如月旋梨にとっては大きな運命だった‐前編‐
企業勢としての初配信は、午前の部でありながらも大成功で幕を閉じた。前代未聞の先輩VTuberである翔太くんと恵果ちゃんのコラボ凸はあっという間にトゥイッターで話題となり、トレンド入りを冠することとなった。
涼音自身、最初はプレッシャーを感じて上手く動けなかった所もあったが、赤城兄妹のコラボをきっかけに肩の荷が下りたようで、コラボが終わった後の雑談も難なくと乗り越えることができた。
時間にして約二時間、VTuberとしては短い時間での配信ではあるが、涼音のチャンネル登録者数は17万人から怒涛の追い上げでなんと32万まで増えた。
午前の配信を終えて確認した時、涼音と俺は顔を見合わせながらそのありえない伸び方に身体を震わせた。
しかしよく考えれば、Dream Lifeの公式トゥイッターによる先行予告に加え、赤城兄妹のコラボ凸があれば当然のように涼音がどういった子なのかと確認しに来る視聴者が居るだろう。
見に来てくれたと同時に今後の期待として登録してくれる視聴者たちが居たことが、功を成したと言える。
それから涼音は無意識に溜め込んでしまっていた緊張の糸が解けたのか、俺に抱き着いてきた。
背中に回された手が震えているのを感じる。だから俺は同じように涼音を抱きしめ、『よく頑張った、おつかれ』とだけ返して褒めて返した。
俺は先に楽屋で休んで貰おうと涼音にカードキーを渡し、使用後の機材の片付け、手入れをすることに。
これは赤城兄妹のマネージャーである遠藤さんに感化されたからこそ、俺もやってみようという行動だった。
するとしばらくして、別室から瀬川さんが入ってきた。
「お疲れ様です、裕也さん」
「瀬川さんもお疲れ様です、今日はありがとうございます」
「いえいえ、とんでもない。裕也さん、そして涼音さんがしっかりしているおかげで結局私は隣に居るだけでしたから」
小さく笑いながら、瀬川さんは機材の手入れをしている俺の隣でしゃがみ込んで、同じように違う機材を手入れし始めた。
俺は別に大丈夫ですと伝えたが、やらせてくださいと瀬川さんに押され一緒にすることに。
「機材の手入れ、遠藤マネージャーに教わりましたか?」
「えっ? まぁ、そうですね。以前に赤城兄妹の使用するパソコンが不調になった時、実際現場で聞きました。知り合いもそれは絶賛するぐらいに丁寧な手入れをしていたみたいなので、俺も受けよりですがやってみようと」
「ふふっ、そうなんですね。ちなみになんですが、機材を元の場所にあった位置に戻したり手入れをしたりするのは私が最初にやりだしたことなんですよ」
「そうなんですか?」
てっきり遠藤さんが始めたことなのかと思っていた為に、少しアホみたいな問い方をしてしまう。
瀬川さん曰く、自分がやっている現場を遠藤さんが見てくれていたのがきっかけと言う。
それが今回、たまたま俺が重なった。現に機材の手入れ等は俺を含めて遠藤さんと瀬川さんの三人しかしないらしい。
「私はそもそも、自分が好きでやっていたことなんです。だから当時、私は遠藤マネージャーにやらなくても大丈夫と伝えました。しかし真面目な性格をしている彼女はこれも仕事の内と言って、それから毎日するようになったんです。本当は配信する予定の前日とかに軽くチェックする程度でいいんですけどね」
「なるほど、そうだったんですね」
「だから今回、裕也さんが自発的に私や遠藤マネージャーみたいに機材の手入れを始めた時にビックリしちゃいました。けどその反面として、嬉しくも思います」
最初は自分がやりたいという理由でしていたことを、遠藤さん含め俺がしていることを喜ばしく思うと瀬川さんは言った。
俺はそんな瀬川さんの反応、純粋な笑顔を真横で確認しては、改めて綺麗な人だと感じた。
俺の場合は受けよりでやろうと思ったが、よく考えてみれば機材はいつ不調になるかわからない。
以前のように不調でVTuberが配信できなくなるというのは、この会社的にもキツイことなのだと思う。
だからこそ始まる前と終わった後の定期的なメンテナンスは取り入れた方がいいと、思った。
不調で配信ができないかもしれないとなった時に見せた赤城兄妹の残念そうな表情も然り、配信が出来なくなって急遽休みになることは彼ら自身望んでいるものじゃないだろうしな。
「涼音は今でこそ成長して色んな人と話したり、接したりできるようにはなってきましたが、その前までは身内以外と話すのは苦手な子でした。でも個人勢でVTuberを始めた時から、それが涼音にとって大きなきっかけだったのかもしれません。あいつが自分から、これがしたいあれがしたいと言い出せるようになったのはそれが大きいと思うので」
事実、VTuberは涼音の中で大きい存在なのは間違いない。企業に属すことも、マネージャーに俺を選んでくれたことも、しっかりと面向かって頼ってくれたのは、それが初めてだった。
涼音はVTuberが大好きであり、唯一心の拠り所。だから、涼音にはDream Lifeに所属したこともそうだが、今を全力で楽しんでほしい。
だから決して、涼音を悲しませるようなことはしたくない。
「ふふっ、裕也さんは本当に涼音さんのことが大好きなんですね」
「ん”あ”ッ!? そ、それはどういう!?」
「えっ? どういうもなにも、面倒見の良いお兄さんという意味でなんですけど……」
「あ、あぁ……! そうですよね、本当にあいつは俺がしっかり見てないといけない気がしてるので。あはは……!」
あっぶねぇえぇえぇええええええ!! てっきり瀬川さんにも見透かされてるのかと思ったあああぁあぁあああ!!
