第47話

 断崖絶壁だんがいぜっぺきという言葉は、まさにこの場所のことを言うのではなかろうか……という場所にあおいはいた。

 ともえを始めとする火群ほむらの隊員と揃って家を出たのは三日前。呪布じゅふ転送陣てんそうじんを使って蒼たちはホームに戻った。島に着くとすぐに巴とらんは島の結界を張り直す作業にかかった。結界が弱っていたのは、島に繋がる龍脈りゅうみゃくが詰まっていたのが原因のようだった。蒼に家にいる間、留守がちだった藍は、その詰まりを除去する作業に出かけていたそうだ。藍の作業のおかげだろうか。島に流れるエネルギーは、蒼が去る前よりもずっと澄んでいて心地よい。ただ、今回の結界は島全体を覆うほどのものではない。島の中心……五本指の龍の描かれたゲートのある泉の周辺だけに結界が張られた。

 海から吹き付ける強い風を浴びる蒼が身につけているのは、火群の衣装で、額当てには彼の耳元で輝く銀色の龍と同じものが彫られていた。強風に煽られて青色の鉢巻がはためく。

「……来た……」

 水平線近くにわずかに見えた銀色の光が、すごいスピードでこちらに近づいてくる。その数は二十から三十ほどあろうか。いや、もしかしたらもっと多いのかもしれない。

 でも……

 蒼と彼の仲間たちにとって数は大した問題ではない。ただただ、格の違いがあらわになるだけだ。

 しゃがんで様子を見ていた蒼は、立ち上がる。その腕には色違いの揃いの衣装を身に着け、赤い髪を風に流した燁がいる。燁は未だ眠ったままだけれど、彼の心は仲間たちとともにある。

 小指の先くらいの大きさだった銀色の光は、今やその姿をはっきりと表していた。銀色の機体の戦闘機せんとうき。彼らの目的は、この島

「さぁ、行こう」

 眠る燁に声をかけて、蒼は力強く地を蹴った。

 空に躍り出た蒼を狙い撃ちするように、戦闘機から激しい音とともに銃弾が燁を抱える蒼に降り注ぐ。けれど、それは決して二人に届くことはない。蒼が皮の指ぬきグローブを嵌めた手を戦闘機に向けると、緑色の光が輝き戦闘機と銃弾が早戻しのように遠くの方へと去っていく。米粒ほどになったところで、煙を上げて墜ちていくのがどうにか確認できた。パイロットが無事に脱出できたことを祈るばかりだ。他方からは、戦闘機から飛び降りた戦闘員だろうか、わずかにフォースの気配を感じて蒼は空を蹴る。くるりと身を翻すと、鞭のようにしならせたフォースで気配の出どころを叩いた。ボンッと爆発するような音がして、煙が上がる。

 戦闘の際、蒼は他の隊長たちと違って、武器を持たない。近づいてきた相手に対しては、フォースを纏った拳で叩きのめす戦法をとっている。そのため、蒼は接近戦が得意と思われがちだが、実は後方支援がメインだ。蒼のフォースは、植物に色々な形があるようにしなやかに変化する。そして、地上の全ての植物は、彼の味方だ。

 ザワッと一度大きく森が揺れた……と思うと、森の木々が一瞬にして枝という枝を伸ばして戦闘機の行く手を阻もうとする。ある木は、上陸した戦闘員を思いっきりはたき飛ばし、ある花は触手のように茎を伸ばして戦闘員をしばり上げていた。

 もちろんその中にアーベットはいない。顔を上げると、一際大きな機体が目に入った。

 ……アレか……

 蒼は、大型戦闘機に姿を見せつけるように一層高く飛び上がる。顔をちらりとそちらに向けると、刺さるような視線を感じる。

 あそこに……いる。

 彼……アーベットが見ているのが、自分か腕の中にいる燁なのかはわからない。けれど、アーベットは確実にあそこにいる。

 そう確信して、蒼は唇の端を片方だけわずかに上げた。

 追って……来い!!

 タンッと軽く着地をした蒼は、くるりと踵を返すと、島の中心……仲間たちの待つ祠の泉に向かって駆け出した。


「派手にやってるわねぇ……」

 ドゴンドゴンと少し離れたところから響く音に、杳は思わず呟く。

 泉をぐるりと囲む形で等間隔に五つ描かれた陣の内の一つの上にはるかは立っていた。杳の立つ陣は、弱い銀色の光を放っている。

「まぁ……それが狙いだし」

 苦笑を浮かべながら言う藍の足元の陣は、黒い光を帯びていた。この場所までアーベットをおびき寄せるのが蒼の役目で、その間にできるだけ敵の数を減らしておくのも彼に任された任務だった。

地軍ちぐんの隊員たちも手伝ってるから大丈夫だよ」

 巴はバシャバシャと水飛沫を上げながら中央の祠から自分の陣の方へと上がってくる。その言葉通り、地軍の隊員たちも、森の木々の間から敵兵を減らすのに尽力しているようだ。島の大地は、断続的に揺れている。

