恐怖のバイト代

 どこぞの世界にオフィス加納のプロの仕事のバイトがあるっていうのよね。次々に渡される仕事って、ガチの本業じゃない。どこも名前の通った一流企業の、それもどう見たって本気の仕事。あれ一本でいくらするんだろうって代物だよ。ホンマにミサトでエエんかいなと思うけど新田先生は、


「尾崎さん、良く撮れています。合格です」


 サラサラっと見ただけでオシマイ。もっとも仕事は慣れて来ると面白くなって来て、スタッフたちの呼吸もドンドン合ってくる感じ。色んなことが出来ることがわかると、アイデアがいくらでも湧いてくるのよね。それを写真にしたら、


「尾崎、おもしろいだろ。お前なら、もっと、もっと撮れるぞ」


 色んな仕事をさせてくれた。芸能人の仕事もあったけど、初めて撮ったのが岩田鉄太郎。そうあの『岩鉄』。見るからに怖そうで、芸能界でも強面で通っている個性派俳優。さすがに怖かったけど麻吹先生は、


「ああ、会えばわかる」


 ビビりながらスタジオに行ったのよね。実際の岩田さんも迫力満点の人でまさに大物って感じ。付き人みたいな人もビシッとして怖そうだった。とりあえず挨拶しに行ったのだけど、向こうから席を立って出迎えてくれて、


『若いねぇ、羨ましいよ。その歳でオフィス加納の看板を背負えるなんて大したものだ。良い写真をお願いしますよ』


 見た目と違って腰が低くて優しい人で、娘か孫みたいに可愛がってくれた。聞くと売れない時代が長かったみたいで、ホントの苦労人で良さそうだった。サインをせがんだら嬉しそうに書いてくれたのだけど麻吹先生は、


「岩鉄にサインをもらったのか。あの男はサイン嫌いでな。よほど気に入った相手にしかしないよ」


 対照的だったのは緑川翔太。そう爽やかさで大ブレーク中のアイドル。こっちの仕事はロケだったんだけど麻吹先生が、


「尾崎、申し訳ない。どうしても人の都合がつかんのだ。だからカツオも行かせるし、現場で何が起きても、すべてわたしが責任を取る」


 なに言ってるかミサトにはわからなかったんだよ。ミサトはあの緑川翔太に会えるとルンルンで出かけたんだけど、行く途中に磯野さんから、


「もし、何か言われて腹が立ったら、こんな感じで答えてね。その後はボクが責任を持って処理する」


 なんだ、なんだと思いながら現場に着くと、椅子にふんぞり返って、付き人に腕や肩を揉ませてる緑川が見えたんだ。それも揉みかたが悪いとかなんとかで、小突いたり、蹴飛ばしたり。見るからに横柄そうで嫌な感じ。でも仕事だから挨拶したら、座って足を組んだまま、


「はぁ、お前は誰だ。オレを撮るなら麻吹つばさか泉茜ぐらいを連れて来い。こんな小娘じゃ話にならん」


 いきなりでムカッときた。周囲の人が宥めにかかったみたいだけど、


「あんなやつに撮られたら恥だよ、恥。緑川翔太の名前に泥が塗られる」


 そりゃ、ミサトは無名で小娘だけど、


「まだいたのか、目障りだから消え失せろ」


 よほど言い返してやろうと思ったけど磯野さんの言葉を思い出して、


「わかりました。その通りにさせてもらいます」


 磯野さんは撮影隊を引き揚げさせながら、向こうのプロデューサーと談判。帰ってから麻吹先生に、


「ご苦労さん」


 どうなったかと聞くと、あれで撮影はキャンセルになっただけでなく、ドタキャンだからキャンセル料は満額だって。でもそんなことをしたら、向こうの芸能事務所との関係が悪くなるって心配になったけど、


「困るのは向こうでうちは困らない。それだけだ」


 オフィスに撮ってもらいたい芸能事務所はいくらでもあるし、緑川の所属する事務所もそうだって。だからオフィスに今後の撮影を拒否される方が大問題になるそう。


「緑川の仕事は初めてだったのですか」

「前の時はマドカがやった。あの手の連中にマドカは容赦がないからな」


 それ知ってる。ミサトも見てたけど、なんて言うのかな、武道の気みたいなもので相手を萎えさせてしまう感じ。反吐が出るほど高慢だったのが、見る見るうちに、青菜に塩というか、借りてきた猫みたいになってたもの。