純粋な意味で聞かれたことに異様な食い付きで反応してしまった俺は、墓穴掘る寸前だった。本当に焦ったわぁ……。
それから瀬川さんとは世間話などをしながら作業し、終わってその場はひとまず解散となった。
午後の配信は俺が決めればいいらしく、開始時刻は16時からとのことで時間には余裕がある。
最後にもう一度部屋を見渡して確認し、俺はライブルームから出ては深く深呼吸をした。
謎の達成感、素晴らしい。
部屋の外の空気を吸い、俺はふと思ってしまう。そう、こういう達成感、一仕事した後に考えてしまうのは一服……。
禁煙したのにも関わらず、海斗の付き合いで吸ったあの煙草一本の味が沸々と蘇る。
脳内で天使と悪魔が勝負を始める――。
【涼音の為に禁煙したんだろ? やめとけって】
【いやいや、一仕事したんだから褒美に吸っちまえよ】
【お前はバカか? その一本が辞められなくするんだろうが】
【だが現にこいつは海斗の付き合いで吸いたくなってんぞ?】
【確かに~!】
【それに決められた場所で周りに迷惑を掛けなければ、別に吸っても問題なくね? 自分の金だし】
【確かに~!!】
【てことで、吸おう】
【へい大将、メビ〇スで頼むぜ】
おいいいいいいいいいいいッ!!! 俺の中の天使、秒で論されてんじゃねぇかああああああああああああッ!!!
脳内の天使が堕天したことにより、俺の足取りは一階にある売店へと歩み始める。
身体が動く、勝手に動く……! 抗え、ここでこそ精神力の強さを表に出していけ……!
しかし人間とは虚しいもので、気付く時には俺の右手には煙草、左手にはライターと携帯灰皿を手にしていた。
海斗と一緒に吸った屋上にて、俺は自分の弱さに打ちひしがれて仰向けに倒れ、空を見上げていた。
「涼音、すまねぇ……。恨むなら海斗を、意志の弱い兄貴をどうかお許しくだせぇ……。アーメン」
謎に祈り終えた俺は、うつ伏せに状態を変えて、さっそくと煙草を開封する。
一本を取り出し、口に咥える。そしてライターでカチッと火を付けたことで、口の中に入ってくる煙……。
「んっ……ふぅ……。あ~、生きてるしうめぇ……ッ」
喉に来る刺激、これだよこれ。なんか吸い始めたことで、もうどうでもよくなった。
二口目を吸った時、不意に屋上のドアが開く。あまりの不意な出来事に、俺はうつ伏せで吸っている状態で視線を向ける。
「あ~! お兄さん、煙草吸ってるとね!?」
「ッ」
そこに居たのは旋梨ちゃんだった。意外な人物に、俺は思考停止と共にフリーズした。
しかしそんな俺を気にもせず。旋梨ちゃんは近付いてきて、何故か俺同様にうつ伏せで横になった。
しばらくして思考が復活したと同時に、俺は慌てて吸い始めたばかりの煙草の火を消し、携帯灰皿に入れた。
「終わった、全てが終わった。てかなんで此処に旋梨ちゃんが?」
「お兄さんが屋上に上がっていくのが見えたばい、やけんちょっと興味本位で後を付けたんよ。そしたらお兄さんが煙草吸ってたとね、悪い人やけんね~」
「ぐぬぅ……! この事は涼音に黙っててくれ」
「黙っててもよかと。でも、匂いでバレるけんよ」
「ですよね~」
痛いところを突いてくる旋梨ちゃんに、俺は涼音に隠れて悪いことをしてしまっている自分が情けないと思う。
コンクリートの冷たい感触を感じながらも、俺はうつ伏せのまま虚無に駆られる。
「それにしても、お兄さんが煙草吸ってるの久方に見たばい」
「……ん?」
ちょっと待て、旋梨ちゃんはなんて言った? 俺が煙草を吸うところを久しぶりに見たって?
それはおかしな話だ。俺が煙草を辞めた時期は涼音と奏さんが来た時で、最近吸ったのは海斗の付き合いぐらいだ。
そこに旋梨ちゃんは居なかったし、そもそもそこで見ていたとしても久方にという発言をするか?
「ふふっ、驚いてるお兄さん可愛いとね。今は二人きりやから言っちゃうけん。私は二年半前から、お兄さんのこと知ってるばい」
「……ッ!! どういうことだ……?」
「んー、口で説明するよりもまずは見せた方が早いとね。これで少しでも思い出してくれたら、嬉しいばい」
そう言って旋梨ちゃんはスマホを取り出し、少し操作をした後に体制の向きをこちらに変えてきて、画面を見せてくる。
――そこに映っていた写真は、黒髪の女の子だった。俺はその写真を目に映すと同時に、記憶が蘇った。
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