第10話 4-3 勘違い

 丑三つ時に入って春濱は壁を背にして息を整えることから始めた。

数珠を腕に通し、十字架を握り締めて祈るように深呼吸を重ねる。

彼はテレビも鏡も霊的なものがついてまわると言われているものは残らず処分しており、水場も夜間は近寄らない。

暗がりのない明かりをつけた広い場所でないと安らげず、電球がきれたばっかりの廊下などもってのほかだった。

丑三つ時が終わるまでの二時間の間出来ることは居間に籠ることのみ。

籠っている間でさえ壁や床を背にしなければ絶え間なく恐怖に苛まれる。


 己の心臓の音と静寂が痛みをもたらし、そのたびに意識を引き戻す。

カフェインが過剰に体にまわってきたのか吐き気と尿意が同時に降りかかった。

春濱は体の訴えを揉み消すようにタバコを体に差し込み打ち消し合う。

が、自身の体の違和感に気づいた。

打ち消す力が強すぎるのだ。

春濱はポケットの中にくしゃくしゃに押し込んだタバコの箱を手に取り、ため息をついた。

半ば夢の世界で買ったのはいつも吸っていたものよりタールの数値が高かった。

対策を集める行脚の中で恐れと連動するように吸うタバコもキツいものになっていった。

行脚を終えた春濱は落ち着きと共にいつものタバコに戻そう、と決めたのだが。

箱の中身を取り出すと握りつぶして放る。

くしゃくしゃになった箱はゴミ箱へ掠めて春濱から隠れるようにゴミ箱の裏側へと転がった。

足音を立てながら拾いにいき、背中を丸めてゴミ箱越しに拾おうと手を伸ばす。

すると足がゴミ箱を押しのけその中身を盛大にぶちまけた。

春濱の頭に血が押し寄せる。

今まで蓄積されてきた怒りは迫りくる死というぶつけどころのないものだったが今発火点になったのは目の前の物言わない小物。

激情のままゴミ箱を踵で二度ほど踏みつけると薄いプラスチック製のゴミ箱は容易く歪んだ。

頭の血を少し逃した春濱はゴミ箱を検める。

破損したが役割を果たすくらいはできる。

中身を詰めなおそうとして、その手を止めた。

呪いの撃退に失敗すれば死んで今やることは徒労になる。

成功したらすればいいのだ。

勢いよく床に腰を下ろした春濱は再度タバコの煙を可能な限り臓腑に収める。

脳の意識がぼやけた部位と変にさえ渡った部位が均される。


「奇跡の生還ってやつがそんなに気に入らないかよ、神様とやらよ」


 自分は何もしていない。

讃えられるようなことも咎められるようなことも。

一度だけ大きなことはあったが生きのびるために必要だったこと、外野から後ろ指を指される謂れはない。

誰だって同じことをしただろうと春濱は吐き捨てた。

現に自分の他にもいた。

緊急避難だから仕方がない、あの子には今でも悪いと思っているが仕方がない、自分が加担しなかったところで何も結果が変わらないから仕方がない。

自分には原理が分からないが高名な霊能力者だとかいうあいつが言っていたことだから十字架を背負う必要はない。

タバコを突っ込んだペットボトルの中の水が茶色く濁っていく。


 春濱は誰に聞かせるでもなく己の中の毒を言葉にして吐き出しづづけた。

毒が意識を支えていたのだろうか、吐き出し尽くすと鉛が詰まっていたような脳は軽くなり、眠気が襲ってきた。

恐怖で自分の意識を蹴り上げて時計を見ると四時を間近に控えていた。

春濱は安堵に肺の息を残らず吐き出し、引き出しの奥から骨を取り出す。

小さく、ともすれば何かの拍子に飲み込んでもおかしくないほどの。

春濱は光の反射で遊ぶように骨を回しながら眺めた。

突如骨が指先で震えた。

春濱は思わず取り落としたが、それは錯覚であり、部屋中が激しく揺らいだ。

立てなくなるほどではないが、物が落ちてこないかと不安を覚えた。

事実不安の通り、天井に届くほど高い、立て付けが甘かった棚は傾き中身を勢いよく吐き出した。

棚は机にもたれかかるようにして止まったがそこには春濱が恐れた陰が、闇があった。

そして、わずかな闇が不吉を産み落とす。

溶けていたものが浮き彫りになるようにして現れる。


 それは闇から出てきたものでは思えない白い髪に己を見下ろす赫い目。

春濱は吸血鬼を連想したが、目の前にあるのは奪うものこそ違えど、命を啜りあげる存在なのだ。

十字架を掲げ聖水をぶちまけるが体を通り抜けるばかりでものともしない。

春濱には爛々と輝く赫が今にも溢れんばかりの激しい怒りを湛えているように見えてそれ以外が目に入らなかった。

振り下ろされる鎌に気づくこともなかった。


 上司の訓告を受け止めていつも以上に厳粛に務めを終えた少女は散乱していた部屋を見渡した。

その中から指の骨を見つけ出し自分の指を宛がい比べると中指に重なった。


 少女は気が付くと天井に向かって手を伸ばしていた。

時折しているように。

少女は思い出した。

月に手を伸ばしているのは最期にしようとしていたことだった。

どうしてそうしようとしたのか分からず少女が頭を捻っていると、風が通り過ぎるように祈りが少女を撫で去っていく。

この先も幸せかどうか見守りたい。

誰に向けてかも分からない祈りが胸を満たし、少女はただ立ち尽くした。

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