第10話

 シュンシュンと蒸気を上げる列車の中。間もなく出発の時刻を迎える。

 ……のは、いいんだけど……

 ボックス席に座る燁の目の前には、緩くウェーブのかかった艶のある黒髪を持つ小麦色の肌をした兄妹きょうだいが座っている。昨日までその位置に座っていた藍は、今は燁の隣にどっかと座っている。藍は至極ご機嫌なようで、にこにこしているけれど、燁には何が何やら訳がわからない。

 今朝の話だ。燁が目を覚ますと、藍は起きていて部屋にはすでにナユタとマナ兄妹きょうだいがいた。二人は、室内の丸テーブルに広げられたホカホカの焼き立てパンを美味しそうに食べていた。ほっぺたをほんのり赤くして、にこにこしながら食べるその姿は、寝起きの頭がぼんやりしている燁が見ても、可愛らしい様子だった。

「おっ!やっと起きたな。燁も食うか?」

 燁が目を覚ましたことに気付いた藍は、そう言いながら燁のためにカップに熱いコーヒーを入れて持ってきてくれる。

「ほい。熱いから火傷すんなよ?」

「……ありがと」

 ぼんやりとした頭のまま受け取って、燁は流れでカップに口を付けた。

「あちっ!!」

「だから言わんこっちゃない」

 ちょっとコーヒーを吹きこぼした燁を見て、マナがパタパタと小走りにタオルを持ってきてくれる。

「ありがと」

 燁がそう言うと、マナはにっこりと嬉しそうに笑った。

 やっぱり可愛い子だよなぁ……

 くりっとした大きな目元や小さな唇、ちょっぴり上向きの鼻が愛嬌があって可愛さが増している。

 …………

「じゃなくて!何で二人がここにいるんだよ!」

 問うた先はもちろん藍だ。

「ん?この先一緒に行くことになったから」

 朝の光を浴びて、藍の金髪はますます輝きを増して後光が差しているかのようだ。笑顔と合わせて男前度が三割くらい増しているような気がする。

「一緒に……ってなんで!?」

「何でって……ナユタに仕事紹介しようと思って」

 昨晩、燁が眠った後に念のためにナユタたちが寝床としているという農家の納屋に様子を見に行った。すると案の定というか予想通りというか……燁と藍が追い払った軍人が、二人のところに押しかけていた。それを再び藍が挨拶をして丁重にお帰りいただいたのだった。

「……いつもこうなのか?」

 尋ねた藍にナユタは小さく頷く。

 いつもこうだ。誰かが助けてくれても、その人がいなくなれば、またやってきて難癖つけてなけなしの金を巻き上げていく。親切な町の人に頼まれたお使いや人使いの荒い商人の小間使、農家の手伝いをしたりして日銭を稼いでいる。でも、それだけじゃマナと二人で暮らしていくには足りないから町のゴミを漁って使えるものを売ったりしてなんとか生活をしているのに……どんなにがんばって働いても、あいつらの懐に落ちていくだけだ。

「……ご両親は?」

 少しだけ声を低くして、藍は遠慮がちにナユタに聞く。

「いない。父さんは五年くらい前に仕事で出かけて行ったまんまいなくなった。母さんは……いなくなった父さんの分も働いて、体壊して……でも、薬買えないし、医者にも行けなくって」

 旧政府から新政府に政権が移譲されたとき、表向きは穏便に当時の将軍から今の帝へと政権が移された。だが、その影にはいくつもの争いがあり、たくさんの人が巻き込まれた。その争いの中で命を落としてしまった人が少なくないことを藍は身を持って知っている。

「……父さんがいれば診てもらえたのに……」

 ナユタの父はこの町で医者をしていたと言う。医療に貧富の差があってはならないという信条の元、貧民街の貧しい人々をほとんど無償で治療していたそうだ。

「父さんはすごかったんだ。町の人たちにも信頼されてて、いつも頼りにされてた。だから……」

 遠くの町で争いが起きたとき、それに巻き込まれた人たちを治療しに誰よりも早く現地向かった。家を出るときにナユタの頭を撫でながら父さんは言った。「ナユタ、母さんを手伝って、マナを仲良くするんだぞ」にっこり笑って手を振る姿が、最後に見た父さんの姿だった。

「そうか……」

 藍はそっとナユタの頭を撫でる。

 温かいその大きな手は、少しだけ父さんの手に似ていた。頼もしい父さんの背中、温かい父さんの手、いつも優しい声……自分もいつか父さんと同じように……

「医者になりたかったんだ……」

 父さんから学んで、それでも足りなかったら学校にも行って、父さんと同じように誰かを助ける医者になりたかった……。でも、今となってはそんなこと夢のまた夢だ。こんな生活だったら本の一冊どころか、紙やペンだって買えやしない。

「まぁ……今のままだったら医者になんてなれないだろうな」

 藍の声の調子はどこか軽い。

 ……他人事ひとごとだと思って……

 自分たちを乱暴な軍人から助けてくれたとは言え、所詮軍人は軍人か……。他人のことなん興味なくって、自分のことしか考えていないんだ……

「……お前、働く気はあるか?」

 唐突な藍の発言に、ナユタは俯きかけていた顔を上げる。

「あるよ!でも、ここにはまともな仕事をオレみたいなガキにさせてくれるところはないんだよ!」

 良くてせいぜい商人の小間使だ。でも、それでもらえるのは雀の涙のお駄賃程度で、一日分の食費にすらなりはしない。

「ここにはないんだろ?でも、別のところにならある。お前が本気で働きたいなら紹介してやってもいい。ただし……」

 藍はニッとちょっとだけ人の悪い笑みを浮かべる。

「相当きついから覚悟しとけよ?」

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