第23話

 信じられない……

 言葉を失くす……というのは、今まさにこんなときに使うのかもしれない。

 腕の中にある懐かしい温もり。指先を走る細い絹糸のような赤い髪。自分を見上げる赤い瞳も昔と同じようにキラキラ輝いていた。

あおい!おかえり!!」

 ぽっかりと空いていた心の奥の穴がやっとふさがったような、ずっと見つからなかったパズルのピーズがパチリと音を立ててはまったような……そんな気がした。

「ただいま……」

 漏れた声は自分が思っていた以上に弱々しくて、もしかしたら泣いてしまっていたのかもしれない。

 ギュッと抱きしめて、首筋に鼻を埋めると胸の奥と鼻の奥がツンとした。

「蒼、くすっぐたい!」

 ケラケラを笑いながら身を捩る体をひとしきり抱きしめて満足したところで、蒼はようやくようを解放する。

「うぉい……相変わらずの熱烈歓迎ぶりだなぁ」

 どこか呆れたような様子で言うのは、金髪碧眼でスラリとした手足と均整のとれたスタイルの青年……らんだ。

「悪いか」

「いや、悪かねぇ。むしろお前にとっては良いことだよ」

 大きな手のひらでクシャリと頭を撫でられて、蒼は少しくすぐったいような思いに駆られる。

 かつて、共に暮らしていたときもいつもそうだった。藍はその大きなてのひらで、いつも蒼や燁を子ども扱いしてくれた。

『年長者には甘えたっていいんだよ』

 そう言って、ニッと笑う藍の顔も蒼は好きだった。

「あら、藍くん相変わらず男前ね」

はるかもな」

 そう言いながら杳と藍もお互いを軽く抱きしめ合う。

 無事で良かった……

 火群を解散したとき、一番最後に島を出たのが杳だった。杳は最後まで仲間たちの姿を見送って、島を出たのだ。誰もいないこの島で、一体どんな気持ちで過ごしたのだろうか。

「まぁまぁ、外で立ち話もなんだから、部屋に入らない?お茶も準備してあるよ」

 再会に喜ぶ仲間たちをニコニコしながら見ていたうみホームを指差しながら言う。

……

「誰?」

 ごもっとも……

 海を指差して、怪訝そうな表情で藍に言う杳に藍は苦笑を返す。蒼に至っては、燁を背後に回して守るような態勢になっている。

「海だよ!地軍の隊員なんだってー」

 蒼の背後からどこか緊張感のない声で燁が言う。それに合わせて海は微笑み、右手を背中に回しグローブを外した左手を腹の前に置く。

「初めまして。地軍隊員の海・ルーラーです」

 四人に見えるように置かれた左手の甲には、火群の印である玉を抱く瑞獣が描かれている。

 ……そう言えば、地軍の隊員は印をその身に刻んでいるって言ってたっけ

 ともえの直下に置かれた地軍は火群の中でも少し異質な存在で、彼らは火群に所属しているわけではなく、巴に仕えていると言われていた。その全貌を知る者も巴しかおらず、藍たち四軍隊長も隊員の姿を見たことはなかった。巴いわく、『彼らは色々調べる係なんだ』とのこと。

「あ、その入れ墨は初めて見た。それあるからグローブしてたのか?」

 蒼の背中から海の前にやってきた燁が、左手甲に彫られた瑞獣をまじまじと観察する。

「そうそう。意外と目立っちゃうんだよねーこれ。もっと別のところにしてくれれば良かったんだけど」

 そう言いながら海は、グローブを着ける。

「温泉とかプールとか入るとき困っちゃうんだよねー」

「へー。そうなんだ」

 ……そこか?

