第3話 2-2 鈍く光る

 雨出長義は日に日に目減りしていく通帳の数値を忌々しげに睨みつけた。

このままでは家賃を滞納し、果てには路上に打ち捨てられる定め。

いくつも積み上げられたキャンバスを通帳とは打って変わって愛おしそうに撫でた。

流れていくニュースではタイミング悪く画家の絵が何億円もの値段で落札されたことを伝えている。


 雨出はテレビを消すとリモコンを後ろに放り投げた。

先のニュースで映っていた絵と自らの子供を見比べる。

贔屓目を抜きにしても劣ってはいないはずで正直に言えば数段優っている。

大方画商が投機目的で価値を釣り上げているだけなのだ。

物知り気にコメンテーターが評価し、ゲストがそれにしきりに頷いていたが彼らが美術の何を知っているのか。

ゴッホやモディリアーニといった画家と自らを一瞬重ね合わせたが、そこまでは自惚れていないと首を激しく振った。

自分が死後評価されるとは思えないが評価されずに生を終えた画家と今持ち上げられているあれとは何が違って結果が別れたのか。

どうして自分は後者になれなかったのか。


「だとしたら世の中の方がおかしいんだ。間違っているのはあいつらだ。あいつらの見る目がないせいで」


思わず漏れた独り言を雨出は誰かに聞かれなかったか確かめるように周囲を見回す。

だが今自分がいるのは自室で聞いているものなどいるはずがない。

自らの滑稽さに乾いた笑いを室内に数秒轟かせむっつりと黙った。


 雨出は重くなった頭に悩まされながらも重い腰を上げる。ゴムの紐が緩んだズボンを抑えながらベランダに出ると、タバコに火をつけた。

口腔を通って肺を突く感覚が考え事に適していて好きだった。

今となってはタバコを吸わないと考え事すら覚束ないように体が記憶してしまっているが。


 考え事の議題は先程の独り言だった。

独り言の後周囲を確認したのは恐れていたからだ。

では何を恐れていたのか。

恐れたのは先ほどの独り言に対して自分が間違っていると思えなかったことだ。

あの言葉を続けていれば自己憐憫に浸ってただ呪いを吐き続けていたに違いない。

日に日に性根がねじ曲がっていくのを自覚し、その果てを想像した。

それは世の中に自分の溜まった鬱憤をぶつけることであり、最も戒めたことだった。

なぜなら自分が世の中に害を及ぼすと無意味になってしまうものがあったからだ。

無意味にしてしまわないことが生かされた自分に対する最後の一線だからだった。


 雨出はタバコを灰皿に突っ込むとベランダの縁に寄りかかって覗き込む。

数メートル下、硬いアスファルトの地面が雨出を迎えた。

あと僅かに乗り出せば全てが終わる。

呪いを育まず、無害な存在として終わることができる。

だが体が落ちたのは宙ではなくベランダの地面だった。

そのまま雨出は腰を上げることができず、へたり込んだ腰のまま俯き祈った。

自分で終わらせることはできないがこのままでは溜め込んだものが破裂する。

どうか歪み果てる前に幕引きにしてくれないか。

刃の鈍い光が雨出を照らした。

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