第43話

 身柄を拘束されていた養父ちちが開放されると聞いたのは、あおいが家に戻って来てから一週間ほど経ってからだった。養父が家に戻ることができるまでは相当の時間がかかるだろうと聞いていたので、喜ばしいことだが、寝耳に水のような話だった。

 それから三日後、フュード家の屋敷の前に黒塗りの車が止まった。門扉もんぴが開くと、静かに車が敷地内に入ってきて、玄関の前で今か今かと待っていた養母ははと蒼の前で車は止まる。運転席から降りてきた長身の男がドアを開けるとグレイヘアの男性がゆっくりとした動きで降りてきた。ドアを開けたまま頭を下げている運転手に小さく「ありがとう」と礼を言い、男性……養父は顔を上げた。

「……っ!」

 少し痩せただろうか。頬が痩けているように見える。けれど、その瞳は蒼の知る力強い光に満ちていた。

「あなたっ……!」

「今帰ったよ……」

 養母は感極まった様子で、養父に縋るように抱きついた。

 養父はトントンと優しい調子で養母の背中を撫で、側に立っていた蒼にも笑みを向ける。

「心配かけて悪かったね……」

 その言葉に蒼は首を横に振る。

 確かに、心配はした。けれど、養父が不正なんてするわけないと信じていた。だから、蒼は不安で心の揺れる養母を側で支え、ただ養父が帰ってくるのを待っていた。

「おかえりなさい、養父とうさん」

「ただいま」

 向けられた柔らかい笑みを見て、蒼はホッと肩の力が抜けるのを感じる。信じていた。けれど、思った以上に気を張っていたのかもしれない。養父が無事に帰ってきてくれて、良かった。

「でも、どうしてこんなに早く戻れることになったんです?もっと時間がかかると伺ってたのだけれど……」

 養母は、うっすら浮かんだ涙を拭いながら養父に尋ねる。

「あぁ……それは、彼のおかげだよ」

 そう言いながら養父は、後ろを振り返った。

 黒塗りの車の前に立つ黒い軍服姿の男。胸に飾られた勲章と肩章から相当上層部の人間であることがうかがえる。後ろに控えている運転手だと思っていた背の高い男もよく見ると軍服を着ていた。