 無邪気に返す燁とニコニコ笑う海を見ながら、他の三人は目を合わせて小さく溜め息をこぼした。


 開け放たれた大きな窓から風が通る。テーブルを囲んで思い思いの場所に座る仲間たちに、杳は手製のレモネードの入ったグラスを手渡していく。

「思った以上にそのままだったわ……」

「だろ?」

 最後まで島にいた杳は、家の中も綺麗に片付けてから島を去った。そのときには、冷蔵庫の中はもちろん、ホーム中を綺麗に何もない状態にして出ていった。……が、今見た冷蔵庫には、食べ物がしっかり入っているし個人の部屋も杳と蒼よりも先に着いていた二人の部屋は以前のようにくつろげる空間になっているようだった。

「一週間に一回、船が寄ってくれるんだよ」

 藍たちの乗ってきたムーンリル号が、他の島を回るついでに食料や必要な物資を届けてくれているのだ。船を降りる前に、船長と話をした藍がそういう算段をつけてくれていたようだった。

「でも、この島……住民たちに怖がられているんじゃないのか?」

 かつてのこの島は、『誰も知らない島』『神のいる島』として恐れられていた……と蒼は記憶している。

「まぁな。それは、相談次第だよ」

 ニッと笑いながら藍は小さく指先で円を作ってみせる。

 ……つまり、金次第……ということか

 たった五年……されど、五年。

 新政府が樹立して、まだ五年しか経っていないけれど、確実に時代は移り変わり、人々の心もまた変わっていく。海や自然への畏怖……かつての信仰が少しずつ薄れていっているのかもしれない。

 自然を畏れ、敬う気持ちがなくなったとき……人間はどうなっていくのだろうか。

 ふと、蒼の脳裏を箱庭のような空間で過ごす同級生たちがよぎる。彼らの多くは、『自然』に触れることなく過ごしていくのかもしれない。

「……それで?巴くんはいつこっちに来られそうなの?夢で会ったときは、あんまり具合良くなさそうだったけど……」

 グラスに入った氷をカランと小さく鳴らしながら、杳はレモネードを飲む。程よい酸味と甘みが長旅で疲れた体に心地良い。

「それな。何も聞いてないんだわ」

 ソファからズイっと身を乗り出して言うのは藍だ。

「……藍が聞いてなかったら、誰もわからないんじゃ……?」

 恐る恐る口にする燁の気持ち、わかる。

 杳も思わず頷く。

ホームに行けばわかるって言われてるんだけど……」

 ここには、藍たち火群四軍の隊長と地軍の隊員である海しかいない。

「あ、それ僕聞いてるよ〜」

 はいはーいと手を挙げながら、どこかのんびりとした口調で言う海に、杳は力が抜けてしまう。

「巴くんをここに呼ぶためには、封印をとかなきゃいけないんだって」

 ニコニコした顔でさらりと言ってのけた言葉に、火群四軍の隊長たちは動きを止める。

「封印を……解く?」

「そうそう。島を離れる前に皆でフォースの封印したでしょ?あの封印を解いて、力を解放すれば巴くんはここに来られるって言ってたよ」

 燁が呟くように零した言葉に重ねるように海は続けた。

 封印を解く

 言葉にするとたったそれだけ。だけど、自分たちがどんな思いで、何を思ってその力を封印したのか……それを思うと、その案においそれと乗っかってしまっていいのか躊躇ってしまう。

「……それ、巴くんが言ってたの?」

 少し震えたような声で杳が聞く。

「うん。そうだよ」

 やはりさらりと答える海に、杳は何だか薄ら寒いものすら感じ始める。藍は大きく息を吐いて、天井を見上げた。

 ……恐らくそうだろうと思ってたけど

 実際に言葉として聞くと、事の重大さが肩に重く伸し掛かるような気がしてくる。

 そもそもフォースは、自然界に元々存在している力だ。それを自分の体を通すことによって、倍化したり形を変えたりして目に見える状態として使っていたのが火群の隊員たちだった。その力だって、本来人間誰しもが持っている力で、たまたまその能力が高かった人間を集めた集団が火群だったのだ。そして、隊員の中でもフォースを扱う力に最も長けていた人間が隊長となったのだ。燁は火の力を、藍は水の力を、杳は金の力を、蒼は木の力を、そして巴は地の力をそれぞれ扱うのを得意としている。

「四軍はオレたちがいるからいいが、地軍は?地の力がないと封印を解くことはできないんじゃないか?」

 様子をうかがっていた蒼が、静かなトーンで言う。

「そこで僕だよ♪僕が巴くんの代わりになるね。もちろん、巴くんほどの力はないけれど、フォースの解放くらいはできるよ」

 開け放たれた窓から入ってくる風が、ふわりと髪を揺らす。

「だからね、早くフォースを解放して、巴くんを呼んじゃおう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る