第33話

 こうの力を正確に表すのであれば『時をさかのぼる』というよりも、『時を戻す』というのが正確だという。『そのもの』に流れる時間を戻して、『元の状態に戻す』ことのできる能力らしい。

 ……そんな夢みたいな能力……

 もしもあるとしたら、世界中の権力を求める者誰しもが欲しがる力だろう。

 あおい屋敷ホームの近くにある大きな木の上で小さく溜め息を吐いた。

 知らなかったようの過去。燁の生い立ち、煌のこと、煌の力のこと……そして、燁自身のことも。

『ちなみに、燁と煌が最初に生まれたのは今から八十年前の話だよ』

 研究文書を出しながら、にっこりと笑ってともえは言った。確かに。巴の手にしていた文書には、燁の面影をはっきりと残した幼子おさなごとその手をきゅっと握った燁に似た子が並んで写っている写真が載っていた。そこに記された日付は、今からおよそ八十年前のものだった。

「はぁ……」

 今度は大きく、大きく息を吐いて蒼は空を見上げる。視線の先に広がる星空。蒼のいた箱庭のような狭い場所では、決して見ることの叶わなかった満天の星だ。

「やっぱりここにいた」

 声がして、視線を空から下に移すと、寝間着の上に薄いショールを羽織った燁がいた。燁は、するすると器用に木に登るとあっという間に蒼のいる枝までたどり着き隣座る。

「よくわかったな」

「わかるよ。蒼、何かあったらいっつもここに来るもん」

 足をプラプラさせ、小さく笑いながら燁は言う。

「そうか……」

「そうだよ」

 燁はキュッと目を細めて笑う。蒼は、その笑顔が好きだ。見ているこっちも思わず笑ってしまう。蒼が笑うと、燁はさらに笑みを深くして嬉しそうに笑った。

「やっと笑った」

 一瞬キョトンとした表情を浮かべる蒼に、燁は今度は小さく苦笑を返す。

「昼にあの話してから、ずっと眉間に皺寄ってたぞ」

 燁は手を伸ばすと、皺を伸ばすように蒼の眉間を撫でる。触れる燁の手が気持ちよくて蒼が軽く目を閉じると、その手は頭の方に移動して優しく撫でた。

「……オレ、やっぱ蒼に隣にいてほしいな……」

 優しく蒼の頭を撫でながら、燁は呟くように言葉を漏らす。

「蒼と一緒じゃないと安眠できないし、不安になるし、寂しいし……」

 燁の声は少しずつ小さく、途切れ途切れになる。蒼が目を開くと、燁の赤い瞳に自分が映っているのが見えた。その姿が水彩画のように滲む。

「……泣いたっていいんだぞ」

 蒼の言葉に、燁の表情がくしゃりと歪んだ。


 寝台に横たわった巴は、ふぅ……と小さく息を吐いて、目を閉じる。向かうのは夢の中。その相手は……

「バレちゃった?」

 雪のように白く長い髪を揺らして、巴の前に立つ相手……煌は言う。

 どうやら無事に煌の夢に来ることができたようだ。

「多分君が思っている以上に僕らは色んなことを知ってるよ」

 巴が言うと、煌は一瞬目を大きく見開いたあとに楽しそうに笑った。

「そうなんだ。まぁ、そうだよね。ここまで来ることができるんだもん。それなりのモノ持っててもらわなきゃ困るし、じゃなきゃ燁を守れない」

 燁のことを話すとき、煌の瞳は柔らかい光を帯びる。

「あの子……燁を救ってくれてありがとう」

 少し身を正し、煌は巴に深く頭を下げた。

「燁の命を救ったのは君だろ?」

 その言葉に煌は少し俯いて首を振る。

「燁の心を救ってくれたのは、あなた達だよ」

 巴と出会った頃の燁の姿を思い出す。明るく元気な少年だったけれど、時折見せる表情が、酷く大人びていて儚くて、消えてしまうのではないかと思わせた。

『守らなきゃ……』

 仲間たちの誰もがそう思っていただろう。

 燁の素直で明るい笑顔は、仲間たちの心を癒やし、元気づけてくれる存在だった。

「この力でできるのは、時間を戻すことだけだから。怪我をしたときに体を傷のない状態に戻すことはできても、心の傷を癒やすことはできない」

 だから、ありがとう……そう言って煌は再び深く頭を下げる。

「それで?あなたが今夜ここに来た理由は?」

 顔を上げた煌の瞳は、燁のものと同じように赤く、その奥には燃えるような火が見える気がする。

「君はいまどこにいるんだい?」

「どこ……?」

 コテンと頭を傾けて煌は考え込む。その様子は、燁によく似ている。

「どこ……高いところ?」

 ??

 煌の返答に今度は巴が首を傾げる。

「高い……ところ?」

「そう。高いところ。この部屋は、空が近いんだ」

 ……空が近い……

 そう言えば、いつも煌と二人で空を見上げていたと燁が言っていた。

 その場所よりも高いところ……?

 巴の脳裏にいくつかの高い建物が浮かぶ。……が、きっとそのどれも煌がいる場所ではないのだろう。

「君はどうして燁と離れてそこにいるんだい?」

 生きているのならば、自分で燁を探すこともできたはずだ。なのにそれをできなかったということは……。

「誰かに囚われているのかい?」

 その言葉に煌は小さく首を振る。

「確かに、部屋から出ることはできないけど、囚われている……って言うと、語弊があるかな?」

 煌の曖昧な物言いに、巴は少し眉間に皺を寄せる。

「……どういうこと?」

「生きてはいるけど、目覚めてはいない。ずっと眠ってる状態なんだ……」

 巴を真っ直ぐに見つめる赤い瞳は、少し悲しげな色を帯びる。

「……あの日、燁の命を戻した日から、ずっと眠ってる……」

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