第2話

 薄暗い店内に心地よく響くベースの音。重い樫の木の一枚板で作られた扉の奥に広がる世界は上質で、でも堅苦しさを感じさせない心地の良い空間だった。

「いらっしゃい」

 店主であろう老紳士が、一瞬だけらんに目を向けてすぐに手元へと視線を戻した。

「好きなとこ座りな」

 そう言われて、藍は店主に比較的近いカウンターの端のスツールへと腰を下ろす。

 カウンターの反対側にはいくつかボックス席があるが、店内はそんなに広くはない。藍の他にカウンターに男性の二人連れが一組、ボックス席には女性だけのグループが一組とカップルが一組いる。どの客も小綺麗な服装をしているところから見ても、客層は比較的良い方なのだろう。カップルの男性は、女性の肩を抱いて自慢の時計を披露しているところのようだった。

「注文は?」

 ちらりと向けられた視線は何かを探るようで、藍は小さく苦笑いを浮かべる。

「ハイボールをお願いします」

 響く声は高くもなく低くもなく。耳に心地の良い。ふと視線を感じてそちらを見ると、女性グループが藍を見て何かコソコソと話をしているようだった。藍がニコリと笑って小さく手を振ってやると、キャーッと一瞬声が上がり、またコソコソと話を始める。

 この地域では珍しい、藍の金髪碧眼は高祖母の血の影響だという。スラリと高い長身も相まって、正直目立つことこの上ない。幼い頃は、兄たちと違う自分の姿を嫌ったこともあったが、今となっては割と有用性の高い容姿だという認識すらある。

 カランと音を立てて、藍の前にグラスが置かれるた

「……で?ふくろうがこんな店になんの用だ?」

 軍の最高幹部の一人は、直属の隠密部隊を持っていると言われている。その部隊は人知れず街や人を探り、影から国の存続を支えているという。その秘密裏の活躍で国家が成り立っているとも噂されている。その隠密部隊の通り名が「ふくろう」で藍の着ている薄汚れたコートに引っかかっている腕章にも小さくその姿が描かれている。

「……人を探しているんです」

 シュワシュワと炭酸の泡の上がるグラスに口を付けて藍は呟くように言う。空いている手は、無意識に耳元の耳飾りへと伸びる。銀で作られた小さな瑞獣。その手には黒い石を持っている。梟になる前の藍の仲間たちは皆揃いの耳飾りを付けていた。探している彼も同じものを付けているはずだ。

 彼に出会ったのは随分昔のことだが、今でもはっきり思い出せる。赤い瞳をキラキラさせた幼さの残る少年。くるくるとよく変わる表情と時折見せる大人びた横顔。その笑顔はいつだって藍たちに元気をくれたし、彼の行動はいつだって前に進む勇気をくれた。

「燁・ライファという青年をご存じないですか?」

 今日、ちらりと見かけた赤い髪の青年。あれほどの深い赤は、藍の金髪よりも珍しい。遠目だったので顔までははっきり見えなかったけれど、彼の持つ明るい雰囲気は変わらない。どんなときも周囲に明るさをもたらす。

ふくろうが?」

 店主の表情が鋭くなり、視線は藍を探るようにすがめられる。

「昔なじみなんです。今日学校で見かけてグウィン氏にこちらを教えていただきました」

 そう言いながら藍は、軍属高等学校の校長から預かった一枚のバッジを店主へと差し出した。終業後の学校で見かけた燁のことをグウィン……軍属学校長に訪ねたところ、この場所を教えられた。そのときに、これを出せば話も早かろうと渡されたのがこのバッジだった。一見すると丸い銅の何の変哲もないバッジだが、よく見るとそれに施された細工は細かく、それなりの値段がするとこは創造に固くない。桜花の彫り物がされたそれは、今の軍事体制の前身となった警備隊の物だった。それを見た店主は、首をすくめるとちらりと店の奥にある厨房に目をやった。

「まだ仕事中だ。待てるか?」

 その言葉に藍はにっこりと満面の笑みを浮かべた。

「もちろん」

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