 巴が立つと彼の陣は金色に輝いた。

 揃いの衣装を身に着けた彼らの表情に、焦りや不安といった感情はない。あるのはただ、仲間に対する絶対の信頼。彼らはきっとやり遂げるだろうという確信だ。

「……結界、大丈夫?」

 少しずつ近づいてくる激しい音に、杳は少しだけ眉をひそめる。張り直したとは言え、その耐久性を試してはいない。

「大丈夫だよ。必要なモノしか通さない」

 巴はニッと口角を上げる。その表情は、どこか悪戯いたずらをしかけた子どものように、も見えた。

「……来た!」

 藍の声とほぼ同時に、茂みを分けて道なき道を進んできた蒼が顔を覗かせた。走ってきた蒼は、巴に向かって大きく頷くと空いている陣の一つにそっと燁を横たえた。陣は燁が入った瞬間にぼんやりと赤い光を放ち始める。その光を確認して、蒼が隣の自分の陣の上に立つと陣は青緑の光を放ち始めた。

かい!」

 巴が声を発した瞬間、火群隊長たちの立つ陣の光は強くなり、その光は柱のように天へと伸びる。五色の光を放つ五芒星の中心にある祠も白く輝き始め、その光は泉を覆い、やがてそれぞれの陣に立つ隊長たちまで覆い尽くした。

 その光は、必要な者だけが目にすることができる。必要な者にだけ、届く。

 と、突然、燁の体が起き上がったようにふわりと浮かんだ。けれど、力なく下がる腕が、まだ彼に意識がないことを示している。

 煌が近づいている……

 燁の体が、煌に引き寄せられているのか、煌の体にいる自分の意識に引き寄せられているのかはわからない。燁の体は、自分自身の意識と片割れとが近づいているのを感じているのだろう。ふわふわと浮く体は、陣からは出ることができない。赤い光の壁が、それを防いでいる。防ぐ……というよりも、守っているという方が正しいかもしれない。燁が体まで煌に取り込まれないように守っているのだ。

 ドンッと何かが壁にぶつかるような鈍い音がして、地面が激しく揺れた。泉の水面も揺れに合わせて激しく波立つ。

 炎が上がり、森が燃える。

 蒼はその様子を見て、少し顔をしかめた。 こんなふうに乱暴な攻撃をかつて見たことがあった。それはかつて自分たちが、よりより未来のためという正義の元に戦っていた頃だっただろうか。自分の目的を達成するためには手段を選ばない男の姿が、そこにはある。

「……アーベット……」

 炎を背に、こちらを睨むように見つめる男の腕には、彼の首に腕を回した状態で抱えられた煌がいた。その赤い瞳は開かれてはいるけれど、どこか仄暗く輝きがない。どこか虚ろなその瞳を見て、藍は心の中で小さく頷いた。

 なるほど……

 煌は目が見えないのか。

 かつて煌が深い深い眠りについていたとき、燁は五体満足な状態で日々を過ごしていた。けれど、今、燁は眠り、煌が目覚めているのだけれど、煌の目は見えてはいない。それはきっと、煌の中で燁の意識が目覚めているからだろう。アーベットはそのことに気付いて、燁を探し、見つけ、彼を完全に眠らせるためにここに来たのだろう。でも、煌がここにるのは……

 アーベットと一緒に来るように巴が仕向けたから……

 燁の目を覚まし、煌の力を封印するためには、煌自身がこの場所に来る必要があった。

 巴は顔を上げると、真っ直ぐに煌を見つめ声を上げた。

「待ってたよ、煌!こっちにおいで!」

 声に引かれるように煌の顔が巴の方に向く。思わぬ煌の動きに動揺したのか、アーベットの腕の力が抜けた瞬間に煌はスルリとその腕を抜け出す。

 ずっと眠っていたからだろう。煌の足取りは覚束ず、小さな石にもつまずきそうになる。けれど、その足で、煌は輝く結界の中へと足を踏み入れる。

 煌が白い光の壁を通り抜けた瞬間、光は金色へと変わった。

「煌!!」

 煌の後を追って伸ばしたアーベットの手は、金色の壁に阻まれてそれ以上は進めない。アーベットはダンッと強い力で壁を叩くけれど、その振動すら伝わらない。

 巴が指をパチンと鳴らすと、煌の体がふわりと浮きゆっくりと泉の中心の祠へと導かれる。金色の光は、柔らかく煌を包む。煌が目を閉じると瞼の裏には優しく微笑む燁がいる。

『大丈夫』

「大丈夫」

 煌は、燁と燁の仲間たちを信じている。

 五芒星の頂点から五色の光が立ち上り、紐のように撚り合わさって祠の中へと吸い込まれていく。その光の紐の中に煌の力も撚り込まれていくのを感じる。

『一緒に、外の世界へ……』

 胸に響く燁の声と気配が少しずつ小さくなる。

「大丈夫……」

『大丈夫……』

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