第30話 10-4 独白

 遮っていたものを取り除かれ開放された窓。

すっかり日も暮れているとはいえ外の光を取り込み、室内を僅かに明るく照らす。

行き届いた掃除によって床は数年ぶりに降り注ぐ光を反射する。

翼はおそるおそる深呼吸をして安堵から大きく息を吐いた。


「当たり前だけどさっぱりしている方がいいね。換気すれば大分臭くなくなった」


「視覚的にはそうだが臭いのほうはよく分からないな」


「それは鼻が馬鹿になっているからだよ。自分が発している饐えた臭いも分かっていないようだし」


岬はしきりに服を鼻元に寄せては首を捻る。


「まずお風呂入ってきなさい。風呂掃除は少し前だけどしたから使っても問題ないはず。それから髪切らないと。そんな幽霊みたいな姿でいるつもり?」


「分かった」


「浴槽で転んで骨折らないように」


「大丈夫だ」


岬を見送ると翼はぐるりと部屋を見渡すも探し求めている人物は当然いない。

シャワーの音を耳にすると椅子に体を投げ出した。


「皐月ちゃんここにいるのかな。聞いているのかな。私には何が起こっているのか分からないよ。皐月ちゃんの指の骨が今になって見つかるし岬も急に立ち直るし」


淡々と喋る翼の声音は震え、目尻に涙が浮かぶ。

翼はそのまま天井を仰ぐとしばらく身を震わせ続けた。

少女は翼の頰を撫でようとするも虚しく通り抜ける。


「皐月ちゃんのお墓掃除してるの。ここから動こうとしなかった岬の奴の代わりに。……私だって皐月ちゃんに会いたい、会いたいよ。抱きしめてあげたい、頭を撫でてあげたい、あんなに辛い目にあったんだからそれを埋めるくらいにずっとずっと慰めてあげたい。……なのに岬ったらずるいよね。妬けちゃうよ」


翼は体を起こし目元を拭うと忙しなく体を動かし誰に見せるでもなく元気だとアピールする。


「愚痴になっちゃった。まあこれは贅沢で我が儘だよね」


「何がだ」


洗面所から岬が顔を出すと翼は何度も顔を振った。


「何でもないよ。うん何でもない。それじゃ新聞紙広げるから手伝って」


「さっき翼が纏めて捨てに行ってたろ。取りに行ってくる」


「私の家から取って……ま、時間はあるから焦ってもよくないか。これから少しずつ取り戻していけるから」


翼が朗らかに笑うと岬は言葉に詰まった。


「ここしょぼくれるところじゃないよ。しっかり。……疲れちゃったかな?そうだよね、髪切るのはもう遅いし明日にしようか」


「明日で頼む」


「分かった。ちゃんと冷蔵庫にある夜の分の弁当食べるように。じゃあまた明日」


「また明日」


去っていく翼の足取りは軽い。

その姿が見えなくなると岬はぽつりと呟いた。


「俺はまだ生きられる」


「……兄さんごめんなさい。やっと立ち上がれたのに」


「これでいいのさ。まあ少しやるべきことはあるけどな。そしたら俺の人生はおしまいだ。……なあ皐月、俺が死んだ後皐月はこれからどうするんだ?」


少女は答えなかった。

どうするべきなのか、どうしたいのか、幾つもの思考が浮かんでは弾けていく。

その中でただ一つ自分にとって最も大きな分岐点にあり、決断の時が近いことを否応なく理解させられていた。

後で悔やむような行動をすれば今まで記憶のために刈ったものを蔑ろにすることになる。

少女は兄の穏やかな寝顔を見ながら一つ一つ選択肢を吟味していった。

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