第13話 5-3 ターニングポイント
宮平が新聞の切り抜きを持って居間に戻ると少女は椅子に腰かけ続けていた。
脇に控えている鎌の物騒さ、冷たさとは反するように少女は生真面目で理知的で暖かさを感じさせた。
宮平は一つ微笑むと新聞の切り抜きをテーブルに広げた。
「どこから話そうかと思っていたけれどまずはここから始めましょうか。覚えているかしら?」
少女は目にしたものを前に固まっていた。
けれどそれははじめて見ることによる驚きというものではなく自らの中と照らし合わせているようだった。
「書いてある通り百貨店の大火事。私もあの日あの場所にいたのよ」
宮平は思い出すように細めて身を震わせ、IHのコンロに視線を移した。
「あの日はそう、配線の不具合だったとかで寝具店から発火したの。後で分かったことだけど。大量の可燃物があって瞬く間に手が付けられなくなった。祝日で人も多くてパニックが起こって。下の階にいた人々は避難できたけれど上の方にいた人は火の手に囲まれてしまった」
宮平は体の震えを少女に悟られないように腕をつねった。
まじめな少女のことだ、やめようと言い出しかねない。
「火から逃げるように屋上に逃げたの。そこには私と同じように逃げ遅れた人がいたの。煙をひどく吸い込んだのかもう動かなくなった人達もいたわ。火の周りがあまりに早くて外から手を出せなくなっていた。屋上には梯子があったのに歪んで取り出せなくなっていて死ぬのも時間の問題だった。そんな時に」
宮平は一度話を止めると少女に受け止めてもらえるかという不安から深呼吸を繰り返し、そんな自分を嗤った。
この少女がこんな自分に対しても敬意を払ってくれているから自分が恐れているようなことは起こり得ない。
「そんな時に助かる方法があると一人が言い出したの。あなた信じられるかしら?あり得ないことよ。いえ、ごめんなさい、正しく言うとこの人が助かる術を知っていると声を張り上げた人がいたの。皆が駆け寄るとその人はばつが悪そうに肯定したわ」
「それが指に関わっている」
「知っていたの。そうなると話は早いわね。助かる方法は誰か殺すこと。できるだけ長く生きる子供がいいと。正気とは思えないでしょう、事実自分が生き延びられるなら何を犠牲にしようと構わないとその時思っていたわ。それでその場にいた中で最も幼かったのがある少女だった」
宮平はあの日のままの背丈の少女を見た。
自分よりずっと幼い少女を踏みにじった自分が浅ましくて仕方がない。
あの日の行いの醜悪さを突きつけられているに等しい。
目を背けたくなるが他ならない自分の行いなのだ。
「その少女と男は何かを話をして背を向けた少女を男は瓦礫で殴りつけた。男が何かを唱えながら倒れた少女の指を私たちに切り落とすように言って私達は……それに従った。男は指は媒介だからしばらくは肌身離さず持っているように言ったわ。その後、屋上の一角が急に崩れ落ちて火の周りが堰き止められたことで救助されたわ。新聞は奇跡の生還と謳っていたけれどそうじゃない。あなたの犠牲の上にあったの」
宮平は語り終えて改めて自らの業の深さを噛み締めた。
しかも誰にも言えなかった懺悔を他ならぬ自分が踏みにじった相手にしている。
少女はしばらく吟味しているのか考え込んでいる。
少女はやがて月を眺めはじめた。
長い間、眺めてから宮平に向き直った。
「最後に一つだけ。あなたは男の名前を知っているの」
「本名は知らないけれど冥道居士という名前で通っているわ。人相の参考くらいにしかならないけれど雑誌見るかしら」
少女が頷くと宮平は胡散臭い装丁の雑誌を開いて差し出した。
見開きに映っている老人の髪は白く染まっている。
間違いなく老いてはいるものの厳しい表情と鋭い目つきはまるで老いを感じさせない。
若い男性を画像加工ソフトで加工したような老いと活力が不自然に同居している様に宮平は見るたび不安を覚えた。
この少女はこれから冥道居士と相対することになるのだろうかと宮平は少女の行く末について思いを馳せた。
冥道居士の力が死神に通じる程なのかは定かではないが胡散臭い雑誌に載っているのがおかしいほどに紛れもない本物。
死んだ後も少女が苦しむことなんてないのにと宮平は思ってしまった。
それこそ少女が傷付かずに済むのならば記憶を取り戻さなくていい、自分を捨て置いて見なかったふりをしなくてもいいというのに少女は痛ましいほどに真面目だった。
こちらを見据えて決して逸らさない。
「私から話せることは全て話したわ。あとはその鎌で私を刈り取ればいいのかしら」
少女が頷いて立ち上がり、鎌を振り上げた瞬間宮平は思わず手を突き出し、制止した。
「ごめんなさい、最後に一つだけ。部屋を掃除してきても?」
部屋の掃除を済ませると宮平はいつになく清々しい気持ちを抱いた。
部屋を掃除している間も少女はものを触れずとも少しでも整頓されるように考えを凝らしてくれた。
それが宮平の心にどれほど火を灯したか。
自分も少女の心に何かしてあげられただろうか。
「時よ止まれ、お前は美しい。いつか心の底から言ってみたかったのよね」
「心残りは」
「なくなったわ。あなたのおかげ」
宮平は晴々とした表情で少女に告げた。
最期に残った気持ちは未練ではなく少女への祈りだった。
あなたの道に幸多からんことを、と。
少女は鎌を振り下ろした。
少女の脳裏に浮かび上がったのは何気ない記憶。
ぼんやりとした影が三つ。
こちらを見ている記憶。
見るもの全て大きい記憶。
高く持ち上げられた記憶。
自分の家族が分かった記憶。
暖かい視線が注がれた記憶。
自分の歌が褒められた記憶。
嫌いな野菜を口に含んだ記憶。
猫が車の下に滑り込んだ記憶。
悪かったテストを隠した記憶。
友達と連れ添って帰った記憶。
自分が前大事に抱えていたもの。
今はもうなくなってしまったもの。
少女の頬をいつまでも涙が伝い続けていた。
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