女神に選ばれし男
「さすがはコトリちゃんだな。知恵の女神はダテじゃない」
「そうでもないで」
コトリちゃんには感謝している。わたしは尾崎の心の傷を癒すカギは高校時代にあると見ていたのだ。もちろん小学校時代に遭ったイジメが最大の原因だが、その傷を尾崎は時間をかけ癒していた。
癒された尾崎が活躍したのが写真甲子園だ。あの時の尾崎に影はなかった。影を背負って、あのセカンド・ステージの写真は撮れない。癒された尾崎の傷が開いてしまったのが翌年の部長時代だ。
尾崎はその傷さえ癒そうとしていた。そして見かけ上は癒されていた。そうでなければ去年のハワイはあり得ない。しかし、心の傷口はそう簡単に完全には癒えないのだ。とくに部長時代のダメージは確実に残っている。
心は深く傷ついてしまうと癒したと思ってもすぐに開いてしまうのだ。一度開くとそれを閉じるのは容易ではない。今回の傷口の原因は高校時代のはず。そこを癒し直させれば尾崎は復活するはずと考えたのだ。しかし、そのためにはカネと手間がかかる。
カネはオフィスでもなんとかなるが、手間はオフィスでは無理なのだ。だからコトリちゃんの力を借りざるを得なくなった。わたしがやろうとしたのは追体験だ。高校時代の心に尾崎を戻し、そこで心が再び傷ついた原因を尾崎に見せ、それが尾崎を傷つけようとしたものではないことを知ってもらうのだ。
そこで、わたしが考えていたのは、南が心残りにしていた追い出し会をすることであった。そこに尾崎を参加させることによって、昔に戻らせ心を解きほぐそうだった。
しかしコトリちゃんはそれでは不十分と見たのだ。そのために映画監督の滝川漣を担ぎ出したのには驚かされた。そうだ、コトリちゃんは尾崎の心をより念入りに昔に戻す必要があると判断したのだろう。
よくあの滝川漣がこんな企画に協力してくれたものだと思う。とにかくあのビックリ箱だからな。その点の不安は無かったかと聞いたのだが、
「そうでもなかったで、むしろ面白がってくれたわ」
単純には十分な製作費を提供したからだろうが、滝川漣にも感謝だな。コトリちゃんに聞く限り、あの滝川漣がほぼ当初構想通りの作品を作り上げているらしい。
「まあな、でもそれがミサトさんの人徳、本性やと思う。それが見えるのが滝川監督や」
コトリちゃんの意見に同意する。尾崎はイジメ体験の後に変わったとみるべきだ。圭角の多かった性格を、快活な誰にも好かれるものに変えている。そうなのだ、尾崎は引き籠りになってもイジメと戦い続け、イジメをはね返していたと言える。
そして自分を磨き上げた。よくぞ、あそこまでと思うほどだ。わたしの知っている尾崎は明朗快活、誰にも好かれ、愛される女に変わっていた。思いやりも強く、献身的でさえある。
それでも残ってしまったのが過剰すぎる自己武衛で、他人の些細な過ちに反応してしまうのだ。これさえも自制していたのだが、噴き出してしまったのが部長時代と見て良いだろう。
だがあの時は南たちの過ちですらない、あえて言えば行き違いだ。行き違えならば修正可能のはずだ。修正するためには可能な限り、あの時代の心に尾崎を連れて行ってやらないとならない。
そういう微妙な心理描写は滝川漣の得意とするところだ。だら、むしろ好素材を提供したと見るべきかもしれん。
「だから滝川漣だったのか」
「他の奴やったら無理やろ」
摩耶学園の写真部仲間や大学の写真サークルの連中も良くやったと思う。声を掛けたら二つ返事でOKだったからな。とくに摩耶学園の写真部の連中は全員出席にこだわりまくっていた。
尾崎よ。お前の本性はそれなんだ。これだけの仲間が助けたくなるのが尾崎だ。だからこそユッキーはあれだけ目を懸けたし、コトリちゃんもそうだ。わたしもマドカもそうだ。誰もが尾崎に一緒に居て欲しいのだ。
尾崎に残るのは小さなトゲだ。でもわたしは尾崎を責める気は起こらない。わたしもまた加納志織時代はそれに苦しんだ。あれを克服するのに、二度もカズ君のお世話になっただけでなく、死ぬまで守って癒してくれた。
カズ君の献身がわたしを甦らせ、ここにいる。尾崎のトゲはまだあるやもしれぬ。それぐらいイジメの心の傷は大きかったはずだ。だから、このままでは、いつ再発するかわからん。
「伊吹に期待しているが」
「コトリもや」
伊吹の尾崎を想う気持ちは本物と見ている。だからわたしは伊吹に託す。願わくばカズ君の代わりになって欲しい。伊吹なら出来るはずだと信じたい。
