第2話 2-1 上司

 死神少女はため息をついた。

一仕事終えると帰投命令が出たからだった。

あの上司とは馬が合わない。

いい加減で関わるようになってそれなりの時間が経つが距離感を掴もうともしない。

嫌悪感を催させるような相手ではないが、どうにも苦手だと堂々巡りの果てに締めくくった。

そんな考え事をしてしまうのも扉を隔てた先にいるからだと扉を仇敵のように睨みつける。

少女が服を正し、扉をノックすると「どうぞ」と鈴が鳴るような声が返ってきた。


「失礼します」


「やあやあよく今回も無事に仕事をこなしてくれたね私の死神さん」


浮いた物言いに少女は呆れた表情を上司に向けた。

だが、上司は悪びれもせずに千鳥足のような規律を忘れた足取りで少女に歩み寄る。

華美かつ厳かな設えの執務室とはまるで噛み合っていない軽い調子であり、余計に悪感情を煽るものだった。


「危険はありませんしあなたのでもないです」


「今はね」


上司はあっけらかんと笑った。

黙っていれば紛れもなく美人の類であるのに性格がそれを台無しにしている。

少女は目の前の存在のちぐはくさに何度目かわからない眩暈を覚える。

 透き通った肌に怜悧な美貌。

後ろ髪が髪型など知らぬとばかりに肩に少し足らない程でばっさりと断たれているのは気になるが、それがかえって品のある人形のような印象を与える。

口を閉ざしていれば。

上司はへらへらと笑いながら室内を歩き回る。

生けてあった彼岸花を一本手に取って慈しむように眺め、口に含んだ。


死神の稼働年数は見た目によらない。

少なくとも目の前の人物は上に立つくらいには永らえているのだろうが、行いは伴っていない。

少女は上司という存在を測りかねていた。


「ああそう、報告にあった通り甲は君の生前に関わっていたかもしれないとか。ロマンスだね」


「はい。記憶はまだ戻ってないですが」


「それはいい。死神として存在した時間は生前より長くなるから変にホームシック拗らせるだけさ」


生前の記憶に直面する機会があったということを特に驚いていない上司の様子から少女はおずおずと尋ねた。


「その、貴女は生前を覚えているのですか」


上司は少女の問いかけに勿体ぶるように頷き首肯した。

ゆっくりと歩み寄りながら少女の手をとる。


「私がこうなったのは二百年前だったか三百年前だったかあるいは四百年前かはたまた地球が生まれる前だったか。ああそう宇宙が生まれる前も知っているから最後は違うな。まあとにかく生前の時間など些細なもの」


少女はやはり上司への対応に困り、曖昧に頷くことにした。

話している様子はいかにも他人事で年月は彼女にとってプラスなのかマイナスかさえ判別できず、立場の上下もあるがとるべき対応さえ迷う始末。


「生前に後ろ髪引かれて耐えきれなくなった子も多くてね。そこで私が慰めてあげるという訳だ。忘れさせてあげるよ」


「遠慮しておきます」


少女の戸惑いもよそにすぐにアプローチをかけてくることが上司に苦手意識を抱かせる。

固辞したにも関わらず上司は少女に抱きついて離れない。


「報告の他にもセクハラという概念も思い出しましたよ」


「ここは此岸ではないし私が法みたいなものだ。それが嫌なら君が昇格して設立するしかないが出世の最短経路は私との同衾になるね」


「……もういいですか」


「待ちたまえよ。私も思い出したことがある。何で君を呼び戻したのかというと……そうこの彼岸花美味しくないね。味がするようにしておくれと一人でも多く働きかけてくれないか」


「私たちの感覚は欠け落ちていますから」


「だからこそ美味しく感じたいと言っているじゃないか。それに君の求めている手助けになるかも。ああマドレーヌを紅茶に浸して食べたくなってきた。この思いは40年ぶりかしらん、なんてね」


「……本題は」


少女の我慢の限界を悟ってか上司は素早く距離を取り、憮然とした表情で口を開いた。


「……ないよ」


沈黙が部屋を満たす。

顔を合わせる度振り回されてばかりだが、今日に限っては一段と激しい。

少女の頭は鎌で串刺しにして風通しをよくすれば上司の沸いた頭も少しはマシになるだろうかとも思い至る。鎌を握る力が自然と強まった。


「こうして話すのが目的。さっきも言っただろう?生前に惹かれてダメになると。だから現状の確認と必要ならばメンタルのケア。まあ残念ながらその必要はないみたいだがね」


「そうですか」


「だからその鎌を振り下ろされては堪らない。詫びがてら一つ教えてあげよう」


上司は一度言葉を切り、山奥に潜む隠者のように重い表情を作って言葉を続けた。


「こういうのは引力があって君が完全に思い出すのは遠くない……かもしれない。それがいいか悪いかは別にして」


「一つ聞きたいのですが」


「なんだい」


「遠くない、というのは死神基準でしょうか」


「うん、バレた?私が最初に記憶の欠片を手に入れてから次に手にしたのは季節が巡りに巡って季節がそれを忘れたくらいになった時のことだったね」


上司は舌を出して笑った。

少女は鎌を振りかぶり、下ろす。

上司は柄を白刃どりしようとするが止め損ねて指先をぶつける。

床に転がる上司を尻目に少女は体裁上声をかけて部屋を出た。

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