死神少女、リベンジ!
うらなりLHL
第1話 1 キキーモラ
死神少女は電信柱の上で月に手を伸ばす。
今なら手が届くような気がしたけれど死神となってもまだ遠かった。
今なら?
少女は首を傾げた。
曰く死神は元々人間だった。
曰く死神は生前の記憶がない。
曰く死神は強く未練を残して死んだ者。
死神というのは此岸を生ききらなかった者への罰だと上司は言っていた。
いい加減な上司の言うことであって真偽は疑わしいが、逃したものを分からないまま彷徨い続ける刑罰なのだと。
自分にとっての未練が何なのか、見当もつかないままに今月に手を伸ばしているのは生前の残滓なのだろうか。
職務を全うしていく中で生前の記憶が戻ったことはないが、ただ時折職務には関係のないことへの衝動が沸き起こる。
生前を呼び起こすきっかけになるのかもしれないから拒む理由もなかった。
だが、それは光に誘われる蟲のようだと電信柱から降りた先、街灯に群がる虫を見て自嘲した。
正直生前に対する未練はなく、好奇心によるところが大きい。
時間は限りなくあり、何かを思い出すまで焦ることなくやっていればいい。
そう思った矢先に郷愁という言葉が近い、抗い難い念が少女を通り過ぎた。
経験したことのない感覚。
頭が戸惑う中で足取りだけは確かなものになっていく。
やはり自らは蟲のようだ。
少女は一度だけ振り返ると光に焦がれた蟲は街灯にへばりついていた。
林河原勝平は己のスローガン『死は恐れより弱い』がスタジオに掲げられていくのを誇らしげに眺めた。
いくつものベストセラー。
電車の中でも自らの広告を見ない日はない。
起業の生産価値が一番高いのは決意した瞬間、気持ちのいい言葉が求められている時代、妬みから成金と陰口を叩く者も多い。
言われていることは事実その通り。だが正真正銘ゼロから駆け上がった民衆の英雄でもある。
畳みかけるようにスパッと切り捨てる口調に縋る世間の声も多い。
競争勝者の神輿として担がれたのが始まりではあるが役割に忠実であることで名実共に勝利者となったのだ。
林河原は多くの聴衆に見られていることに昂りを覚える。
彼らは自分の価値の証明であり、また彼をもっと高みに押し上げる礎なのだ。
「つまりですね。何事にも全力でぶつかってダメだったら死んで終えればいいんです。いつでも死ねるからこそ今日を全力で生きていける。シオランとはノリが合いませんがこればっかりは私も彼と酒を酌み交わせる。そう思うだけでそうあれない人達より一歩先を行くんですから上手くいく。例えるなら携行ジェット機を僕だけが持ってレースをしているんです。いやこれは比喩ではないですね、実用されたら真っ先に私にリースしなさい。魁となって自由に羽ばたいてごらんに入れますよ」
大きく翼を広げるような身振りに聴衆がどっと湧く。
彼は自らで言った通りある日を境に全力で生きている。
うだつの上がらない昔とは文字通りさよならを告げた。
死ななきゃ安いなどの言葉は多々あるが実感が伴っているのは自分くらいのものだという誇りがあった。
収録を終え、地下駐車場に向かうさなか、廊下ですれ違う人間が横へ退いていく。無上の心地よさに林河原の背筋は震えた。
ここは放送局で彼らはそこに勤めている。
彼らの城で自分はそこに入らせてもらえている側に過ぎないにも関わらず、主人のように闊歩するのは自分なのだ。
地下駐車場には外に発信することを旨とする業界の特徴故か豊かさを誇示するような車が見られる。
しかし、その中でも己のものは一目でわかる。
錦の御旗の役割に違うことのないように、ということもあるが燦然たる勝者の証。
上機嫌で車に乗り込んだところで林河原の無意識が何かを捉え、高揚した意識に冷や水をかけた。
注意深く異常を見定める。
これに失敗すれば破滅するのだと直感していた。
視界の端、サイドミラーに点のようなぼやけた輪郭が揺らめく。
輪郭が確かになる前に点から突き出た鎌が光を照り返した。
不吉の象徴を目にして林河原の心臓の鼓動が早鐘のように体に響き渡る。
他の人間より死を意識していればこそ取り立てに来たのだと分からざるを得なかった。
林河原は一度胸を叩くと焦りとは無縁の手つきで車を発進させた。
少女は自分から逃げていく車に面食らった。
自分を見ることができる人間は限られている。
見える人間は他の人間とは共有できないものを持っているからか大抵どこか陰があるが、あの俗物的で精力的な男は正反対に位置するようなものだからだ。
少女は首を軽く傾げたが悩む時間も惜しくなり歩みを早めた。
林河原は何処ともなく車を走らせ続けていた。
常に死神に見られているような気がしたから。
車を止めた瞬間に肩を叩かれるかもしれない。
まだまだ欲は渇いて仕方がないのにどうして自分に降りかかってくるのか。
タワーマンションの最上階も郊外の別荘もブランド物の装飾品も彼の逃避行には無力でしかない。
車を走らせながら制限速度というものをひどく恨めしく思う。
如何に遵守しても死んでしまえば何の意味もなく、破れば仮に死神を振り切ったとしても自分の積み上げてきたものが無に帰す。
執拗にサイドミラーを確認し、影が見えないことに安堵の息を漏らし己の不運を呪う。
だが、今まで神の気まぐれが林河原を護っていたことに彼は気づけなかった。
淀むことなく順調に走れていたが突如一度、二度、三度、赤信号に捕まる。
赤信号に捕まることはありふれたことだと分かっていても嫌なことは目につくもので林河原には凶兆に感じられた。
兆しだけでなく事実、自分が止まっている間に死神は距離を縮めてくるのだ。
クラクションを叩きたくなるのを堪えて滲む脂汗を拭う。
サイドミラーにぼんやりとしたものが映る。
思わず仰け反り目を凝らすとそこには何も映っていなかった。
幻覚だと自らに言い聞かせるが、死神に物理法則が適用されるとは思えないという自分の中のもう一つの声を振り払えない。
信号が赤から青へ切り替わった瞬間一ミリでも遠ざかりたいとばかりに林河原の気持ちは逸った。
自分の思う以上に速度が出る。
前の車にズームしていく。
慌ててハンドルを切る。
車は逸れたが電信柱が目の前に大きく迫って。
少女が到着していたのはしばらく後のことだった。
電信柱に勢いよく激突した車は大量の煙と火を天に届けている。
人集りの中をすり抜けて手にした鎌で此岸に残った魂の僅かな結びつきを断った。
瞬間、少女の体は何かに声をあげた。
何かを理解することは叶わなかったものの少女は確信を得た。
どういう理屈かは分からないが自分の生前、未練に関わっている人間を感じ取っている。
それならば自分の体に従えば記憶が分かるはず。
手がかりはないかと炎上している車に目を向ける。
すると今は無いはずの吐き気を覚え、思わず目を背けた。
蟲はこの光にも集うのだろうかという考えが少女を通り過ぎていった。
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