終章

「……あんた馬鹿なの?」

 眉間に皺を寄せたままともえの腕を取り脈を取っていたべにが、不機嫌に言う。巴は気まずくなって目を逸らして、乾いた笑いを浮かべる。

 久しぶりの仕事に張り切っていたら、うっかり無理をしすぎて倒れた。その結果、二日ほど前から巴はらんの実家で休養中だった。

「ははは……」

「ったく……巴のせいで、また藍に小言を言う羽目になるじゃない……」

 ブツブツと言う紅の横では、ナユタが紅の使った道具を片付けていた。医者になるための修行は順調に進んでいるようだ。紅の指示を受けながら、テキパキと動く姿からも今後が期待できそうだ。

「藍は?」

 巴の言葉に、紅は不機嫌を隠さずに言う。

「誰かさんの後始末で、まだ帰ってきてないわよ」

 ツンとした表情で言う紅も弟のゆかりと同じくらい末っ子の藍を可愛がっていた。ただ、ちょっとその愛情表現が伝わりづらいのが彼女の残念なところだ。

「他の二人は?」

 巴の問いに答えたのはナユタだった。

「今は庭にいるよ」

 そう言いながらナユタは締め切っていた障子を開ける。

 風が入る。

 縁側越しに広がる庭園をよく似た表情の二人が散歩をしているようだった。何か楽しい話でもしているのだろうか。二人は楽しそうに笑っている。高い位置で束ねられた燁の赤い髪が風に揺れ、煌の白い髪も同じように揺れる。燁は煌の乗る車椅子をゆっくりと押している。

 と、こちらに気付いた燁が、何事か煌の耳元で囁くと煌はクスクスと何かを堪えるように笑う。二人はゆっくりとした足取りで縁側近くまでやってきた。

「調子はどう?」

 巴に声をかけたのは煌だった。

「ボチボチだよ。君はどうだい?」

「元気だよ!今日は、さっきまで歩く練習してたんだ」

 長い間眠ったままだった煌の筋肉は衰えていて、目覚めてしばらくたった今も思うようには歩けない。燁と共に藍の実家の離れで体力の回復と日常生活のリハビリに励んでいた。最近は燁や紅と相談しながら、少しずつ歩く練習をしているとナユタが付け加える。

「そっか。良かったね」

 巴が微笑むと、煌は燁とよく似た笑顔で微笑んだ。

「さっき蒼から手紙が届いたんだ。次の休みでこっちに遊びに来るって」

 燁はニコニコしながら、嬉しそうに言う。

 その笑顔を見て、巴は心の底から安堵する。一時は命の危険すらあった彼が、今ここにこうしていることが心底嬉しい。煌と並んで笑っている姿を見ることができて本当に良かった。

「杳ももうすぐこっちに巡業で来るって言ってたから、久しぶりに皆で会えそうだね」

 ホームでの戦いから、二ヶ月が過ぎた。凄惨な……と言ってもいい戦いのあった島は、強い結界が張られ誰も足を踏み入れることのできない本当の意味で聖域となった。

 キャッキャッと笑い声が聞こえた……と思うと、パタパタと廊下を走る足音が聞こえ二人の幼子が姿を表した。一人はハニーゴールドの髪と深い茶色の瞳をしていて、もう一人は黒い髪と黒い瞳をしていた。

「こうーー!」

「あそぼっ!」

「アル、シャル、廊下は走っちゃいけないよ」

 縁側から転がり落ちるように庭に飛び出してきた二人の子どもたちを膝の上で受け止めて、煌は優しく二人を諭す。一瞬シュンと肩を落とした二人の頭を優しく撫でながら煌は言う。

「じゃあ、向こうの広いところで遊ぼうか」

 その言葉に二人はぱぁーーっと表情を明るくさせて、何度も頷く。煌が車椅子の方向を変えると、アルとシャルは仲良く二人で車椅子を押し始める。

 楽しそうに会話をしながら去っていく背中を燁と巴は微笑みながら見送った。

「……後悔はしてない?」

 離れたところで遊び始めた三人を目を細めて見ながら、巴は言う。

「うん。二人で、決めたから……」

 あの日。煌の力で体に意識を戻した燁は、煌とともに決めた。アルフ・アーベット、シャルル・ターゼ……二人の心と体の時を戻して、一緒にもう一度生き直すと。煌の体に残っていた力は、燁を元に戻すときに全て使ってしまったけれど、そのときに気付いた。燁の体を媒体とすれば、封印した力を島から解放することができた。その力を使って、煌は二人の心と体の時を戻したのだ。煌は、二人が幸せに生きることのできるよう、彼らと共に暮すことを選んだ。そして、燁はそれを支えていくことを決めた。

「まぁ……とは言え、仕事はしなきゃいけないんだけど」

 藍の実家は、いつまでもいてくれて構わないと言ってはくれるが、それでも生活するためにはお金がいる。そこまで甘えるわけにはいかない。

「でもなぁ……オレ、バーの裏方しかしたことないもんなぁ……」

 愚痴るように言う燁に巴はピッと人差し指を立てて言い放つ。

「そんな燁に僕が仕事を紹介しよう」

 ふふん……と得意げな表情の巴に、ほんの少し不安を感じながら燁は問い返す。

「どんな仕事?」

「簡単な仕事だよ♪」

 燁の経験では、巴の言う簡単な仕事はまぁまぁの確率で簡単ではない。とは言え、今の燁は仕事を選り好みできる立場ではない。学校を途中でやめてしまったせいで、エリート軍人になる道は閉ざされてしまった。

 小さく溜め息を吐く燁に、巴は嬉々として仕事の概要を説明し始める。その内容に、燁が目を丸くし、喜んで仕事を受けたのはまた別の話になる。

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終わる刻、始まりの場所 七海月紀 @foohsen

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