第24話 9-1 乱れ

 死神少女は呆れ果てていた。

部下の仕事中眠りに落ちている上司に。

鎌を肩にかけ、難儀しながらも何度か扉を叩いてみたところで返事がない。

行き違いか、それとも何か起こったのか確認するために室内に入るとものの見事に寝息を立てていた。

死神は寝る必要もないのに呼びつけておいてわざわざ寝るということは立場に上下があるとはいえ礼を失していると言っても過言ではない。

少女は遠慮なく鎌の柄を床に打ち立てながら大声で呼びかけた。


「起きてください」


「ええ、そうね」


思いもよらない柔らかい口調に少女は勢いよく飛び下がる。

上司は気だるそうに首をメトロノームのように振り、わざとらしい瞬きを繰り返した。


「ああ、夢を見ていたんだよ」


「夢……死神が夢を見られるのですか」


「ああ。所詮は魂の真似事だがね。前にも言ったね、水分を取れなくなっても涙は流せるし、眠くならずとも寝れはする。滅多にすることはないがまあ時には戯れも薬にはなるだろう」


「戯れ……ですか」


急に呼びつけておいての人の事情を慮らない物言いに少女の言葉も低くなる。

それを耳にすると上司は机の端っこに追いやられた書類の山を指差した。


「私としても一仕事だった。少し遊びたくもなる」


少女が思い返すと確かにいつも机の上は整然としたものではあったが現在、ほとんど見たこともないような書類の山がいくつも机に乗っている。


「あれからいくらか経つが次々と書類が舞い込んでくる。これだから霊的な力を持っている魂は困る。こんなにも忙しいのだから仕事の合間に少しぐらいの潤いがあってもいいとは思わないか?……おや、目の前に私の想い人が。そんな人に言葉を交わせたらさぞかし心が張り切るに違いない」


あからさまな言い分に呆れ、だからこそ逃げ道もない。

少女は努めて平坦な口調で尋ねた。


「どんな夢だったのですか」


「君と添い遂げる夢。……嘘だよ。残念ながら見れなかった。そうであれたらどれほど良かったことか。明晰夢とやら見られるように訓練すべきなのかもしれない。それで見た内容についてだが夢の中で私はモテモテの猫でね。求愛してくる雄をばっさばっさ切り倒していたのさ。困った雄もいたがね。夢の中の私は気品を押し出していたからどうもそれらしい口調が求められるじゃないか。いつも君に話かけているような私の口調とは違うから少し苦労したけれどたまにやる分にはまあ楽しいものだったよ。それでどうかしたのかな?」


少女の声音は前にもまして低くなる。


「どうもこうもあなたから呼ばれたから来ました」


「……そうだったかな?ああそうだ思い出した、中々残りの記憶と縁がない君に吉報を。残り二か所も判明したよ。一つは遠くない。もう一つはなんとオーストラリアだ。どちらからにするつもりかい」


少女は残り二か所のどちらかに兄がいることに息を飲んだ。

おそらくは前者のほうだろう。

少しでも長く生きてほしいと思ってしまったのは間違いなく私情。

職務に挟んでいいものか悩んでいると上司は怪しい笑いを浮かべた。


「まあ、すぐに見つけられる方を後回しにするというのも一つの手だよ。この前君が山の中で迷っていたみたいに遠いと困ることもあるだろうからね。白状してしまうと実はあの時カラスを使わして君を見守っていたのだがぐるぐると行ったり来たりしている君の姿はなんとも愛らしいものだったよ」


上司の言葉に決断を後押しされた少女は言葉を返すこともなく顔を背けた。


「それにあれだ。どうせなら飛行機に乗りなよ。生前乗ったことないなら一度は乗ってみるといい。タダ乗りできるし。何も憂うことのない快適な空の旅というやつだね」


「確かにそうですが遠出をするのに何か手続きの類はあるのでしょう?」


少女は自分が今まで仕事で国の外に出ていないことを思い返して遠慮がちに切り出す。

上司は思い切り体を反らして胸を張った。


「そこはご安心。私がもう済ませておいた。実を言うとこれまでもね。多分国の違いだと思っているのだろうけれど死神の業務は国境で区切られたりはしないよ。ただ支部というべきかな、ほとんどないことだけれど違う支部の領分に立ち入る際には少し伺いを立てる必要がある。君の場合は特別も特別だからね」


「他の死神、縁に引き寄せられる場合はどうなるのですか?」


「他の場合は上司の寛容さ次第だね。融通効かない上司にあてられて衝動を抑えるのに涙を飲んだ死神を何人も見てきたよ。その点、私は愛する者のために骨を折ることを恐れたりはしない。ただたまには少し私のことを労わってほしい。例えば、同衾とか」


「愛は見返りを求めないと聞きますが」


「その通りだけれど愛に溺れて甘えるのもまた良くないのだよ。無償の奉仕に甘んじてはいつか輝かしい愛も色あせてしまうことを免れない。愛とは一人ではなく二人で支えるものだ。そこは忘れないように」


「同意もなく巻き込まれているのですが」


「愛の形というものは必ずしも想いがかみ合って始まるというわけではないよ。通り雨のように突然に嵐のように吹き荒れるような愛だってある。近しい人に対して必ず好感を抱くわけではないのだから当然赤の他人なら尚更さ。近しい人、家族になって欲しい人が目の前にいるけれどどうも中々素直に……すまない失言だった」


先程までとは異なる誠実な態度に少女は一瞬面食らう。

冥道居士を刈り、記憶を取り戻した直後のことが頭に浮かんだ。


「聞いていたのですか」


「弁解を許してもらえるのなら聞くつもりはなかったと言っておく。あのカラス、私の鎌だけれど、から記憶を読み取っていたら耳にしてしまった。どう埋め合わせたらいいものか。君のほうから何か望みはないのかい?」


「家族、家族ってどのような感じなのですか。どうするべきか分かりません」


上司は遠い目をした。


「家族……ね。いや、私も生前あまり家族らしい会話をしたことないから力になってやれないことを重ね重ね申し訳なく思うよ。……ただ、うん。顔を見せることに躊躇う必要はないと思うよ。向こうにとっては全く違うが久しぶりの帰省くらいに思った方が変に気を張るよりはずっといいかもしれない。見送りになる時に悲しい顔をされては送られる側も困ってしまう」


「……」


沈黙が部屋を満たす。

少女は視線を床に落とし、上司が言ったことのような状況を思い描こうとした。

上司は静寂にいたたまれなくなって口に手を当てる。

そのまま伏し目がちに声をかけた。


「見慣れぬものを見て来てリフレッシュしておいで」


「そうします。ではこれで」


いつもとは違う辛気臭い終わり方に調子が狂い、少女は内心戸惑ったまま扉をゆっくりと閉めた。

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