感情全てが正しいとは限らない後悔








 俺は旋梨ちゃんの意思を尊重した上で、事の経由を全て辿りながら八神さん、そして鳴海ちゃんへ全てを話した。

 今現在、宮田マネージャーの狙いが主に旋梨ちゃんに向けられている事実と、その内容。

 度が過ぎていると思われる行動の数々に、精神的にも辛い部分があることを、旋梨ちゃんは自らの口で伝えた。


 その深刻な状況に、八神さん達も知らなかったのだろう。旋梨ちゃんが裏で受けていた状況を知ると、目を細め、顎に手を当て深く考え込んだ。


「そうか、そのようなことが……。一人の人間として、恥ずべき行動をしていたものだな……。しかもやり口が余りにも汚い、ちなみにその現状を知っているのは誰だね?」


「お兄さんと、その知り合い。それと涼音ちゃん、そして今話した八神さんと鳴海先輩だけやけん……。レイちゃんにも話そうと思ったばい、けど……負担を掛けたくないけん……」


「裕也くんを始めとし、その話をした相手は旋梨くんからして信用できる人ということだね。そして今回、勇気を振り絞って私たちに話す許可をくれた。なかなか辛い状況の中、よく話をしてくれたね。ありがとう」


「それにしても、うちの可愛い旋梨ちゃんに手を出してたなんて死刑じゃ物足りへんなぁ! 生き地獄を味わってもらわな割に合わんぐらいやわ。なっ、八神さんもそう思うやろ?」


「気持ち的にはわかるがね、中々大きな動きはできない。今できることと言えば、彼の言う準備が整うまでは旋梨くんを極力一人にしないこと、宮田に会わせないことだ」


 かなり物騒な物事を言う鳴海ちゃんに、八神さんは落ち着かせ肝心なのは冷静になることだと言う。

 俺も状況を知る一人としては極力ではあるが、旋梨ちゃんを一人にするつもりはない。


 だがどうしても抜けなくてはならない用事が出来た場合、涼音が代わりに傍に居てくれると言ってくれている。

 今回の件は涼音も事の次第が大きなものであると理解しているために協力はしてくれる。


 旋梨ちゃんにも一応そこは縛ってしまうかもしれないと聞いてみたが、大丈夫とのことだった。


「ただ、宮田マネージャーは旋梨ちゃんが一人の時を狙って現れるとのことできっとこちらの動作を見ているものだと思われ――」



「――僕が、なんだって?」



「ッ!」



 突如として掛けられた声。それはすぐ背後、目の前に座る八神さんの表情は一瞬で強張り、鳴海ちゃんは目を見開く。

 俺はその唐突に掛けられた声が異様に低いものである上に、ゾッと身を震わせる程の圧に身体が硬直した。


 視線を横に向けると、旋梨ちゃんは身体を震わせていた。涼音も俺の袖を掴み、同じように強張っていた。


「……食事後の場に何の用だね、宮田くん」


「あはは! 八神さんは変わらず怖い表情をしますねぇ。そりゃ僕の事を話していたら嫌でも耳に入りますよ。ほら、どうでもいい話は聞こえないのに、陰口だけは良く聞こえる……的なね」


 ゆっくりと振り向き、宮田という男の表情を拝む。それは一言で表すならピエロの皮を被った不気味なものだった。

 何を考えているかわからない、動物に例えるのであれば、まさにヘビと言えるだろう。


「それと、此処に居たんだね旋梨ちゃん」


「うっ……ぁ……ッ」


「やだなぁ、そう怯えないでくれよ。僕は君の才能を認めてあげてるんだよ? そろそろ僕のところに来てくれないかなぁ」


 そう嫌らしく言いながら、その手は旋梨ちゃんの肩にゆっくりと伸ばされる。

 それに気づいた旋梨ちゃんは恐怖で声を震わせた。だがその手が触れるよりも早く、俺は宮田マネージャー……いや、宮田の腕を左手で掴んだ。


「お兄……さん……ッ」


「こいつの担当マネージャーは俺です、勝手に引き抜き行為をしないで頂きたい」


「君が、旋梨ちゃんの……? ふふっ、あはははは! そうか、君は最近噂の新人くんかぁ! 僕の耳にも入ってくるよ。でも、これは決して認められないなぁ。こんな“三流”をマネージャーにしちゃうなんてどうかしてるよ!」


「ッ! に、兄さんをバカにしないでください……!」


「おや?」


「涼音……ッ」


 俺の手を振り払う宮田。俺をバカにされたのが癪に障ったのか、あの涼音が声を張って言い返した。

 それに対して宮田は最初こそ驚きを見せたが、すぐに涼音のことを下から舐めるように見つめた。


「君も噂になっているDream Lifeに所属した新人ちゃんか。へぇ、涼音ちゃんって言うんだ。可愛らしい名前だねぇ、君もお兄さんよりも僕のところに来た方が成長も出来るし、色々なことを教えてあげれるよ?」


