ガラスのハート

 関学から帰って、そのまま加茂先輩の下宿に。なにか当たり前のようにケイコ先輩がいて夕食の準備が整っています。


「みんな誤解していたのね」

「はい、あれだけ快活ですから、悩みなんてなさそうに見えますものね。でも・・・」


 そこで三井先輩の話をすると、


「チサトの指摘は正しい気がする。伊吹君を尾崎さんは見込んでいたし、期待もしていたはずよ。だからグランプリを目指させたんだろうね」

「グ、グランプリですか?」

「そうよ、それ以外にあれだけの指導をする理由はないじゃない」


 そういうことか。ボクへの期待があんな形で現れたんだ。


「では三井先輩が言っていたトドメは本当に」

「そうなったんだろうね。ケイコもあの日に最後に振り返った時に伊吹君の方を見ていたと思うもの。伊吹君だけはわかってくれているはずだってね」


 まさにガラスのハート。それも華奢すぎるほど繊細なもの。三井先輩の言葉が頭に渦巻きます。ボクはミサトさんの垣根の中に入る事を許されたのです。だからこそ、あそこまでの指導をしたのです。


 そこまで信頼していたボクのあの日の反応に、ミサトさんは深すぎる絶望と裏切りを感じたに違いありません。


「南さんもそうだったんだろうね。中学からの親友だったって言うじゃない。尾崎さんが絶対の信頼を寄せていたのに、理解してくれてなかったと感じたんだろうね」


 三井先輩は言ってました、垣根の中に入れた人間には絶対の信頼を置く代わりに、裏切られたら二度と許さないって。ボクは、ボクはなんてことを。


「でもケイコ、うちの時と高校の時の話は微妙に違うな」

「違わないよ、一緒だよ。違うのは高校の時には野川さん、小林さん、それに藤堂さんもいたんだと思うわ」

「そっか、写真部を託された責任か!」


 ミサトさんが野川さんや小林さんの話をする時のリスペクトは半端なものじゃありません。ハワイでもチームのメンバーがそろったのは、大会が始まるまで一時間を切っていたそうですが、即席であのラプソディを作り上げているのです。


 ミサトさんはいつも言ってましたが、摩耶学園写真部は野川さんが守り、これを小林さんが助けて、ついに全国制覇まで導いたと。あの二人がいなければ絶対に無理だったと。これを受け継いだ責任感が・・・


「ボクは聞きながら、たまんなかったよ・・・」


 前年度優勝校がブロック審査会で敗退になったのは写真部に取ってもショックだったようです。南さんは、


『全国レベルを知っていたのはミサトだけだったのです。それなのに、みんな井の中の蛙で満足してたのです。それが、やっと、やっとわかったのです』


 そこから青春ドラマなら、部長にみんなで謝って一件落着のパターンになりそうなものですが、ミサトさんは冷たすぎる無表情で、


『この結果の全責任は部長であるミサトにある』


 南さんも含めて部員たちは、何度もミサトさんに話を聞いてもらおうとしたそうですが、一切耳を貸さず、退けてしまったそうです。もう誰もそばに近寄れない雰囲気だったとも言ってました。


『ミサトは、ミサトは・・・』


 ミサトさんは校長に頼み込んで優勝旗を部室に移し、毎日それだけを見て過ごしていたのです。誰が話しかけても返事もせず、振り向きもせずです。まるで周囲に誰もいないかのように。


 そして、いよいよ東川に向かう前日に南さんは見てしまったのです。その日も優勝旗と過ごしていたミサトさんは、急にポロポロと涙を流しながら、


『ミサトじゃダメだった。ゴメン』


 それだけ言うと泣き崩れてしまったのです。そして優勝旗を一人で返還し、部室に戻ってきたミサトさんは退部届だけを残し、二度と写真部に姿を現さなかったのです。


「尾崎さんにとって最後の拠り所だったのでしょうね」

「ああ、優勝旗を返還するまでは託された使命が果たされないと思っていたのだろう。辛かったろうな、寂しかっただろうな」


 でも、どうして、どうしてですか。そこまで孤独にならないといけないのですか。責任は部長にもあるでしょうが、部長に付いて行けなかった部員にもあるはずです。それが部活でしょ、チームでしょ、仲間でしょ。


「尾崎さんには深い深い心の闇があるのだろう。その闇は人を信じる力を失わせるのかもしれない」

「チサトもそんなところがあるものね」


 さらに加えて、ミサトさんはそれでも探し求めてるはずだと。そんな自分を助け出してくれる仲間を、居場所を。


「シゲル、悔しいじゃない。北斗星が、その居場所にも仲間にもなれなかったこと」

「いや、今からでもそうしないと。いや、そうしなくちゃいけないんだよ。これはボクたちが北斗星に遺さなくちゃいけないものだ」


 それにしてもなぜボクが選ばれたのでしょう。


「答えは単純に考えたらイイと思うわ」

「ああ、そのままで良いと思うよ。尾崎さんが、どこまで意識しているかは自信がないけど、それしかないと思うよ」


 加茂先輩はボクの肩に手をやり、


「あれこれ調べたが伊吹君は見込まれたのは間違いない。もし尾崎さんの心を振り向かせる可能性があるとしたら君だけだ」

「でも一度は裏切ったと思われています」

「だからあきらめるのか。それを継ぎ直してくれる人を尾崎君は待ってるはずだ」

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