第6話
三百年あまりの長きに渡って続いた政府が、突然その権力を朝廷へと戻すという話になったのは今からおよそ五年前のことだった。
当時の政府は、大老や老中といった上位の官職の力が強大で、本来最上位の権力者であるはずの将軍の影は極めて薄かったと言われている。そのせいもあってか、治世の後半は、賄賂や汚職が横行し、国の政が汚れに汚れていたそうだ。そんな最中に荒天による大飢饉があったり、隣国から攻め込まれたりと色んな意味で国中が荒れて、人々の心もすさんでいた。
最後の将軍は、先代の急逝により幼くしてその位についた。そのため、政治のことには疎く家臣たちの意のままに動かされる人形になり、政治の実権は家臣たちに握られていた。家臣たちは、互いに互いを蹴落とし、次に権力を握るのは自分の血筋だと言わんばかりに将軍の元へ自分の娘たちを嫁がせ、世継ぎを産ませようと躍起になっていた。しかし、幸いというか何というか……将軍の元に世継ぎとなる男子が生まれることは少なかった。また、生まれてきたとして赤子たちは成長をする前に命を落としていった。原因は病気とされてはいるが、真実は闇の中だ。次代は、将軍の弟君の若様か……と話が進みかけたところで、将軍は大きく舵を切った。
それが、政権の返還だった。
それ後の政権の交代はスムーズで、将軍は政の中心を帝へと移してからすぐに死亡した。重い病にかかっていたそうだ。
政権を譲られた帝は、ただちに政府の立て直しへと取り掛かった。旧政府の官職たちをその職から降ろし、組織の再編を行った。そうして今、やっと国が立ち直り始めたところ……
というのが、
でも、燁は知っている。その影にあった戦いを。その戦いで多くの人が傷つき、傷つけられr、命を落とした人も少なくないことを燁は知っている。
燁の手が届いた人もいた。助けられなかった人もいた。たくさんの人が、燁の前を通り過ぎていった。
ガタゴトと小気味よい揺れを全身で感じながら、燁は視線を窓の外へと移す。
早いスピードで後ろへと流れていく風景。目に映る景色は、のどかな田園でところどころで作業をしている農民の姿も見える。
世界は……少しずつ前に進んでいるんだ
燁が今見ている風景も、きっと五年前は違った景色だったのだろう。荒れ地だったかもしれないし、小さな集落があったかもしれない。戦の跡地の可能性だってある。そこに今、命を繋ぐ作物を育て、作物から食べ物を作り、それを食べて生きている。作業をしている農民たちだけでなく、燁自身だってそうだし、他の人たちだっておんなじだ。少しずつ世界は穏やかになっている。この穏やかな世界を守るために燁は、燁は……
視線を前に移すと、少し難しい顔をして書類を見ている
「どうした?腹減ったのか?」
手を伸ばして、その大きな手でクシャリと頭を撫でてくれるのが好きだ。子どもの頃に転んで泣きべそをかきそうになったときも同じように頭を撫でてくれていた。
『大丈夫。だから泣くな』
そう言われると本当に大丈夫な気がして、燁は笑った。
「次の街で燃料補給だから、それまでもう少し我慢しろよ」
「大丈夫だよ。腹減ってるわけじゃない」
藍と再会しておよそ一週間。燁は今、藍と一緒に旅をしている。旅と言っても決して観光ではないし、藍の任務に帯同するわけでもない。藍の任務は「燁を見つけて、連れてくること」だそうなので、燁はこれから藍の任務報告に連れて行かれることになる。
少しずつ汽車のスピードが落ち、ガクンと大きく揺れるとそのまま止まった。人の流れに合わせて外に出ると、空が茜色に染まっていた。
「今日はこの町で泊まりだな」
シュンシュンと音を立てていた汽車も静かになり、降りた人たちも駅の改札を抜け、街へと移動したようだ。藍に言われて、燁も頷く。
駅から出ると知らない街の気配を感じて、燁は少しだけ楽しい気分になってくる。
駅から続く通りは、きっとこの町で一番にぎやかな通りなのだろう。大通り沿いに夜店が立ち並び、流れてきた人々が足を止めて商品を見たり、屋台で食事をしたりしている。皆楽しそうに思い思いの時間をすごしているようだ。
ふと、路地の奥に目をやると、そんな様子を羨ましそうに見ている子どもが目に入った。きょうだいだろうか。兄と思しき少年が、さらに幼い少女の肩を抱いていた。髪はしばらく櫛でといた様子がないくらいパサついていて、着ている服も質素で薄汚れている。表通りを歩いている人を見る目は、ギラギラと光って見えた。
そんな目をして生きていた子どもを燁は知っている。楽しそうに通りを歩く人たちが羨ましくて憎らしくて、何も持っていない自分が情けなくて悲しかった。でも、そんなときに手を差し伸べてくれた人が燁にはいる。
「どうした?腹減ってんのか?」
顔を覗き込んでくる藍に、燁は首を振る。
「いや……なんでもない」
「そうか?まぁ……じゃあ先に宿に行くか」
「うん」
そう言って返事をした後に、燁が路地に目を向けるとそこにはもう誰の姿もなかった。
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