第44話

 光の差し込むサンルームの長椅子にともえらんが座り、その反対側に養母ははあおいが座る。養父ちちは、一人がけのソファに深く腰掛け、大きく息を吐いた。

 コポコポと熱い紅茶がカップに注がれ、ふわりと甘い香りが漂う。養母自慢の焼き菓子の匂いだ。養父の好物のそれを、養母は朝からたくさん焼いていた。

「どうぞ召し上がってくださいな」

 ニコニコと微笑んで、養母は巴と藍に菓子とお茶をすすめる。「いただきます」と笑顔で返して、巴は菓子に手を伸ばす。

「蒼さんも、どうぞ」

 言われて蒼も一つ手に取り口に運んだ。外側は少しサクサクしているけれど、内側はしっとりとしていて甘い。バターがじんわりと染みるような味で、蒼はいつも幸せな味だと思う。養父母の穏やかで優しい、柔らかな幸せが形になったのがこのお菓子なのだと思う。

「それで、どうしてこんなに早く戻ることができたんですか?」

 お菓子の甘みを紅茶で流して、蒼は養父へと問う。

 蒼と養母は、たとえ冤罪が晴れたとしても養父が戻ってくるまでにはまだまだ時間がかかると思っていた。家付きの弁護士の見立ててでは、少なく見積もっても三ヶ月。それ以上かかることも覚悟していた。それがたった十日ほどで戻って来れるなんて……。いっそ何か不正をしたのではないかと疑いたくなる。

「フュード氏が不正をすることなんてないということは、誰が見ても明らかなことですから。冤罪にも関わらず、長く拘束してしまうことは、国にとっても不利益なんですよ」

 スラスラと笑顔を浮かべて巴は言うが、それが何だか嘘くさく感じてしまう。司法的な何らかの取引があったのではないかと疑いたくなる。

「……疑り深いなぁ……」

 表情に出していたつもりはないが、巴には伝わってしまったらしい。苦笑いをする巴から少しだけ目線を逸らす。

「まぁ……それも蒼のいいところだよね」

 突然、軍総司令官の皮を脱いだ巴の反応に、蒼はピクッと肩を揺らす。

「……お養父上ちちうえには、君と僕たちが旧友であることはお話させていただいているよ」

 その言葉に蒼は全てを察す。

 ……そうか……養父がこんなに早く開放されたのは、巴が仕組んだからか……。

「何度も言うけど、君のお養父上ちちうえを長く拘束しておくほうが、国にとっては不利益なんだからね。裏から手を回したわけじゃない。僕はここまでお送りする任を承っただけだよ」

 疑いの目を向ける蒼に巴は苦笑いの色を濃くする。巴の隣では、蒼が口元を抑えて笑いを堪えている。その様子を見た蒼は、ほんの少し口を尖らせたような拗ねたような表情になる。そんな蒼の様子を見て、彼の養母もクスクスと笑いを漏らした。

養母かあさんまで……」

 蒼にそう言われて、フュード夫人は笑みながら言葉を返す。

「ごめんなさいね。蒼さんのそんな顔初めて見たから」

 そういう養母の表情が酷く嬉しそうで、蒼は肩に入っていた力を抜いた。

「それじゃあ、本題に入ろうか」

 静かな声で養父が言う。その言葉を聞いた巴は養父のほうに体を向けるとスッと姿勢を正した。

「何か、ご相談があると伺っていますよ」

 養父の顔には穏やかな表情が浮かんでいるが、その瞳の光は強く鋭い。それは、厳しい社会状況の中で生き抜いてきた敏腕経営者の目と言えるだろう。

「そうですね。でも、相談相手はあなたではなく息子さん……蒼です」

「……ほう……蒼にどんな相談ですか?」

 …………

 十分な間をとって、巴は言った。

「蒼と僕らと三人で話をさせてもらえませんか?」


 蒼の部屋の大きな窓からは、養母がこよなく愛している庭園が見える。四季を通じて何かしらの花が咲くように作られた庭は、少し肌寒くなってきた今も花が咲いている。

「綺麗な庭だね。お養母上ははうえが管理をされているの?」

 巴は、ニコニコとしながらティーセットを前に座る蒼に言う。蒼はそれに大きく息を吐きながら返した。

「……管理は庭師がしてる。養母さんは、どんな花を植えるかとか水やりとかそういうことをしてるみたいだ」

「そうなんだ。大切にしてるんだね」

 そう言って巴は、視線を庭の方へと向ける。その背中を見つめながら蒼は絞り出すように言葉を紡ぐ。テーブルの上に置いた手をぎゅっと握って震えを止めようとする。

「……ようは……元気なのか?」

 少しだけ震える声。いつものハッキリとした口調からは想像できないほどの弱々しい声だった。

「体は、問題ない」

 答えたのは部屋のドアの前に控えていた藍だった。

「体は?」

 問い返す蒼に藍は続ける。

「ずっと眠ったままなんだ」

 ガタッと音を立てて蒼は椅子から立ち上がった。

 眠ったままって……

 蒼の脳裏に島を出るときに見た燁の姿が浮かぶ。白いシーツに赤い髪を散らして、その赤い瞳を青白い瞼の奥に隠して眠っていた燁。その姿はまるで人形のように思えた。

「燁が目を覚ますには、いくつ条件があるみたいなんだ」

 そう言って巴は蒼の向かいの椅子に座る。ふわりと香るのは、先程と同じお菓子の香りだろうか。カップには温かい紅茶も注がれている。

「条件って?」

 問う蒼に、巴はカップに口を付けながら言う。

「それは、まだ言えないよ」

「どうして!!」

 ダンッとテーブルに手を付き、蒼は前のめりに巴に食ってかかる。藍は、変わらずに少し離れた位置から二人を見つめている。

「機密事項だからね。関係者以外には教えられない」

 蒼を見る巴の金色の瞳は鋭い。黙って火群ほむらから離れた蒼を今は関係者だとは認めていない、という言外の巴の様子に蒼は唇をきゅっと引き結んで椅子に座る。

 ……自業自得か……

 そう思って、薄く自嘲の笑みを浮かべる蒼に向かって巴は微笑む。

「そこで相談なんだけど、ちょっと協力してくれない?」

「協力?」

 戻ってこいと言われると思っていた蒼は、少し拍子抜けをしながら訝しげに眉をひそめる。

「そう、協力。僕らをしばらく匿ってほしいんだ。部屋、余ってるよね?」

 ニコニコという巴の言葉を聞いて、藍がスタスタと部屋の真ん中まで来る。そしておもむろにバサリと丈の長い軍服を脱ぐと床に広げた。その裏地には見慣れた紋様が描かれている。

「ちょっ……」

 蒼が何か言うよりも前に、紋様がぼんやりと光りを帯び始める。

ホームの結界が弱ってるみたいなんだよね」

 どこかのんびりとした口調で巴が言う間にも、光は徐々に強くなり、少しずつ輪郭が顕になる。

「諦めろ……」

 蒼の肩にポンッと手を置いて、藍は悟ったような表情を浮かべる。その顔を見て、蒼はがっくりと肩を落とした。

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