね。合言葉は『すべてが嘘になる』」

 次の瞬間、戸がなくなった。目の前で一瞬にして消えてしまった。

 驚いている僕をよそに、神代は堂々と中に入っていく。



「名無しさーん! 名無しさーん! 名無しさんいないのー?」

 裏口に入ってすぐのところで神代が暗い店内に向かって大声で呼びかける。

 その直後、店内が明るくなっていつもの駄菓子屋の店内が見えてくる。売り場にはたくさんの駄菓子が並べられ、もんじゃを焼くための専用テーブルや喫茶スペースもちゃんとある。いつもと変わらないその光景に少しだけホッとした。

「いらっしゃい。その声は邪行の娘だねぇ。ちょっと待ってな」

 暗がりから長い髪をツインテールにしたかわいらしい女の子が小さな手足を動かして歩いてくる。

「お久しぶりです。名無しさん」

「久しぶりだねぇ。元気だったかい?」

「はい。名無しさんもお元気そうですね」

「そいつが新しい彼氏かい?」

「か、彼氏じゃありません! 共犯者です!」

「きゃはは。あんたのその生娘きむすめみたいな反応は変わらないねぇ」

 幼女はその容姿に合わない野太い声で大笑いする。

「紹介するね。この人は名無しさん。本当の名前はいくら聞いても教えてくれないから名無しさん。ここで化物退治の仕事を紹介したり報酬を渡したりしてくれる化物だよ。あ、化物と言っても魔や日陰者とは違って良い化物だから安心してね?」

「……聞きたいことはいろいろあるんだけど、化物が化物退治の手伝いをしてるの?」

「いろいろ事情があるんだって」

 神代がこんなところで嘘や冗談を言うとは思えない。だから本物の化物なのだろう。

「見た目は幼女、中身は化物。名前は……そうだねぇ。ロリババアと呼んどくれ。きゃはは」

 名前のない化物、名無しさんは幼女の見た目に合わないハスキーな声で話す。

「はぁ……よろしくお願いします……名無しさん」

 ロリババアとは口が裂けても言える気がしなかったので僕も名無しさんと呼ぶことにした。

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