第15話 統合失調症の始まり
次は、精神病院の入院の話になった。
前田の初入院はまだ二十代で、健康診断で病院に行き、お会計をしている時に突然パニックになり、自分がどこにいて何をしているのかも分からなくなった。そのまま精神病院に連れて行かれ、統合失調症と診断され入院となったと話した。
俺の初入院の時もそうだったが、いったい精神科の医師は何を基準に躁うつ病だの統合失調症だの決めるのかいまだに分からない。
精神病と診断され依存性の強い精神薬を飲まされ、人生を棒に振る。そして薬の副作用に苦しみながら生きて行かなければならない。
前田も、薬の副作用で足がむず痒くなり手が震えると言った。足がむず痒くなると、カズダンスを踊ると笑った。
前田の最後の入院は、歯医者に通院していた時だった。女性医師に歯を治療してもらっている時、おもむろにズボンを下ろし自分の性器をしごき出したと言うのだ。その行動に女性医師は冷静に対応して男性医師と交代した。
前田はズボンを上げ、何も無かった様にその日の治療を終えた。次の治療の時、警官が立ち合い前回の治療中の事を聞かれ、そのまま精神病院行きになった。
俺は二本目のビールを空け、咲の「前田さんはとても変態だ」という言葉を思い出していた。
時間は午後四時を回ったところでまだ飲み足りない。前田が買いに行くと言うので、千円札を渡しビールを頼んだ。
腹も減って来た。前田が戻ると蕎麦屋の献立表を俺に見せ、出前を頼みましょうと言う。いったいこの男、どこまで図々しいのだろう。蕎麦屋の営業時間は午後五時からと書いてある。メニューを見て、カニ雑炊に目が留まった。値段は一人前九百円。
前田に五時になったら蕎麦屋に電話する様に言うと、携帯を貸して欲しいと言う。自分の携帯はプリペイド式で残高が五百円分しか無く受け専用にしている。メールもオプションを付けていないので、受信はできるが返信出来ないと答えた。
俺は自分で電話するから良いと返事をすると、タンポポでの作業所の話題に変えた。
しかし、仕事嫌いの前田は話に乗って来ない。そうこうしていると、時間は五時になり俺は蕎麦屋に電話して、カニ雑炊を二人前注文した。
話題を女関係にすると、前田は身を乗り出し目を輝かせた。しかし俺たちは、お互い精神障害者だ。相手にしてくれる素人の女はいない。
前田が「次の障害年金が入ったらピンサロに行きましょう。俺、六千円の安い店知ってるんですよ。」と言うので、即却下した。
「お前は、家電を買うのが最優先だろう。しばらくはセンズリでもして我慢しろ。」
俺の言葉に前田は黙ってうなずいた。
三本目のビールを飲み始めると、前田が灰皿を指差し「しけもく貰って良いですか?」と言って俺の吸い終わった煙草に手を伸ばした。しけもくとは、煙草の吸い殻の事だ。
「気持ち悪いからよせ。」と言って、俺の煙草をあげた。
前田は作業所でも、喫煙室でメンバーのしけもくを吸っていた。前田のしけもくを狙っている行動は有名だが、ライバルがいた。川田さんだ。川田さんも競輪狂いのギャンブル依存症で、工賃を全て競輪につぎ込んでお金に困っている。俺もお金を貸してくれと言われた事が有るが断った。作業所の工賃を前借りして、競輪場に行ったのを俺は知っている。
この川田さんと前田が喫煙室のしけもくを奪い合っていた。
メンバーは可哀想で、この二人がいると少し長めにしけもくを残し、喫煙室を出る。前田の方が図太いので、川田さんに勝つのだ。なんて低レベルな話だろうと思うかもしれない。しかし当人達は真剣なのだ。これが金欠病の実情なのだ。
出前が来た。
お金を払いフローリングの床に置き食べ始めた。この部屋、テーブルも無いのだ。俺がいなければ、お金の無い前田はどうしているのだろう。スパゲティーの乾麺があると言うが鍋も無いのだ。
作業所のメンバーに、お金が無くて故意に無銭飲食をして警察のお世話になった事があるという猛者がいるが、今の前田がそういう状況なのだ。それなのにあっけらかんとしている前田を見て驚いた。
障害年金と生活保護で月に十五万くらい銀行に振り込まれるらしいが、もうバカバカしくて働け無いのだろうか。お金が入ると病気が出てパチンコへ行く。お金が無くなると、炊き出しや教会に行き食事を恵んでもらう。
負のスパイラルがグルグルと廻り永遠に繰り返すのだ。
福祉やボランティアというのはよく出来たもので、前田の話だと食事は、月曜日はある教会で食事会があり、木曜日と日曜日は桜田教会で食事会、土曜日は土手沿いの水門で配給がある。
一週間の半分以上が無料で食事にありつける計算になる。
生真面目な、プライドを持つ人間なら自殺を選ぶだろうと思う。カニ雑炊を嬉しそうに食べる前田を見て、生きるって何だろうと考えてしまう。
時間は午後六時だ。明日からまた作業所通いが始まる。内容の濃い二日間だった。
カニ雑炊を食べ終わり、帰る事にした。前田はバス停までついて来て、バスが来るまで立ち話をした。
「明日、ちゃんと来いよ」と言う俺に、笑顔でうなずいた。
バスに乗り咲の待つ家に帰った。
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