第22話 8-3 定め

 少女の眼は鮮血が滴るように輝いた。


「なんとまあ、どのような姿の死神が差し向けられるかと思えばやはりあの時の童か。斯様な出立をしてまで健気なことよ。それほど約束が果たされたのか心配になったか。約束は守ろうとする気質でな。安心して昇天するといい」


冥道居士は死神を目にして物怖じ一つしない。

上司の言うことは的中していたようだった。


「別件だから安心して永く微睡んで」


「他の指を全て終えたわけではないだろうに辿ってきたのかね?」


少女は沈黙を保ったが冥道居士の言葉には確信に満ちている。


「隠さなくともよい。指の場所を探しているのが分かったからこそこうしてこちらから名乗りを挙げたのだ」


こちらの動きを悟っているというのも上司の予想の通り。

死神の存在を知っていてなおかつ探していることも分かっているのなら何かしらの備えもあるだろう。

その想定に違うことなく一歩すり足でにじり寄ろうとした少女の爪先を焼くような激痛が走る。

魂の錯覚ではない、久しく感じることのなかった痛みに少女は咄嗟に身を引いた。


「死神の時間は短くないだろうに何を焦る。もう少し言葉を交わしても罰は当たらん」


「こちらから聞くことはない」


「死神にとっては何が幸福なのかね?死神について語る書物はあったがそればかりは死神本人に聞かないと分からないのでな」


少女は取り合わずもう一度足を近づけたが先程と同じ場所で同じような痛みが彼女を襲う。

少女は肩のカラスを鎌の柄で小突き飛び上がらせた。


「死神の幸福なんてものはない。罰だから」


「罰?死後の生があることがかね。確かに生前富を蓄えたものにとっては指を咥えるしかないのは罰と言えるだろう。だが、何をしても死のせいで満たされないものにとっては至上の報酬よ。そのために生を費やす価値はある」


少女は死神の意義が未練を残した者に対する罰であることを思い出す。

死後を得るために生を蔑ろにする。

なんとも根本的な所で取り違えた話であり、少女は奥歯を噛み締めた。


「死の克服を目的にしてはいけないの。そうして狂った人を見た。あれは幸福というにはあまりにも遠い」


少女の言葉を冥道居士は鼻で笑った。


「最大の幸福は全ての不安に追われなくなることよ。無論死に対してもな」


「今私があなたの前にいるようにまだその時ではないの」


「そうではないのだよ。答えは今目の前にいる」


冥道居士の節々とした捩くれた指がまっすぐ少女に向けられる。


「永らえることができれば形は問わん。そして死後も自我を保っている丁度いい存在がすぐそばにある。何と喜ばしいことだろうか」


少女が眉根を寄せると冥道居士は懐から小さい筒を取り出す。

少女はそこに指が収められていることを感じ取った。


「不思議に思わなかったのか?冥道居士の場所は分かったのにどうして残りの指は反応を示さなかったのか。むしろその道に通じているのなら息を潜められてもおかしくはない。……それはこちらからも来て欲しかったからだよ。探していたのはお前だけではない」


「……」


「死神の全てを知り、魂を知り、さらに完全な形で命を繋ぐ。二度も貢献してくれる定めにあるとは、これほどに尽くしてくれるものがあるとは私は果報者だ」


少女は多くの人間を狂わせた男を睨みつける。

いたずらにぶら下げられた死からの逃避によって延ばした運命の果てに再び死の運命に捉えられた人を想う。

少女はこの場で決着をつけることを改めて意識し、時を待った。

冥道居士が何かを尋ねようとした瞬間森中にカラスの鳴く声が何重にも響き渡る。

 少女は一歩を踏み出す。

先程の苦痛はない。

冥道居士が用いたのは結界の類という推論は正しかったようで、今頃肩のカラスが呼び寄せた同胞たちが死神のような霊的存在を弾く結界を構成する札を食い散らかしているのだろう。

