第49話
静かなその声に、初めてそこに
パチパチと瞬きをすると、どこか視点の合わなかった瞳が焦点を結ぶ。
「……それが、何か?」
何を当たり前のことを……その時のアーベットの表情は、そんな言葉があとに続きそうなものだった。
「もう、その体も限界なんじゃないかい」
そうか……
さっき見た獣のようなアーベットの様子。あれは、壊れかけた体が精神にまで影響を与えていたということなのか。体の形を保つためにエネルギーが使われて、理性がなくなって、本能が剥き出しになってしまっていたのだ。
「工場はこの前僕らが壊しちゃったから、その体が最後なんだろ?」
だから、アーベットは
巴の言葉に、アーベットはカチカチと歯を鳴らして、白目にも見えるほどに目を見開いたた。その眼球は激しく血走っていて、キョロキョロと周囲を見回し狙いを定めているようでもあった。
「もう、やめよう」
それはどちらの声だろうか。その声が聞こえたのは突然だった。皆が声の方を向くと、
「燁!!」
「煌!!」
……良かった……生きてる……
蒼の拳を治療していた
煌と燁。
並んだ姿は、絵画のようだった。
輝く紅玉のような瞳を持つ二人は、横に並ぶと一層良く似ていた。少し吊り目がちなところも小さめの唇も。今は少し顔色が悪いけれど、元気になればその頬は薔薇色に輝くだろう。
生命力の塊。
それが煌と燁に違いない。
「やめる……?」
呟きはアーベットのものだった。それに煌は小さく頷く。
「もう、十分だよ。あなたがしてくれたことに感謝はしてる。でも、これ以上誰かを……自分を傷つけるのはやめてほしいんだ」
アーベットを見つめる煌の瞳は、弱く笑む。
「終わりにしよう……」
煌はゆっくりとアーベットに近づきその手をとった。その手に、燁も手を重ねる。
ハッとしたような表情をアーベットが浮かべた刹那。周囲は再び光に包まれた。
闇の中でクルクルと逆再生のように映像が回りながら流ていく。不思議な空間に、アーベットはいた。
あぁ……これが走馬灯というものなのか……
流ていく映像に色味はない。それはアーベットが生きた世界を表しているようだった。色のない世界の端っこに、一筋の光が見えてアーベットの意識はそちらへ引き寄せられるように近付くと音もなく吸い込まれていった。
薄暗い部屋。視線の先には寝台の天蓋の裏側が見えている。
アーベットは、煌が見ている先を知りたかった。煌が、何を見て、何を考えているのか知りたかった。少しでも理解したいと思って、目を開けたまま寝台に横たわる煌の横に、アーベットも静かに並んで寝転んでみた。紅玉のように美しい紅い瞳に映るものを一緒に見ていたくて、同じようにしてみるけれど煌の見ているものはアーベットには決して見ることができなかった。
ふと気付くと煌の瞳は瞼の裏側にしまわれていて、アーベットは小さく息を吐くと寝台から降りた。その輝くような白い髪を一房手に取り、口づけをすると踵を返して部屋を出る。
煌を目覚めさせるために、やるべきことをやる。
彼の胸の中にあるのは、ただそれだけだった。
人人人人人……
たくさんの人が倒れている中、アーベットの前に立っているのは彼一人だけだった。真紅の髪と瞳。血塗られたように赤いソレをアーベットはどうしても好ましいとは思えない。
「隊長。遅かったですね」
アーベットが声をかけると彼……
「!!」
「どうかされましたか?」
「アーベット……それ……」
「それ……?あぁ……これですか?」
グッと引き上げるとグラグラと揺れる。まさに言葉通りに首の皮一枚で胴体と繋がっている状態なのだろうか。頭の動きに少し遅れて体揺れる。
「ちょっと邪魔だったんで、処分しました」
柔らかく微笑んで言うと、燁の瞳が零れ落ちんばかりにさらに見開かれた。
「どうして……」
「どうして?」
この子どもは本当におかしなことを言う。何度聞かれても答えは同じだけれど、より彼にわかりやすいように言葉を付け加えて繰り返す。
「作戦を行うに当たって、邪魔だったので処分しました」
「……違う……そうじゃない……違う……」
小さく首を振りながら燁は何か呟いているけれど、生憎アーベットの耳には届かない。首を傾げて燁を眺めていると、突然糸が切れたように燁は膝から崩れ落ちた。
「燁ー!!」
遠くから彼を呼ぶ
高い位置で結んだ赤い長い髪を揺らしながら、樹軍の隊長と追いかけっこでもするように笑いながら隊員たちの間を走り抜けていく。他の隊員たちもそれを笑みを浮かべて見守っている。
彼のキラキラと輝く瞳を見るとアーベットの胸の奥が騒ぐ。
彼が……燁さえいなければ、あんなふうに瞳を輝かせているのは煌だったはずだ。燁が生きているからこそ、煌は眠り続けているのだ。
燁が……燁さえいなければ……
広がる瓦礫の山をアーベットは必死にかき分ける。
「煌……煌……」
未明に起きた大爆発で、建物のほとんどが崩れてしまっている。生存者がいる可能性もかなり低いという。朝からずっと探しているけれど見つからない。もうすぐ日が暮れる。
父からは「諦めろ」と言われたけれど、諦めることなんてできない。
大丈夫……きっと生きてる。死んでない……
何度も心のなかで繰り返しながら、子どもの力では到底持ち上げることのできないほど大きなコンクリートの壁を持ち上げて投げ飛ばす。遠くからその様子を見ていた父が「ほぉ……」と小さく呟いて顎を撫でたけれど、アーベットは気付かない。
一際大きなコンクリート片をかき分けたときだった。日が暮れて薄暗い夕闇の中で、ぼんやりと赤い光が見えた。
「煌!!」
アーベットは叫んで、光を遮る瓦礫を抱えて投げ飛ばした。
「……煌……」
そこには、淡い光に包まれた煌がいた。瓦礫の下にいたというのに、その体には傷一つない。
煌……
アーベットは、煌の体をきつく、きつく抱きしめた。
分厚いガラス越しに見下ろした先では、自分よりも幼い子どもたちが遊んでいる。積み木を積んでいる者、本を読んでいる者、人形を抱えている者。いつ見ても彼らの瞳には暗い影が落ちていた。
「ほら、アルフ見てご覧」
後ろに立っていた父がアルフの肩を抱いて言う。指差す先には、流れるような雪のように白い髪の子どもと燃える炎のように赤い髪の子どもがいた。
「……あの子たちは……?」
「あの子たちは、他とは違う」
父が言うように、二人は確かに違った。
紅玉のような瞳には、生命の輝きが宿っていた。
二人は常に互いの手を握っているようだった。少しおどおどした様子の赤髪の子どもを白髪の子どもは背に庇うように、守るように座っていた。おもちゃで遊びながらも、周囲を……ガラス越しにみるアーベットたちを警戒しているようだった。
キレイだ……
キラキラと輝く瞳がキレイだと思った。赤髪の子どもにだけ見せる小さな微笑みが、可愛いと思った。その笑顔を自分に向けて、その瞳に自分を映してほしいと思った。
「……父上、僕あの子がほしいな……」
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