第19話 7-3 リフレイン

 少女は忙しなく見渡していた。

職務を果たす中で様々な場所を渡り歩いたがあくまで人が密集している場所であって山の奥を練り歩いたことはあまりなかった。

人が住んでいる形跡すら見られない場所。

仮に死んでいなかったにせよ、このような場所に居を構えるとは思えない。

少女は何も語らない人の残滓を見下ろし、硬い岩がいくつも出っ張っている壁のような崖を見上げた。


 登山中の滑落死。

野生動物に荒らされ、朽ちかかったリュックサックには獣の手によらない使い込まれた形跡があり、登山好きだったことがうかがえる。

だが、人の手が入っていない場所を選んだことが不幸につながったようだ。

骨もほとんど獣に持ち去られており、襤褸と化した服と土に塗れたリュックサックが墓標だった。


 少女の指の骨は近くに埋まっているのかこの場からさほど移動していないようだった。

降りかかった不運よりは自分の好きなことの途中で終われたのならその人にとっては幸運だっただろうか。

少女は問いかけるように見つめてみたものの当然返事がくることはない。

もう知ることはできないが伸びた分の生が幸せなものであることを祈った。

確かにこの場所で亡くなったことが確認できたものの魂はこの場で確認することはできなかった。

ぐるりと周囲を見渡してみたものの辿れるような痕跡は当然ない。

少女は現場を中心にしてあてもなく彷徨い続けた。


 仕事は早く終わると言っていたのは誰だっただろうか。

少女は軽はずみに言ってのけた人物に物申してやりたくなった。

指のある場所を見つけたのは朝日が眩しい時間帯だったが、それからは状況が動くことなく随分と前に太陽はその身を隠してしまっている。

指の骨の位置を指針にしたところで少女は同じような場所を延々と周り続けていた。

死神は疲労で動きが鈍ることはないが、徒労感に苦しまされることに関しては生前と変わりはない。

少女は一度気分を入れ替えようと自分に強く言い聞かせると、鎌を杖に大きく息を吐き出した。

近くにあった中で一際大きい樹にもたれかかって月に手を伸ばそうとしたが生い茂った枝葉が月を覆い隠していた。

月を見るべく樹の陰から体を伸ばしながら出た少女が見上げると何にも遮られることのない満点の星空が少女を迎えた。

少しの間見とれていた少女ははっと首を振ると誰に見られることもなく忍び笑いをこぼした。


「どうせなら綺麗なものが見える場所にいたい、か」


そこからの足取りは確かなものだった。

深い木々の中を抜けて導かれるようにして見晴らしの良い場所を目指す。

少女は自然の悪戯で不思議と開けた場所に辿りついた。

月の光が降り注ぎ、澄んだ風で背の短い草が揺れる。

初めて訪れる場所だが少女に安らぎと懐かしさを抱かせた。

そこでは一つの魂が絶えずその身を躍らせている。

綺麗な場所というものに人は生きていても死んでいても郷愁の念を持つのだろうか。


「ずっとここにいたの」


少女が呟くと浮遊する魂はわずかに跳ねた。


「そう。ここはいい場所だからいたくなるのも分かる、けれど」


少女が言葉を切ると魂は数度小さく旋回し、その場で留まる。

少女は鎌を振り下ろした。


 記憶の中の少女は二つの靄と手を繋いで歩いていた。

大人ほどではないが自分より少し大きな二つの靄。

とても頼もしくて暖かくて少女はとても好きだった。

ずっと一緒にいたいと思っていた。

そしてそう約束した。

少女が見上げているとその靄が少しずつ取れていき、二人の姿が鮮明になっていく。

少女が二人に笑いかけると二人もこちらに笑いかける。

少女は二人の名前を呼ぼうとした。

呼ぼうとした。

舌が攣っても喉を握りつぶしても呼ぼうとした。

少女は二人の名前を呼ぼうとして。 

 

 気付くと少女は喉を抑えて元いた広場に佇んでいた。

少女はカラスを一匹呼びつけると素早くしたためた報告書を脚に括り付けて飛ばし、物思いに耽り続ける。

生身であれば秋の夜風はこの上なく心地よかったのだろうが、少女の体を焼く思いを冷やすことはできなかった。

何度か記憶を辿って呼びかける真似をしたが名前を手繰り寄せられはしなかった。


 夜明けすぎ燃えるような色合いに染まった空を切り裂くようにして少女の元に跳び寄る一羽のカラス。

その脚には紙が結ばれており、手に取ると上司からの短い言伝だった。

『冥道居士の居場所特定せり。帰投せよ』

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