第25話 9-2 楽園

 車井辰三は身を震わせた。

異邦の地のあまりの寒さに遠く離れた生まれた国のこと想う。

水平線にたどり着いても終わらないどこまでも続いていく白銀の大地に身を震わせた。

流れるように生きてその果てに故郷とは季節が真反対の場所へとたどり着いた。

そのことに後悔はない。

 自分が一度死にかけてから全てが滑稽に映るようになった。

どうしようもない死が待ち受けているのに毎日毎日何かをすり減らして生き繋いでいくだけの日々。

それから解き放たれるのは体の節々が錆びついて頭の回転が大分鈍くなってから。

そして自分が何をしたいのか、何ができるのかを分からず、また探す時間もなく、戸惑っていく中であっという間に死を迎える。

そうすればどうなるか、自分の全てが消えるのだ。

生きている間に何を成し遂げようとも、後世に語られるなにかを作り上げようとも、たとえ全世界の人間、誰一人余さず尊敬の念を送られるようなことをしたとしても終わりは待ってくれることもなくその命を収穫する。

にもかかわらず周りは大切な時間を喜び競うように挽いていく。

 だからまず車井はその輪から抜け出すことから始めた。

けれどもどこに行っても大なり小なり同じようなもの。

ついつい楽園を追い出されたアダムとイヴに思いを馳せるなどという柄でもないことをしてしまったこともある。

実際楽園を追い出された先に楽園なんてものがあるはずがない。

だからおそらくはこの世界というものは苦しみから逃れ得ないものになっているのだと思うようになっていた。

だが一端の哲学者を気取ったところで辛いものは辛い。

車井はどうすれば受け入れることができるのかと考え込んでいく内に自らによく効く慰めを見出した。

 自分で楽園を作る。

とはいっても完全無欠の苦しみが存在しえない楽園など作れるはずもない。

ならばせめて納得のいくようにするしかないという一種の諦めではあるが同時に自分でもできそうな地に足がついた結論でもあった。

そして、試行錯誤していくうちにこの地に立っていた。

 車井は財布に縫いとめて肌身から離すことのなかった指の骨を財布越しに触れる。

自分にとっての大きな分岐点。

自分はあの少女を食いつぶした分だけの生を生きることができたのだろうかと不安になる。

客観的に見れば否。

車井は他人に誇れるようなことはなく偉業を成し遂げたことはない。

主観的に見れば是。

車井は自分を偽ったことはなく後悔が入り込むような余地はない。

だからこの判断が妥当なものなのか、判断基準が分からない以上誰にも分からない。

答えを出せるとしたらそれは犠牲となった少女だけ。

この考えだけは答えを出せなかった、というよりも保留していたというほうが正しいのだろう。

いつどんな状況であっても時折この問いは頭にちらついた。

自分にできることはせめて秤が地面と水平になるように生きることだけ。

少しでも自堕落に生きればたちまち秤は地を叩くため、水平に保つようにずっと努めてきた。

 最近その問いが浮かんでくる頻度が増えている。

その理由もまた何となく車井には理解できていた。

それは収穫なのだろう。

ふと横を向いた先に新雪のような純白の髪を流す隻腕の死神が立っていた。

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