だが彼が取り乱す様子はなく、その様に少女が訝しんだのを一瞬を突いて素早く身を翻した。

少女は慌てて追おうとしたものの結界は一つとは限らない。

飛び込んだ一瞬後に全身が焼かれることになってもおかしくはないことに気付き、すんでの所で足を止める。

逸る心を押さえつけてみれば冥道居士の足取りは地面から見え隠れする太い木の根に難儀しているように装っているがその実少女を誘っている。

ただ結界を構成する札を探すカラスからの声もなく、少女自身で確かめる他にないためにゆっくりと足を進める他なかった。

木々がいくつも折り重なって昼間とは思えない陰に少女が全身を浸した瞬間。

何か、少女には見当がつかないものの霊的な存在、蟲めいたそれは蚊柱のように入り乱れながらいくつもの群れをなして襲い掛かる。

少女は顔を歪め、鎌を激しく何度も振り回し蟲を切り裂く。

不快な音を響かせながら蟲は鎌に慄き下がり、鎌によって削がれた部分を欠けた群れ同士が絡まり合い補填する。

再度襲い掛かった蟲を少女は身構えて迎え撃とうとした。

だが、蟲の一部が少女のもとへと戻ってきたカラスに狙いを定め貪欲にその身を分けるのを目にすると構えを解き、群れに飛び込んだ。

地面すれすれに身を落とす。

触れる面は最小限に。

蟲が意識を喰らう。

鎌が地を掠める。

少女は鎌を地面と平行に携え、僅かに引き絞り力の限り薙いだ。

勢いよく蟲を散らした一瞬でカラスを抱き込み、地面を転がり硬い壁にぶつかって止まる。


「壁……?」


一瞬呆けてひとりごちた少女は見上げて目を見開く。

それは結界だった。

赤く、赤く、輝きながら世界を区切る境界線。

先程とは異なる点は少女の眼にも見えるほどに強度がある点と少女が結界の外ではなく中にいる点。

虫籠の中に入れられたようで少女にとって不快でしかない。

鎌を何度も突き立てるがびくともしない。

 そこへ冥道居士が樹々の陰からゆっくりと姿を現した。


「居心地は如何かな?」


少女は答えず黙々と結界を破壊しようと試みた。


「無駄なことよ。さて一時的に動けなくなってもらうが次に目を覚ました時にはここよりかはましな所だ。死神の仕組みを解き明かすまでではあるがお前の終の住処となる故手を抜かんことを約束しようか」


結界から蟲がじわりじわりと滲み出す。

意識を奪うあの蟲に集られれば成す術もなく、また逃げ場もない。

少女の鎌を握る手が緩んだ。

染み出す蟲が増えるのを見据えていた少女の顔に痛みが走った。

視線を向けると小脇に抱えていたカラスが体を伸ばしてまで少女の耳を啄んでいる。

そこに意思を感じた少女はカラスを飛び立たせた。

カラスは飛ぶ。

その先に何もないかのように。

結界に飛び込むカラスは冷たい炎を纏い、その輪郭を溶かしていく。

炎の中で徐々に捏ね上げられていく中でカラスは絶対的な寒さを帯びた禍々しい鎌に変じた。

少女をして畏れを抱かせる鎌は一人でに回転し、結界目掛けて飛ぶ。

少女では太刀打ち出来なかった強固な結界は子供の好奇心を前に無力なオブラートのようにいとも容易く焼き裂かれた。

冥道居士の心を乱したようで見開いた目がカラスが変じた鎌へと向く。

少女はその隙に一気に駆ける。

この一瞬を逃すことなく横なぎに振り抜かれた鎌は宙を裂き、冥道居士の体を過たず捉えた。

時が止まったように全ての動きは死に、その一つ瞬く間に冥道居士の体はぐらりと傾く。

仰向けに倒れた体は萎び、生前の活力はどこかに吹き飛んでいる。

少女は冥道居士の死を確認すると戻ってくる記憶に備えたが、いつまで経っても自らのもとに帰ってこないことに眉根を寄せた。

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