第3話
燁は手に持っていた洗いかけのグラスを手早く洗い、手を拭くとフロアに出るドアへと向かう。ドアの横にある鏡で手早く身だしなみを確認し、少し緩めていたネクタイを軽く締め直してフロアへと出た。
間もなく閉店という時刻。薄暗い店内に残っている客は多くない。
客って言ってもなぁ……
バイト先は学校に紹介された場所ではあるが、バイトをしていることは学友たちには言っていない。もし知っているとすれば、教師たちの誰かということになるが、わざわざ仕事中の燁を呼び出したりすることはないだろう。
誰だよ一体……
そう思って店内を見回したとき、燁は自分の目を疑った。
「……な……んで……??」
脚の長いスツールに腰掛けていてもわかるスラリと伸びた足……と長身。サラリと流れる金髪と深い青い瞳。すっと通った鼻筋とはっきりとした目元は、どこか異国の血が入っていることを感じさせた。『そもそも骨格がちょっと違うよね』とは、誰の言葉だったか……。
思わずジッと見つめてしまった燁の視線に気付いたのか、彼……藍が隣に座っていた女性から視線を燁の方へと移した。
青い瞳に柔らかい光が差し、口元がふわりと優しく笑みの形をとる。その表情を見た女性がいたら、きっと恋に落ちてしまうだろう。
……相変わらず無駄にイケメンだな
藍が女性にハグをして頬に軽くキスをすると女性はヒラヒラと手を振って藍から離れた。その様子を苦笑いを浮かべながら眺めていた燁は、女性が支払いを済ませて店から出るのを待って藍の隣のスツールへ腰をおろした。
「久しぶりだな」
耳に心地よく響く低音が懐かしい。藍の大きな手がクシャッと燁の頭を撫でる。その手付きも、あの頃と変わらなくて胸の奥がキュッとなる。
楽しくて、嬉しくて、いつまでもこんな日が続けばいいと思うときもあった。でもそれ以上に泣きたくて苦しくて、どうしようもないときもあって、早く大人になりたいと強く思った。早く大人になって、大切な人たちを守りたいと思っていた。
「元気だったか?」
藍の声は穏やかで、その笑顔もあの頃と変わらない。……少し老けたかもしれないけれども。
「……元気だよ」
燁はどんな顔をすればいいのかわからなくて、俯いて泣きそうになるのをグッと堪えた。
「ばぁか、泣くなよ?」
ニヤニヤとしながら俯いた燁の顔を覗き込むようにして藍はからかうように言う。
「ばっ……泣かねぇよ!!」
勢いよく顔を上げて、声を荒げる燁の目の端っこには少しだけ涙の粒が乗っている。
泣いてはいない。ただ、懐かしさに胸がいっぱいになっただけだ。あの頃の幸せだった時を思い出して、胸がギュッとなっただけ。あの頃の今よりも弱かった自分を思い出して、鼻の奥がツンとしただけ。
本当は、あの場所を離れるのは嫌だった。でも、新しい道を進まなければならないと言われたから。燁自身も、自分で道を選んで、作っていかなければならないと思ったから。だから、あの場所から、仲間たちから離れて軍属学校に入ることを決めた。
大切な人たちの生きる、この国がこの時代ができるだけ長く長く続くように。自分たちの切り開いた世界を守るために。
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