 それまで静かに家族の再会を見守っていた彼は、左手で軍帽を脱ぎ、その手を後ろにまわして敬礼をする。

「こんにちは。帝国軍総司令官のともえと申します。以後お見知り置きください」

 顔を上げると、濃紺の髪がサラリと揺れる。黄金色の瞳をキラリと油断なく輝かせて微笑む姿は、蒼が見知った顔だった。

「……な……んで?」

 よくよく見てみると、彼の後ろに立つ背の高い男も金髪碧眼の美丈夫で……つまり……

「……らんまで……」

 漏れた呟きが耳に届いたのだろう。藍も帽子を脱いで敬礼をした。

「帝国軍藍・トリーム大将です」

 ニヤリとどこか悪戯っ子のような様子で笑うのが憎らしい。

「巴司令官がご配慮くださって、早く戻ることができたんだよ」

「まぁ!そうだったんですの。それは、何とお礼を言ったらいいか……」

 恐縮した様子で頭を下げる養母に、巴は柔らかく微笑む。

「夫人、お気になさらないでください。私たちの方から、ご主人にお願いしたんですよ」

 その言葉に養母は戸惑うように養父を見る。養母に目を合わせた養父は、優しく微笑んで頷いた。

「心配するようなことはないよ。……ともかく、家に入ってから話をしよう」


 時は少し遡る。島外に出ていた地軍の隊員たちから巴の元に通信が入った。

『フュード氏の……釈放……、五日後……決まったら……し……』

 大きなスクリーンに映し出された海が言う。現場の電波状況が悪いのだろうか。言葉が途切れ途切れになっている。

「……そう。良かった。それで、アーベットとこうの行方は?」

 巴は、一度ホッと息を吐くと再び少し険しい顔でうみに問う。

『……目下……捜……索中……だよ……。アーベット…フュード……家で……見かけたって……噂も……ある……たい』

 それが本当ならば、蒼と接触している可能性もある。……し、最悪の場合すでにアーベットの手が回っているかもしれない。

「あんまり時間はなさそうだね。地軍は引き続きアーベットを追ってくれる?」

『了……解!』

 巴の言葉に元気よく返事をして、海からの通信は切れる。

 ふむ……

 巴は顎に手を当てて少し考え込むような表情を浮かべる。窓の外に目をやると、見慣れない赤い小鳥が窓辺に飛んでいた。小さな鳥のつぶらな瞳は、ハニーブラウンで、尾には金色が混じっている。

…………

!!

 ガタッと激しい音をさせてらんは立ち上がり、それを見たはるかはハッとした顔をしてようの部屋へと駆け出した。

 藍は、シュルシュルと右手に水を纏わせると、それを回転させてボール状に形作り大股で窓に近付く。バンッと音を立てて窓を開けると、小鳥が驚いたように離れて行こうとする。が、それが離れていく前に藍はボール状にした水を小鳥に向かって投げた。

 ジュッ!

 火が消えるような音がして、小鳥の姿が消える。あとには、燃えカスのような黒い塵がヒラヒラと舞っていた。

「……アーベット……」

 吐き出すように藍は呟く。

「結界が弱ってるみたいだね」

 眉根を寄せて険しい顔で巴は言う。元々聖域とされていた島に火群ほむらが拠点を構える際、火群隊長たちのフォースで結界を作った。それが弱っているということは……

「燁のほうもあまり時間はなさそうだね」

 息を吐いて巴は立ち上がり、燁の元へと向かう。そのあとを藍も追う。

 アーベットは燁を探している

 燁がターゼを刺したあの日。巴は、どこか遠くで大きなフォースが爆発するように溢れる気配を感じた。それは、一瞬大きく膨らんだかと思うと二つに分かれて消えた。巴の知る五行のフォースではないフォースだった。おそらくあれは、煌のフォースだったのだろう。溢れた力は、爆発した場所とは別の場所に吸い込まれていった。

 吸い込んだのは燁だ

 その後、気を失った燁は目を覚ますことなく今に至っている。その結果だろうか、未だ煌のフォースの気配は感じられない。煌の力は、燁によって封じられているとも言えるかもしれない。

 ……燁の意識が完全に消えてしまうと、その力が煌に戻る

 巴と藍が部屋に入ると、燁の寝台のそばの椅子に座った杳が小さく頷いた。

「大丈夫」

 アーベットが飛ばしてきたのは、あくまで偵察だったのだろう。もしかすると、思い当たる各所に飛ばして燁を探しているのかもしれない。

「もう、この場所も安全とは言えないね」

 ホームを守る結界が弱まっているとなると、燁を置いておくわけにはいかない。この先、島に燁以外いなくなることだってあるだろう。

 ふむ……と小さく呟いて、巴は思案する。

 フォースの源泉とも言える泉の水は、少しずつ少なくなっている。それは、島に流れ込む五行の力の弱まりを示している。五行の力の流れる地脈が、詰まってしまっているのかもしれない。

「仕方ないね……本土に一つ拠点を作ろう」

 孤島よりも本土のほうがフォースの流れはいくらかマシだろう。

「でも、どこに?」

 杳は少し不安そうな表情を浮かべる。

「心当たりはあるんだ。藍と僕は明日からちょっと出かけるから、杳は燁を待っててくれる?ここに陣を書いておくから、家中の呪布じゅふを集めておいて。いつ呼び出すかわからないから、なるべく燁とこの部屋で過ごしてて」

「……出かけるってオレも?」

 思わず口にする藍に巴は微笑む。

「うん。仕事だよ」

 仕事……

 にっこり微笑む巴を見つめて、藍は内心大きく息を吐く。今の藍は、火群水軍隊長ほむらすいぐんたいちょうではあるが、現在のその仕事は……

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