第16話 6-3 怒り
久留島は瞑想的に呟いた。
高ぶっていた口調から一転し殉教者の遺言を思わせる静かさに変じたことに少女は背筋を粟立たせた。
「私も粉末にした分私の持ち分が減ることは懸念していたよ。粉末にするには限度がある。それに冥道居士の言う通り時間が経って定着してしまったら実験もできなくなる。延命したとはいえ人並みの時間があるとは思っていなかった。二重の意味で時間制限があった」
少女は久留島の言葉を待った。
聞いたところでいい結果をもたらさないと確信していたが体は耳を傾けようとしている。
冥道居士と関わった際に何か貢献する予感があるからだろうかと他人事のように分析した。
「私は仮説を立てた。この指のように人一人分の魂を余さず凝縮したものを違う入れ物に埋め込み、限界が来たら次の入れ物に変える。それを続ければ疑似的に不死を達成できるのではないかとね。そうすればくだらないことに煩わされずさらに純度の高い不死を探究できるようになる。完全な不死は絵空事ではなくなる」
少女は鎌の柄を床に強く叩き付けた。
研究所の中を音ではない鋭いさざ波が木霊する。
久留島は少女の行動に驚いたもののそれ以上少女は何も追及しなかったため話を再開した。
「まず機械の体を考えたがこれはよくない。そもそも今の技術では人として呼べる水準にはないからだ。次に動物の場合だがこれも駄目だ。魂を移したとはいえ肉体に制約を受けるのか脳の性能の違いにより思考能力に影響が出る。粉末を多めに与えたモルモットはモルモットのままだった。犬にしても烏にしてもだ。魂を引き継ぐこと自体を忘れては笑い話にしかならない」
久留島は言葉を吐き、続けた。
「そうなると一番は人だった。当然だな。妻は最後まで私の元に残ってくれたから人類史に刻まれる大発見の栄誉を受け取らせてやりたかった。睡眠薬で意識を失わせた後は冥道居士の行ったことを辿るように妻を瓦礫で殴りつけて指を切り落とした。それではいけなかったようだから妻の体を粉末にして残り全ての少女の粉末と混ぜ込んで摂取してみたらどうだ、新しい魂の息吹が体を駆け巡る実感があるではないか」
表情を歓喜に満たしながらも次の瞬間には久留島はうんざりと首を振った。
「だがね、研究はなぜか分からないけどうまくいきましたではいけないのだよ。想定外の成功が起きたのならそうなった道理を明らかにする必要がある。これが大変なのだ。だから今もこうして研究を続けている。あの少女のおかげだよ。彼女の欠片が仲立ちとなって私と妻を繋いでくれたのだ」
「……」
「魂が混ざりこんだおかげか妻の考えていたことも分かった。あれは私には釣り合わないいい女だった。感謝してもし足りない。本題に戻ろう。時間の軛から逃れたはいいが研究材料を使い果たした私は仮説を建てることに躍起になった。例を挙げると魂の引き継ぎは臓器移植のようにできたが臓器にも魂が宿るのかもしれない。または魂が少しでも含まれるから臓器足り得るのか、など。考えれば考えるほどまだまだ調べなければならないことだらけだ。魂があるのならどこから生まれてどこへ行くのかを知る必要がある。それが分かったなら今度は魂のメカニズムだ。例えば輪廻転生が実在するのならそれに抗い、連続性を保持する方法を生み出せば肉体など一時の止まり木に過ぎなくなる。ああ、そうなったらどんなにいいことだろうか。私も永遠に生きることをどれだけ願ったことか。人々は決定的な終わりを恐れることはなくなり、何かを争うことすらどうでもよくなる。永遠に積み上げられるから寿命の短さに焦って他者から奪って満たそうとする欲求に駆られることもなくなる。死ぬために生きているだけの眼を閉じた奴らもそれが本望だろう」
「その口を閉じて。あなたは何も残さなくていい」
少女は切り捨てた。
少女は怒りを知った。
他者の命で自らの命を延ばすという点では目の前のことと自分の一件は同じである。
それなのにどうして火事の一件では怒りを覚えなかったのに今激しい怒りを抱いているのか。
それは生を蔑ろにすることへの怒りだから。
あの日の死にたくないという祈りは切実なものだったが、今行われているのは生の価値を知りながらいたずらに生を貶めていることに他ならないから。
少女が久留島の考えを聞こうとしていたのは自らが抱えていた怒りの源泉を少女自身に教えようとしていたからだと悟った。
「人は死ぬとしても、死ななくなっても生に真摯でなければならないの。いずれ全てを奪い去られる運命にあるのなら尚更」
久留島はがなり立てた。
そこには何かに対する敬意はなく、生ける者全てに対する侮蔑だけがあった。
「メメントモリかね?超常の存在である君がそれにしがみつくとは少し失望したぞ。人は諦めないから進歩し続けたのだよ。そしていずれ死を想うことを捨て去り克服する。君はその果て、誰もが望む永遠そのものなのにそれをこき下ろすとは愚かしいにも程がある」
「どれだけ言い繕ってもあなたは自分の生きている間に真っ当な不死が達成されないことに慄いて目の前にぶら下げられた偽りに惑わされた。それだけ」
少女は鎌を振り下ろした。
忌まわしき残滓を此岸に残さないように。
気付くと少女は火の牢獄の中にいた。
少女以外にも数人いて、息苦しさと不安に塗りつぶされた顔をしている。
天蓋に輝く月と星々はとても涼しそうで少女は羨ましくて仕方がなかった。
大きな声が上がると人々は呆けたように声の方向を見て、もう一度声がすると人々の表情は月に負けないほどに輝いた。
少女も這いながら進んで輪の中に入るとどうやら誰かが死なないといけないらしい。
理屈が分からないが故に実感は全く湧かなかった。
助かる方法を知っている怖い顔をしたお爺さんと話した時も言っていることを半分も理解できなかったけれどどうやら死ぬ人は自分になったらしい。
どうして自分なのか、本当にそれで他の人が助かるのか全く分からないけれど自分では……を助けることはできないし、自分自身このままだと死んでしまう。
なら……だけでも助かるのならその方がいい。
それに皆も助かる。
決心したものの鬼気迫った助けを求める声に少女はたじろいだ。
知性を捨て去った餓えた目線が少女に集まり腰が動かなかった。
少女は怖くて怖くて仕方がなかったけれどそれ以上に思ったことが一つあった。
その瞬間自分の上に陰ができ、後ろから大きな何かが思い切りぶつかると少女の体は動かなくなった。
頭が割れて命そのものが流れていく感覚が少女を蝕んだ。
宇宙に投げ出されたような究極の冷たさが彼女を包み、孤独の果てに追いやった。
唐突に記憶は途切れ、少女は研究所に投げ出されていた。
死神になってから縁のなかった熱気や息苦しさは嘘のようになくなっている。
少女は素早く踵を返して研究所を足早に立ち去った。
久留島の手から離れた骨は何度も床にぶつかりながら埃にまみれたコンセントへ入り込み大きな火花を散らした。
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