第20話 8-1 大仕事

 死神少女は駆け付けた。

一大事が想像以上に早くやってきたから。

自分に絡んでいる因縁で最も対処すべきもの。

放置すれば犠牲が自分だけで止まらなくなるもの。

何度も扉を叩き、「どうぞ」という礼儀のない行為に戸惑った声が返ってくるとすぐに入室した。

上司は少女の真剣な様子に応えて真顔を作ったが、すぐにだらしなく崩れた。


「来てくれたかい私の死神さん。肝に銘じてくれなどと言ったのがプレッシャーになってしまったかな。だとしたらすまないが、君が慌てる姿は可愛らしいもので目にしただけで君を惑わせる言葉を発した過去の私への追及をつい取り下げてしまいたくなる。そこで相談なのだが君の胸元に私を抱き寄せて早鐘のように打ち鳴らす小さく可愛い心臓の音を私だけに聞かせてくれないか。そうすれば今一度私は奮い立とう」


「そんなことより早く、お願いします」


少女が急くと、上司は不服げに首を右に傾けた。

その様もひどく緩慢で少女の足が強く床を踏みしめる。


「そんなこととは。まあそう焦っても良い方向には転じない。今回は君だけの仕事ではないからね。君が死力を尽くしても変えられないところもある」


上司の言葉に少女は押し黙る。

普段の仕事は業務自体は自分だけで解決していたため他者が絡むことには疎かった。

心中ではいてもたってもいられないが上司の言うことも一理ある。

強いて己を押さえつけた。


「その私だけではないとは?」


「普段は死すべき定めの魂を刈り取ってお終いだけれどこちらに干渉、害を及ぼせるような類なら集団でとりかかることになっている。とはいえ君が最も早く感知することもあって難航した時に駆けつけてくる援軍くらいに思って欲しい。不甲斐ない話なのだけれどやることはいつも通り。まあ、気に留めておかなければならないこともいくつかあるからここでは取り敢えず会議というわけだ。じっくりと虚飾なく語り合って二人の愛を温め合うのさ」


上司が勢いよく広げた日本の地図には一点大きく光り輝いている。

その場所は少女の遠い記憶の中でも何らかの意味があった。

それは授業を受けている時の記憶。

少女もその内容をすぐに思い出せた。

伺うように地図に沈めていた顔を上げると上司がペナントを少女の目の前に突き出しているのが目に入った。

日本で一番高い山。

少女がペナントを眺めているのを見て上司は何故か誇らしげに胸を張っていた。


「じつはこれ私のお手製なんだ。君へのプレゼンテーションを円滑に進めるためにね。それはさておき、実際は少し違くて示した場所は青木ヶ原樹海。そんなところにわざわざ足を運ぶからには冥道居士がやろうとしていることは何となく分かるだろう?」


「自殺志願者を標的にするつもり」


「その通り、かもしれない。死のうと決めているから志願者なのであって、運命もそれほど伸ばせないはず。けれどリスクを優先して数で補おうという魂胆も有りうる。都市伝説になってしまうけれど自殺志願者狩りを使えたらだいぶ伸びもいいかも。私達みたいなのが眉唾話を取り沙汰することになるとは面白いこともあったものだね。今度私と百物語でもしてみないか?」


「だったら早く取り掛かったほうが」


上司は物憂げな顔で軽快にペナントを弄ぶ。


「これは憶測に過ぎないけれど向こうは状況をおおよそ掴んでいると思う。だから備えもしている。今までのような素人さんじゃないから無策で突っ込むのはお勧めしない。するなら私の胸をお勧めするよ」


「あなたはどうするのですか」


上司は舞台役者のようにゆったりとした歩幅で部屋を練り歩くと備え付けられた花瓶を撫でた。


「助けてやりたいのはやまやまだが、私も書類を出したり根回ししたりとやること多いから力になってやるのは難しい。君だけの仕事じゃないと言ったのはそういうことも含まれる。とはいえだ、ちょっかいかけるくらいはなんとかしてみるよ」


「ありがとうございます」


上司はいつの間にか肩にとめていた一羽のカラスを少女の肩にとまらせた。


「とりあえず君にこれを。こいつは君がこの職務中に私に対して囁いた愛を記録して後で私に教えてくれるすごいやつだ。君の愛の言葉の数だけ私に力がみなぎる、つまりはそういうことになっているのさ」


「どうしてそんなに説明があやふやなのですか」


上司は少女の手を取ると目線が少女の下になるように屈んで見上げる。


「それはともかく、さ。死神はけっして死なない存在じゃない。干渉されること自体が中々ないことだから気に止められることも少ないけれど祓われた事例もある。本当に気を付けて欲しいのだよ。私の死神さん」


「ええ。肝に銘じておきます」


上司は少女の手を握っていた腕を思い切り伸ばして少女を抱きすくめる。


「私が言っていた言葉をわざわざ使ってくれるとは君は本当にいじらしい。くれぐれも愛の言葉を囁くことを忘れずに。君は一人で仕事にあたることになるが、自らを想ってくれる存在を意識しておくというのはこの上なく心強いものだよ」


「では、行ってまいります」


少女は扉を前にして己のすべきことを心の中で繰り返す。

自分が止めるのだと意気込むと勢いよく扉を開けて部屋から出た。

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