第11話 5-1 推論

 死神少女は途方に暮れていた。

自分の中の思いはあまりに大きく抱えるのにも苦労していたからだった。

死神になっても無感情になるというわけではないが、自分が見ていたものも映像をただ見させられているように感じられてどこか冷めていた。

けれども胸を満たすこの祈りは体の芯から延々と湧き出るものであり、初めて抱く熱量を持て余していた。

それが少しでも解消できればと思い気づくと足を運んでいだ。


 少女が扉を叩くと「どうぞ」という声が返ってきた。

背中を丸めるようにして入室するとすぐ横に控えていた上司にいきなり抱きしめられた。


「ああ私の死神さん。いつもの表情の君もピグマリオンが自ら愛した彫像を放り投げそうになるほどに怜悧で素敵だが切なく思い悩む君もまた正道を歩まんとする数多の英雄の運命を玩んだ悲嘆に暮れる女王を思わせるほどに危険で魅力的だ。どうして君は私を何度も狂わせるのかな。開いた花が萎むさまもまた比類なき美しさとは」


雨期を告げる雨によって干ばつから救われた獣のように跳ねる上司の言葉も少女の耳をただ流れていくばかり。

さすがの上司も少女の様子を訝しんで抱擁を解いた。


「中々重傷だねこれは。どうかな、一つ君の私に寄せる思いを打ち明けてはくれないか。なに、恥ずかしがることはないよ。そう、君の幸せにつながるならアトラスのごとき所業だって私はこなしてみせるとも。それに愛した相手の思いを抱える覚悟もなしに愛を囁くほど私も恥知らずではない。愛というものは相手の美点より欠点を多く知ってもなお相手を想えてはじめて愛足り得るのだから。私に君を受け止められることをこの場を以て証明したい」


少女は上司の変わらない長口上に毒気が抜かれていくように感じ、ぽつりぽつりと自らの形ない思いをたどたどしく言葉にしていった。

 長い時間上司は口も挟まず神妙に聞き入っていた。

だが、少女の話が終わるとみるや先ほどまで纏っていた沈んだ雰囲気を一瞬で変じさせて再び少女を抱きしめ、子供にするように持ち上げ回転した。

少女の結わえられた髪が少女の後を勢いよく追う。


「つまりは思いの対象がいないからこその苦しみなのだね。ならばその対象を仮初でもいいから作ってやれば一時凌ぎではあるが君の体も少しは軽くなる。やや、ちょうどいい所、君の目の前にうってつけの相手がいるじゃないか。これは重畳。流れてきた幸運をみすみす見逃しては幸運の女神も君に愛想を尽かしてしまうのではないか?」


何度も回った上司が満足げに少女を下す。

少女は今はないはずの吐き気を覚え、愛想を尽かしたといわんばかりににらみつける。

眩みとは無縁の身だが、単純に好ましくなかった。

そのまま深いため息を吐き出し、切り替えたように背筋を伸ばした。


「……何故今になってなのでしょうか」


「今?」


「私がこの職務を始めて何年にもなりますが、生前が絡んでくるのは一年前でも二年前でも、死神になってすぐでもあり得たのに。それに……」


自分の生前に絡んでいる相手は生を満喫して然るべき年齢のものばかり。

勿論死ぬ運命にあったから職務を果たしたことは確かだが死の方から近づいてくるような年齢では全くない。

死を受け入れるには早すぎる相手から生を奪っていることを少女は痛感していた。

さらに記憶を拾い集めるごとに膨れ上がっていく情緒に振り回されている。

自分というものを把握しきれず、続く言葉を紡ぎ損なった。


「いつになく感情的になっているね。そんなに悲しそうな顔をしていると言いたいことも分かってしまうよ。刈った相手があまりに若すぎること。それも一斉に死の運命が近づいていることを気にかけているのだね。私見でよろしければだがそれはきっと限界に近づいたからだよ」


「限界……ですか」


「そう。君の骨を後生大事に抱えている理由と繋がっているはず。君の骨を用いて何かしでかしたはいいがその何かももう持たなくなっている」


上司は一度言葉を切り、質問はないか無言で尋ねた。

少女はかすかに首を横に振る。

上司は息を整えて少女を見据え、少女の周りを悠々と歩き続けた。


「それは何か。死から逃れようとしたのだろう。そう考えると結論ありきだが辻褄は合わないか?君を用いて死ぬ運命を先延ばしにしたが永久機関ではないのか限度があった。だから一斉に運命が顔を出したというわけ。君との縁があるから君が誰よりも早く反応する上に彼らも君のことを見ることができる。どうかな?」


少女は自らをかき抱き、考えに没頭する。

上司の言う通り、結論ありきの仮説だが、今持っている情報を拾い集めたなかでは最もしっくりくる。

だが新しい疑問も同時に沸き、少女はいつの間にか一本の彼岸花を玩んでいる上司に向き直った。


「何故私なのでしょうか」


「それは分からない。成り行きかもね。はたまた君を私のもとに送り届ける運命の指先だったのかも。だとすると私は運命というやつを鎌で貫かなければ気が済まない。なにしろ、死者たる私に送り届けるのに避けられないとはいえ君に苦痛を与え、今も君に楔を打ち込んでいるのだから」


「私の生前について何かわからないのですか」


上司ならば自分を配属する際に何か知る機会があるのではないか、あるいは自分が犠牲になる理由について期待を込めたが、上司の反応は芳しくなかった。

上司は机から一枚の書類を取り出し、少女に見せつけた。

書面には何ら有益な情報は見受けられない。


「これは今度入ってくる子についての情報がこちらに回ってきたやつだけど見ての通りの手抜き仕事。適当にサルベージされてきたのを死神らしく手を加えるだけだから。君が……霊感能力に類するものを生前備えていたとしても私には調べられない。ああ一応言っておくとあまりに高すぎると持ち越すこともあるよ。そうした例も見たことはある」


「結局私はどうしたらよいのでしょう」


「職務に励みながら縁のほうから近づいてくることを待つことだろう。君が生前を知りたいと思うなら近づいた縁は逃がすべきではないよ。君が先に分かるというだけでまごまごしていると他の死神に刈られてしまうから。逆に言えば見過ごせば記憶を戻す術は当分失われ、生前を振り切るいい機会になるともいえる、かもしれない。今実感しているように必ずしも知ることで善い方向に進めるとは限らない」


上司は部屋中の彼岸花をまとめて一つの花瓶に活けると空になった花瓶を二つ持ってジャグリングを始めた。

少女には答えが出せなかった、思いつきもしなかった。

ただこの場にいても何かが変わることはないだろうという思いからふらふらと部屋から出る。

閉める間際上司に視線を移すとジャグリングをしていた花瓶は三つに増えていた。

上司は何か反応を期待するように少女を見つめ返したが無視して少女は扉を閉めた。

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