 芸能界はとにかく『売れる』ことに絶対の価値観が置かれる世界だそうで、売れてる間は王様のように扱われるそう。とくに緑川のようにポッと売れたりすると、周囲がチヤホヤし尽くすから、ああなりやすいんだって。


「あいつも長くないだろう。若さを武器にブレークした者は若さに敗れるってことだよ。あの程度なら代わりはいくらでもいるってこと。生き残りたいなら人気のあるうちに新たな武器を身に着けなければならないが、それが出来る奴は少ないものさ」


 緑川の傍若無人ぶりも業界では有名みたいで、トラブル・メーカーとして知られてるそう。それでも売れてるうちは大事にされるそうだけど、芸能界で生き残るには『芸』が必要ぐらいかな。緑川の芸は若さとイケメンだけど、それだけじゃ、すぐに賞味期限がくるそう。


 その辺はミサトにもわかる気がする。アイドルって毎年のように量産されるけど、十年と言わず、五年して生き残っているのはホントに少ないもの。すぐに、『あの人は今』になっちゃう感じ。


 なんとなくミサトを使って緑川を切らせたような気もするけど、それぐらいの芸当は麻吹先生なら朝飯前だものね。あの手の芸能人は麻薬とかにすぐに手を出すから、その辺の噂も入っていたのかもしれない。麻吹先生もエレギオンの女神の一人だから、それぐらいの情報は手に入って不思議ないものね。



 それでもってバイトだけど、三週目に突入。ミサトは困ってる。なにに困っているかと言えばおカネ。そりゃホテルと飯代は出してもらってるけど、これだけ長期になると細々したものが必要になるんだもの。


 お菓子も食べたいし、ジュースも飲みたい。シャンプーやリンスやボデ・ソープもホテルのばっかりじゃイヤだし、化粧品もいるじゃない。ついでに言えば服だってね。ところがミサトの小遣いは来る前からピンチで今やスッカラカン。


 もう少しでバイト代が出るはずだけど、財布の中には小銭しか残ってないのよね。ミサトは計算してたんだけど、だいたい週に四十時間以上は働いてるはず。時給は一本って麻吹先生は言ってたから、これを千円と考えると十万円以上になるはずなんだ。


 だから前借というか前渡しの交渉を事務とやったんだ。せめて一万円ぐらいは融通してくれないとニッチもサッチもいかないんだよ。ところが事務は認めてくれないんだ。そう言われても困ってるから頑張ってたら、


「尾崎、どうしたんだ」


 小遣いがピンチの事情を話すと、


「あははは、そうなのか」


 笑い事じゃないぞ。今ごろは、本来行くはずだったバイト代が手に入る予定だったんだから。


「それは悪かった。とりあえずいくら欲しい」


 指一本立てたら、笑いながら、


「さすがに手持ちに無いから、これで我慢してくれ」


 じゅ、十万円! 指一本ってまさか・・・ハワイの時のことを思い出した。あの時も麻吹先生たちの指一本は一万ドルだったけど。


「ミサトのバイト代って、いくらなんですか」

「だから最初に言ったろ、仕事一本につき一本だ。安いが我慢してくれって言ったじゃないか」


 えっ、えっ、えっ、


「時給千円じゃないのですか。下手すると百円じゃないかと心配してたのですけど」

「専属契約なら基本給に一本当たりの歩合が付く。だが尾崎のバイト代は悪いが格安にさせてもらっている。まあ勉強代と思ってくれ。次はもう少し考えておく」


 えっと、えっと、何本仕事したっけ。この調子なら二十本ぐらいになるはずだけど。ウソでしょ、冗談でしょ、二千万円だよ、二千万円。それも手渡しって言ったから二千万円の札束が出て来るんだよ。そんなのテレビでしか見たことないよ。


 これで格安っていうのだから、麻吹先生たちはいくら稼いでいるんだろ。だから指一本で百万円とかのトンデモ金銭感覚になるのだけはわかった。その割に普段は妙にケチくさいのは置いとく。



