第1話
終業を伝える鐘が鳴る。黒板の前に立つ教師に挨拶と礼をし、教師が出ていくと室内は途端に空気が変わった。それまでのピンっと張り詰めたような空気が一変して、緩やかになり、教室内は生徒たちのざわざわとした喧騒に包まれる。
さて……と
「もう帰るのか?皆で
教室を出ようとする燁の背中に、学友から声がかけられる。
「悪い、用事あるんだ」
「そっか。じゃ、また明日な」
「おう。またな」
ヒラヒラと手を振ると、
チラリと目をやった時計は、予定の時刻をわずかに過ぎている。
時間ないんだけどなぁ……
燁は顔だけニコニコさせながら、心の奥で大きく溜め息を吐いた。
「ライファ!」
聞き慣れた声に再び顔を向けると、燁は今度はきちんと足を止める。
少し離れたところから、声をかけてきたのは初老に差し掛かろうかという年齢の男性……燁が通う国立軍属高等学校の校長だった。彼は隣に立つ若い男性に少し頭を下げると、燁の方へとやってきた。元軍人とあって、その体格は同年代の男性のものと比べると随分逞しい。任務中に負った大怪我さえなければ、今も現役で軍人として前線で活躍していたに違いない。
「どうだ、最近は。何か変わったことはないか?」
親も血縁者もおらず、一人で生活をしている燁を、彼は目にかけてくれているようだった。 何かと声をかけてくれ、時間が合うときは自宅で食事をご馳走してくれることもあった。彼の妻の作る料理は本当に美味しい。あまりに美味しくて、いつもうっかり食べすぎてしまう。
「おかげさまで、元気にさせてもらってます」
我ながらおっさんみたいな返事だな……と心の中で思いながら燁は笑顔を向ける。
「そうか、困ったことがあれば言うんだぞ」
「はい。お気遣いありがとうございます」
チラリと時計に目をやると、そろそろ本格的に時間が差し迫っていて……
「急いでるところ悪かったな」
校長は少し苦笑を浮かべながら、燁の肩をポンと軽く叩くと燁に背を向け、待たせていた男性の方へと戻っていった。スッと背の高い男は、軍帽を目深に被っていて顔はよく見えない。でも… …
なんか、すげーイケメンの気配がする……
周囲の女子学生たちもその気配に気づき始めているようだったが、校長と男性はにこやかに話をしながらその場をあとにした。
「っと…」
時間がっ!!
燁は身を翻して校門を駆け抜けると、スピードをあげて本格的に走り始めた。
街を駆け抜け、
「すみません!遅くなりました!」
それなりに重い木の扉を勢いよく開けるとカランコロンと乾いた音で鐘がなる。
「気にするな。その分給料から引いてやる」
いやいや……それが困るんだって
一人で生活している燁の家計は、正直そんなに裕福ではない。学費は奨学金で支払っているけれども、それ以外の支出はこのバーの稼ぎで賄っている。
「途中で校長センセに声かけられてちょっと立ち話してたんだよ」
ちょっと口を尖らせて言いながら、燁は荷物を置くためにバックヤードへ向かう。
「そうか。なら仕方ないな」
そううそぶく老紳士の背中に向かって、燁はベッと舌を出して見せる。
「……何時間分引かれたいんだ?」
まるで背中に目でもあるかのように言われて、燁は慌ててバックヤードへと駆け込んだ。
バイト先であるこの老舗のバーを知ったのは、学校からの紹介だった。通常、国立軍属学校では、夜間のアルバイトは禁止されている。……が、特例のないルールはなく、優秀な成績を修めている特待生にのみ条件付きで認められることがある。条件の一つは、特待生の条件である成績上位をキープし続けること。一度でも成績を下げてしまうと、その瞬間からアルバイトは禁止になり、以後許可されることはない。何事も学業優先ということらしい。二つ目の条件は、アルバイト先が学校の紹介であること。紹介先は生徒の特性によって様々だと言うが、燁に充てがわれたこのバーは、校長の元同僚である退役した元軍人が店主をしており、その健全性は明らかであるとともに他の店に比べて随分と時給も良い。身寄りのない燁に目をかけてくれている校長のおかげかもしれない。
手早く支度を整えて、燁は開店の準備を始めた。
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