第4話

 夢でもみているのかと思った……

 始業前の教室で学友たちの喧騒を背中に、ようは窓の外を眺めながら昨夜のことを思い返す。

 昨日の夜、バイト中の燁を訪ねてきたのは、きっと会うのはもっと先の未来だろうと思っていた人だった。燁が学校を卒業して、入隊して、それからずっと昇進した先にきっといる。そう信じていた人だった。まだ幼かった自分に、生きていくために必要な力の使い方と一人でも立っていられる強さをくれた人だった。

 ……夢じゃない

 そう。らんが燁に会いに来たのは、間違いなく現実だ。燁の仕事が終わり、店が閉まる時間になるまで話しても話足りなくて、我がままを言って燁の家に泊まってもらった。

 栄耀街えいようからそう遠くない大通りを一本入った先にある路地の奥に燁の家はあった。干した肉や魚、果物などの乾物を売る店の二階を間借りしている。間借りといっても入居人は燁しかおらず、自由に使っていいと言われていた。

 カンカンカンカン……

 鉄製の階段を軽い足取りで登る燁のあとから、ゆっくりと藍が登ってくる。部屋のドアの前まで藍が来るのを待って、燁は入り口のドアを開けた。

 元々従業員の休憩室として利用されていたという部屋は、ただっ広いワンルームで隅には小さなキッチンが付いている。飾り気のない部屋には、小さなローテーブルとソファ、それにベッドがあるだけだ。

「相変わらずだな……」

 部屋に足を踏み入れた藍が苦笑しながら言うのに、燁はきょとんとした表情で首を傾げる。

 昔からそうだった。燁は、自室として充てがわれた部屋には寝るときくらいしか戻ることはなかった。寝るだけの部屋だったので、部屋にはベッドしか置いておらず宿屋よりもひどいと仲間内で笑ったものだった。でも、燁にとってはそれで良かった。寝るとき以外の多くの時間を仲間達と過ごした。彼らと過ごすことが、燁にとって何よりも嬉しいことだった。

「何もないけど……」

 そう言いながら燁は、もらってきた賄いをテーブルの上に広げる。

「気にするな。酒はあるし、十分だよ」

 店主は食べ物の他にも、飲み物をいくつか藍に持たせていた。それを見て燁は笑い、床に置いたクッションの上に腰を下ろす。藍はソファに腰掛け、もらった瓶の栓を抜き口をつける。

「藍はさ、あれからどうしてたんだ?」

 あれから……

 五年前のあの日、島を後にして藍が選んだ道は軍人になることだった。旧政府が解体され、新政府が樹立して軍の隊員募集が始まると入隊を志願して、試験を受けた。深刻な人で不足だった軍にはすぐに入隊できた。そのままトントン拍子に昇進して、現在の位置にいる。

「藍はさ……どうして軍人になろうと思ったんだ?」

 いつもより多くもらった賄いを食べ、明日も授業があるから……と布団に入った燁はウトウトしながら藍に聞いた。

「そうだな……」

 ソファに長い脚を投げ出して横になっていた藍は、少し考えて小さく呟いた。

「きっと、燁と同じだよ……」

 オレと……同じ……

 島を出て、流れに流れた先で燁が選んだのは、国立の軍属学校に入学することだった。軍属学校に入学すれば、成績さえ良ければ住むところも食べることにも困らないと聞いたからだ。卒業後は、そのまま軍に就職もできる。軍人になれば……離れていても仲間を守ることができる。そう思った。

 自分たちが切り開いた未来を新しい世界を心穏やかに暮らしていける世界にしたい。そう思って……

「……そっか……」

 藍も……オレと一緒……

 そのままふわりと眠りの波に飲まれてしまって、気が付いたら朝だった。空は白んできていて、ソファにいたはずの藍の姿はなかった。

 ーーまたな。

 そう走り書きされたメモが、テーブルの上に残されていた。

 また……会えるんだ

 何も言わずに部屋を出られたのはちょっと悲しかったけれど、また会えるんだと思うと嬉しかった。その『また』がずっと先でも、燁は待っていられる自信がある。

 周囲の空気がざわめくのを感じて、燁は視線を教室へと戻した。

「静かにしろー朝礼始めるぞ」

 生徒たちの目線は、そう言いながら教室に入ってきた教師の後方へと注がれているようだ。どうやら今日は連れがいるらしい。

「いいか。今日は央都セントラルからわざわざこんな田舎まで視察に来てくださった方がいる」

 この国は、大小の島が連なった列島からなつている。そのほぼ真ん中にある一番大きな島を中ツ島センターアィルと言い、その島のほぼ中央に位置し、国の中心となっているのが央都セントラルと呼ばれる街だ。燁の暮らす街は、央都セントラルのある中ツ島センターアィルの南にある島のさらに南の端っこにある田舎町だ。そこに央都からわざわざ視察に来校するなんて……

 よっぽど央都は暇なんだな……

 燁がそう思ってしまっても仕方がないというものだ。

「紹介しようーーどうぞ」

 いつもの生徒に対するちょっと横柄な態度と一変して、堅苦しい口調で、教師は廊下に立つ人物に中に入るように声をかけた。

「失礼するよ」

 キザな感じと言うか、鼻につくと言うか……そんな言い回しの言葉が、聞き慣れた声で聞こえた。

 ガタッ!!!

 思わず椅子から転げ落ちそうになった燁を許して欲しい。

 な……なんで……??

 『またな』とは確かに書いてあったけれど、こんなに早いとは思ってなかった。

 昨日の今日じゃねーか……

 ニヤリ……と燁に向かって一瞬人の悪い笑みを浮かべて、黒板の前に立つ男……藍は話し始める。

「初めまして。中央軍所属の藍・トリームです。今日は学校長の紹介でこのクラスを見学させてもらうことになりました。一日という短い時間ですが、未来の後輩たちの訓練に励む姿を見学させてください」

 にっこりと笑うその顔は、女子生徒と言わずクラスの生徒達の心を鷲掴みにしたに違いない。……燁以外は。

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