「伊吹君はエエ奴やけど、カズ君のそのままの代わりは無理やで。それもシオリちゃんは知っとるやんか」
まあそうだ。カズ君の心の広さは、生来の物もあるが、みいちゃんとの悲惨な失恋経験にもある。それを乗り越えてわたしを迎え入れてくれた。
「それだけやない、あのユッキーさえ迎え入れたんや」
はははは、そうだな。コトリちゃんに聞く限り、ユッキーの相手をするのは半端な覚悟では無理そうだ。あれこそ世界一のツンデレであろう。なにしろ、そのツンは氷姫のツンだからな。
「今でも不思議と思わんか。氷姫がユッキー様になったんを」
聞けば聞くほどそうだ。ユッキーは首座の女神、氷の女神であり、決してその姿勢を崩したことがないとまで言われていたそうだ。その素顔を見せるのは次座の女神であるコトリちゃんの前だけとされているぐらいだ。
三座や四座の女神の前ですらほとんど見せなかったと聞く。そこまでの首座の女神をユッキー様にし、さらに可愛いユッキーにしてしまったカズ君とは何者だったんだろうか。
「人だよ人。偉大過ぎる人だよ。なにしろ今でも首座の女神はユッキーのままやんか。ああなってくれてる方がコトリは嬉しいけどな」
ユッキーの記憶が始まって五千年後にたどり着いた偉大過ぎる人がカズ君とはな。ここでコトリちゃんがビールをグイッと飲み干して、
「違うで、カズ君も偉大やったかもしれんが、本当に偉大なのは人や。そんな偉大な人を女神は選ぶ。まあカズ君はエレギオンの三女神を渡り歩いた超弩級やけどな。あんなのは二度と現われん気がする」
古代エレギオン時代の女神の男たちは素晴らしかったと聞く。だが現代の女神の男も決して劣っているとは思えない。違いは時代が求めているものの差であろう。女神の男とは、女神に一点の曇りなき愛を捧げられる者。そんな男であるから女神も渾身の愛を注ぐぐらいで良いはずだ。
「コトリちゃん、女神には女神の男を選ぶ能力があるのか」
コトリちゃんはお代わりしたビールを飲みながら、
「あるのかもしれん。コトリの知っとる限り、女神が男を選び間違えたことはなかったはずや」
かもな。わたしのさして長くもない記憶で最大の失敗は坂元だが、あれはまだ女神が宿る前だ。宿った後はカズ君しか見えなかった。サトルもそうだ。見た瞬間から気に入り、麻吹つばさはバージンのまま結婚したぐらいだ。もちろん女神とて失恋はある。それでも選んで結ばれた相手に失敗はない。
「アカネですらそうだった」
「すらは失礼やろ。タケシさん以外は見向きもせんかったで」
また一本取られたな。ただアカネはまだ人のはずだが、
「ここもわからんとこが多いけど、女神が恵みを施した女にも女神の男を選ぶ能力が発生している気がする」
わたしが知る範囲で女神が恵みを施した女は、アカネ、マドカ、それと相本教授ぐらいだが、誰もが素晴らしい伴侶を得ているし、幸せな結婚生活を送っているはずだ。
「五千年の間にチョコチョコおるけど、コトリが覚えてる範囲やったら、だいたいそうやねん。例外はなかった気がする」
コトリちゃんが尾崎に施した女神の恵みの全容は、わたしではすべて見ることが出来ない。わたしでもわかるのは、まず人並み優れた記憶力と理解力だろう。あのお蔭で二年への進級試験をクリアしているし、これから臨む前期試験も心配していない。
それとあの美貌だ。アカネと違い別人にするほどの必要はなかったが、わたしも目を疑いそうになったほどだ。あれはまさに妖精として良いだろう。まあ、あの美貌があったからこそ滝川漣もモチベーションとイマジネーションが膨らんだはずだ。
さらにだが、尾崎の美貌と若さは変わらないはずだ。そうだな、せいぜい二十代の半ばぐらいにしかならないとして良い。それはアカネを見るだけでわかるし、相本教授もそうであると聞いている。
「尾崎が選んだ伊吹も女神の男だろうか」
「可能性は高いはずや。ミサトさんは会った瞬間から魅かれてる」
尾崎の伊吹への想いは強い。あれは尾崎が選んだとしか言いようがない。伊吹も知っているが、尾崎への想いに着実に反応しあの献身だ。ただ尾崎も伊吹もまだ若い、そのうえ学生だ。結婚となるとまだまだ遠い話だが、あの二人なら可能性はありそうだ。
「まあな。本物の女神の男やったら、一度結ばれたら、二度と離れんやろ。そして、カズ君とはやり方は違うやろけど、ミサトさんを死ぬまで癒し続けてくれるはずや」
「二人に幸あれだな」
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