第47話 精神障害の代弁者

 お見舞いの後、咲が家に戻ったようで、俺に心の声で語りかけた。


(ただいま帰ったよ。一人は寂しいね。ノンはこの一人きりの生活を三十年以上して来たんだね。疲れたしもう寝るから子守唄とか歌ってくれるとよく眠れるんだけどなぁ。)


 尾崎豊の得意な曲を口ずさんだ。俺の歌は咲に届いたのか。


(あたしの一番好きな、尾崎の歌だね。この愛無しじゃ生きていけないよ。あたしは頑張らない。ノンも頑張らない。そこから始めれば良い。怖いものは何も無い。二人は死さえ乗り越える力が有るんだ。生きてるだけで丸もうけだ。今あるのは奇跡なんだから。)

 

 咲の寝息がスースーと聞こえる。そして無音になり同室の患者のイビキが響いた。


*~*~*


 俺が入院して一か月経とうとしていた。


 季節は八月の真夏日でとても暑い日が続いている。咲は毎週、占いの休みになると家から二時間以上かけてお見舞いに来てくれた。


 今日の日曜日は区民センターで十文字さんのセミナーが有ると聞き、病院を外出して咲と二人で参加する事にした。


 定員百名で参加費は無料だ。時間は午後一時~三時まで。テーマは「精神障害者の幸せの実現」で十文字さんの言うタレントも来ていた。


 俺と咲は早めに着き、最前列の真ん中に着席した。会場は満員で立ち見も出た。


 セミナーが始まる。十文字さんが自己紹介をして話が始まる。精神科の現状と歴史を話、当事者である統合失調症の男性が紹介された。歳は三十代だろう。今苦しまされている幻聴について語った。


 幻聴には外から来るものと、心の内側から来るものがあると話した。良い幻聴と悪い幻聴があり、今はほとんどが悪い幻聴で「死ね」とか「殺す」とか言うらしい。

 

 いろいろな精神薬を試みているが成果を得られないと訴えていた。質疑応答で「本当に幻聴は聞こえるのか?」「幻聴の聞こえた時の対応はどうするのか?」などの質問で当事者の男性は「幻聴はマジでバリバリ聞こえますから。」と真顔で答えていた。


 最後に十文字さんの話があった。

 

「今日まで、町の中で多くの方とお付き合いさせていただきました。その中で当事者はもちろん、支援者も含めみなさん、どうも『症状はあったらいけないもの』と思っているのではないかということです。


 本当に『幻聴や妄想はあってはならないもの』なのでしょうか?いつも『落ち着いていなければいけない』ものなのでしょうか?精神科医療とは『単純に症状を取り除くことだけ』なのでしょうか?


 ある当事者が『これ以上元気になったら困るんですよ、だって今のこの生活の理由がなくなりますからね』と実に冷静に話されていました。この当事者の彼は長年幻聴や妄想の症状に悩まされ、実家に長く引きこもっています。


 この暮らしが永遠に続くものではないことも良く分かっています。彼は、心の底から『これ以上元気になりたくない』と思っているわけではなく、症状があることで今の自分と折り合いを付けているのでしょう。


 言い換えれば、未来につながる夢や希望が見えないのではないのでしょうか。彼の引きこもっている年月の長さを考えれば、彼が未来にビジョンを持ち大いなる明日への一歩を踏み出す事はとても勇気のいることだと思います。


 医療はゴールではなくプロセスです。


『将来どうしたいのか』『元気になって何をしたいのか』その人のビジョンや未来の夢を共に語り、一緒に未来予想図を書くことが大事なのです。


 病気の回復は人間力の回復なしにはあり得ません。人間力の回復は、人との繋がりの中で、一度失った、または忘れて来た自尊心をもう一度取り戻すことです。


 我々支援者が当事者と一緒に夢を語り、夢を追いかけるプロセスの中で、医療や薬をツールとして上手に使っていけるように働きかけ、なによりも『あなたを応援していること』そして『一緒に未来予想図を考える用意があること』を示す姿勢がとても重要だと思います。


 わたしはみなさんによく、『治療するために生きているんじゃないからね、服薬するために生まれてきたんじゃないよ、全てが幸せになるためのプロセスだからね』と話します。当事者も支援者もいつしか治療すること、服薬すること、そして何もない、あるいは落ち着いていることが目的になっていませんか?


 誰もがみな平等に一度限りの人生です。『治療すること、服薬すること、そして何もないことだけが人生の目的』にならないためにも、私たちはもっと夢を語り、未来を語り、そしてその人の『幸せの実現』に向けた伴走者にならないといけないのではないでしょうか。」

 

 十文字さんの話が終わると突然隣にいる咲が立ち上がり「ブラボー!素晴らしい!」と叫び拍手をした。参加者の笑いがおき、会場は大きな拍手で包まれた。


 十文字さんと目が合い、「誰?その子」という顔をしたが俺は他人のふりをした。


 十文字さんの話はいつも前向きで俺の暗いネガティブな心に光を当ててくれる。

 十文字さんに教わった言葉がある。

 

「自分を幸せにしてあげられるのは自分しかいないんだよ。」


 本当にその通りだと思う。涙が溢れ出た。

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