 ・・・ん、ん、ん、待てよ、ここはオフィス加納なんだ。それも覚えた。オフィスの撮影現場はガチの真剣勝負の場、そんなところにミサトみたいなのが放り込まれれば、殺されそうな修羅場になるのも骨の髄まで教え込まれた。


 けどね、そこを離れると和気藹藹すぎる不思議なところ。ちょっとでも油断すると金タライが頭に落ちて来るし、気が付くと騙されて笑い者になってるなんて、日常茶飯事なのよね。もちろん悪気なんてなくて、ただただ笑いたいだけ。とにかくやるとなったら、大掛かり過ぎてなにが本業かわからないぐらい。


 ミサトがやられたのなら、自販機でコーラを買って飲んだら、中身がそうめん汁で悶絶させられた。あれってだよ、いったいどうやったか見当つかないけど、わざわざ中身を気づかれないように入れ替えてるんだよ。


 さらに念入りなのは、それが自動販売機から出て来たこと。それもだよ、他のスタッフが先にコーラを買って、その次に買ったミサトのがそうめん汁だったんだよ。どれだけ手間ひまかけているのかわからないぐらい。


 だから麻吹先生に貰った十万円も念入りにチェックした。良く見たら子ども銀行券ぐらいは普通にやらかしかねないもの。明日になったら木の葉になっていてもオフィス加納なら驚かない。



 わかったぞ、わかったぞ、全部担がれてるんだ。そうだよ、普段あれだけ親切にミサトの相談に乗ってくれる事務が、たった一万円の前借というか、前渡しをあれだけ渋ったのが怪しいじゃない。


 そう考えると、あそこに麻吹先生が通りがかったのも怪しいと見るべきだ。あのシチュエーションならバイト代の話になるから、二千万円の話を匂わせておいて舞い上がらせておくつもりだったはずだよ。そうしておいて、喜び勇んでバイト代を取りに行ったら、空の封筒を渡されて、


『麻吹先生が既に立て替えておられます』


 これをやるつもりだ。いや、もっと手が込んでるはず。あれはきっと十万円だったのに意味があって、二千万ぐらいを期待しているミサトの前にドンと札束を積み上げるつもりのはずだよ。


 三週間分のバイト代だから、十二万円ぐらいのはず。つまりはまだ二万あるから、札束の表に一枚ずつ置いて、一千万の札束を二つ並べて見せるってやつだ。大喜びでミサトが確認しようとしたら中身は紙切れってパターン。だから麻吹先生はわざと十万円にしたんだよ。まったく芸が細かいったらありゃしない。


 いやあのパターンもある。どこの通貨かしらないけど、ボリバルってのがあって、一円が二千ボリバルぐらいだったそうなんだ。紙幣は最大で百ボリバルらしいけど、一円で紙幣二十枚ぐらいになるじゃない。それで二万円分になったら四十万枚だよ。その手のパターンを弟子が喰らった話も聞いたことがある。


 これをやられると辛いな。もらっても運ぶのが大変だし、日本円に変えるのも一苦労なんてもんじゃなかったらしい。それだったら、間が紙の方が嬉しいかも。そういえば一円玉で払われた話もあったよな。いや1ペソ硬貨がトラックで来た話もあった気がする。


 ちなみにこういう悪さに一番引っかかりやすいのは泉先生で、一日に金タライ五発の記録保持者だとか。逆に一番引っかからないのが新田先生で、これまで金ダライが一度もないそう。さすがは合気道の達人。麻吹先生もああ見えて、案外ひっかかるそう。


 ついでに言うと一番やらなそうな星野先生が絡むと、壮大なんてものじゃない規模になるって話。やりすぎて警察沙汰になった事も一度や二度じゃないって言うんだもの。テレビのドッキリなんて甘い物じゃないらしい。そんな事を考えてたら星野先生が通りがかり、


「ツバサがバイト代をはっきり言ってなかったみたいで悪かった。ちゃんと払うから安心してくれ」


 背中に冷汗がベットリ。バイト代の支払日にミサトに何が起るのだよ。振り込みにしとけば良かった。生きて帰れますように。

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