「テメェ……ッ!」


「おっと、暴力はいけないなぁ。それに此処は食堂、かなり目立っちゃってるけど大丈夫かい?」


「……ッ」


 旋梨ちゃんに限らず、嫌らしい視線を涼音に向ける宮田。俺は無意識に胸ぐらを掴んでいた。

 だが宮田の言うようにここは食堂、周りの注意を引いてしまっている。


 俺は歯を噛み締めながらも、胸ぐらから手を離す。すると宮田が服の乱れを直して、また不気味な笑顔を向けてくる。


「さっきも言ったが、此処は君が参加できる場所じゃない。今すぐに消えたまえ」


「そう言わないでくださいよ、八神さん。いやね、この野蛮で常識のない三流が僕の事を言ってたみたいでね。まぁ大体の予測、きっと“ありもしない”噂を信じているみたいだけど……。どうなのかな、新人くん?」


 言えるものなら言ってみろと、あえて挑発気味に顔を近づけ言ってくる宮田。

 腸の奥から沸々と、怒りの感情が込み上げてくる。今すぐにでも此奴を、ぶん殴りてぇ……。


 だが既にこちらから手を出してしまった。それに加え言い返してしまえば、今後もずっと不利になってしまう。

 今になって後悔する中で、俺は両手をグッと握り締めて宮田に頭を下げた。


「……この度は、無礼極まりない態度、そして行動すみませんでした。確かに宮田マネージャーの噂について話をしていましたが、ただそれだけです」


「ふ~ん、意外にも場の弁え方は知ってるみたいだね。でも先輩に向かって胸ぐらを掴んだことはそう簡単に許せるものじゃないんだよねぇ。だからさぁ、これで勘弁して上げる」


「――ッ!!」


 とっさに右手を掴まれ、力強く握られた。収まってきていた痛みがぶり返し、俺は激痛に顔を歪める。

 

「宮田くん! 君と言う奴は……!!」


「八神、さん……大丈夫、です……!!!」


「しかし……!!」


「大丈夫だと……言っている……!!」


 あまりの痛みに、俺は口調が荒くなる。それに対して涼音たちも動かず、ただ見守っていた。

 

「これで、気が済みましたか……!」


「……君、意外とタフだねぇ。まぁいいや、今回はこの辺で止めといてあげるよ。けどあまり調子乗った動きはしないことだ。それに無いと思うけど、僕を潰すような事を考えても無駄だよ。じゃあまた会おう、特に旋梨ちゃん……」


 捨て台詞に旋梨ちゃんを見て舌舐めした後、宮田は満足したのかその場から離れていった。

 俺は椅子に座り直し、傷口が開いたのか赤く染まってきている包帯を左手で押さえながら、ジンジンとする痛みに顔を歪ませた。


「はぁ……はぁ……! クソ、クソがァ……!!」


「兄さん、しっかりして……!」


「ごめんね、お兄さん……! ごめんなさい……!」


 立場として、実に自分が脆く弱い存在なのかを身を通してよく知ることになった。

 痛みで苦痛に満ちる俺は、涼音と旋梨ちゃん、そして八神さんたちの付き添いの元で会社内にある小さな治療部屋へ足を運び、手当てをしてもらった。


 それから楽屋に足を運び、一息吐いた後。本来なら自分でやらないといけないところを、八神さんが変わってくれて、涼音の午後の配信を見守ってくれた。


 俺は楽屋で安静にするよう言われ、ベッドで横になっていた。そして楽屋には旋梨ちゃんと鳴海ちゃんが残ってくれた。


「お兄さん、具合はどう……?」


「さっきは取り乱してすまない。だいぶ落ち着いてきた、痛みは多少あるが、それでもマシだ……。はぁ、感情的になってしまうのは俺の悪い癖だな……」


「そんなことあらへんよ、うちがもし裕也さんの立場だったらと考えたら、同じことしたかもしれへんよ。それに宮田さんは裕也さんが止めなかったら、旋梨ちゃんに触れてたんやし。止めたのは正しいと思う」


「だからと言って、俺の行動を正当化するわけにはいかない。ただあの野郎、旋梨ちゃんじゃ足らず俺の妹にまで……!!」


「ちょっとちょっと! 力んだらまた開いてまうよ!」


 思い出すだけで、腹が立つ。自然と手に力が籠るが、慌てて鳴海ちゃんが止めに入ってくる。

 

「はぁ……自分が情けねぇ……ッ」


「そんなことないばい……。お兄さんが止めてくれたの、凄い嬉しかったし、助かったんよ……?」


「だが結果的に、俺は……ッ」


 一歩間違えれば、状況が悪化した。話し合いの中で八神さんから冷静こそが大事と教えられていたのにも関わらず、感情を抑えきれず行動に出てしまった。

 

 学生の頃とはもう違う。今自分が立っている場所は社会を生きる一人の成人だ。

 それなのに関わらず、俺は我慢強さが無かった。考える程に、俺の行動一つで取り返しのつかない状況になっていたかもしれないという自己嫌悪に、自然と涙が込み上げてきた。


 俺は慌てて左腕で目を隠すが、悔しさと自分の情けなさに、涙は溢れるばかりだった。

 

「すまない、本当にすまない……!」


 ただ俺は謝ることしかできなかった。それは自分の愚かさに対してなのか、旋梨ちゃんを危険に晒すかもしれないことに対するものなのか。


 ――そんなことも理解できず、俺は歯を噛み締めた。

 


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