こんな感情を知るつもりはなかった
翔太さんと恵果さんを交えて軽く食事を済ませた後、これからの予定を立てたり、事務所に持っていく物などの整理をする為に、私は先輩二人に挨拶をして会社を後にした。
その時、翔太さんと恵果さんの連絡先も登録した。
会社から自宅に帰る道中、兄さんはずっと運転に集中して私と話すことがなかった。
運転や瀬川さんとの話し合い、これからの事を考えているから疲れているのかなと思った。
それは確かにあるかもしれない。でも、私は他にも兄さんがホワイトボードを殴りつけたことが気掛かりだった。
兄さんはその後、蚊が止まっていたと言っていたけど、その表情は二年間の間でも初めて見た曇った表情だった。
なにか不安で、動揺しているような表情……。
直接聞くにしても、きっと兄さんは教えてくれない。いつも、言葉に出さない感情に関してはずっと隠しているから……。
翔太さんに言われた企業勢として活動することを視聴者の皆に報告しないといけないということよりも、私は帰り道も、帰ってきた後でもずっと兄さんのことでモヤモヤしていた。
「あっ……、兄さん……」
「ッ! よ、よぉ涼音」
帰ってきて汗を掻いていたこともあり、お風呂に入った。寝間着に着替えてドアを開けると、バッタリと兄さんに出会った。
私の言葉に、兄さんはやっぱり少し動揺している。兄さんは自覚してないからわからないと思うけど、動揺する時、兄さんはいつも目を泳がせる。
「あの、兄さん……。き、今日はありがと……。運転とか、その……話し合いに付き合ってくれて……」
「いや、俺も自分の事とかもあったし大丈夫だ。寧ろこれから大変なのは涼音の方だろ? 企業勢としてやっていく姿勢を報告しないとならないし……。まぁ、出来る限りは俺も支えるから、色々と頑張っていこうな」
「うん……。あ、あのね兄さん……。一つだけ、聞いてもいいかな……?」
「お、おう。なんだ?」
今までとは違う、ぎこちない会話。それでも私は、このモヤモヤが気になって、聞かずにはいられなかった。
「ホワイトボード殴った時、兄さんは蚊が止まってたと言ったけど……、本当は、違うことじゃないのかなって……」
「……ッ!」
「その……よく、わからないけど……。兄さんは色々頑張ってくれたりするけど、なにか、一人で抱え込んじゃったりしてないかなって思ったの……」
「あー……、それはだな……」
兄さん程ではないけど、私はもし兄さんが抱え込んでることで悩んでいるなら助けになりたい。
だから私は今日あった出来事について、聞いた。すると兄さんは頭を片手で搔きながら、言葉に悩んでいた。
……やっぱり、私じゃ兄さんの力になれないのかな……。
私と兄さんの間で、数十秒が経つ。少し余計なお世話をしてしまったかもしれないと自己嫌悪に駆られる。
けどその時、兄さんがやっと言葉を発した。
「……変な話、それも飛びっきりアホくさい話なんだが、翔太くんがお前を気に掛けているかもしれないって思った瞬間、なんか胸のこの辺りが痛くなって、モヤモヤしたんだよ」
「……えっ?」
「よくわからない感情で、気付いたら殴ってた。翔太くんがお前を気に掛けることについて、俺は関係ないってのに。けど、なぜか俺の中では……“嫌だな”って思った。ただ、それだけだ」
初めて見た、兄さんの弱々しい声と顔色。そんな兄さんも珍しいけど、それよりも兄さんがホワイトボードを殴った理由の方が私は驚愕した。
兄さんのお父さん、雅也さんから兄さんの恋愛面について聞いたことがあった。
なんでも、兄さんにアプローチをする人自体は居たらしいけど、兄さんは恋愛についてよくわからない為に断っていたと。
けど今の兄さんを見て、私は思った。この人はきっと、恋愛よりもまず自分が抱く感情を理解できていないんだと。
前向きでしっかり者、そんなイメージが強い。でもこれまで感じたことのない感情に関してわからないことだらけなんだと。
「悪い、お前にこんなこと言っても仕方ねぇよな。これからまだやることあるから、部屋に戻るわ。風邪引かない内に、髪の毛乾かして今日は早く寝ろよ」
「ま、待って兄さん……!」
「ッ!!」
今になって自分がなにを話しているのか、それすらもわからなくなったのだと思う。
兄さんは少し早口で切り上げて、部屋に戻ろうとする。私はそんな兄さんを呼び止め、背中から抱き着いた。
「翔太さんと恵果さんと食べに行こうとする前、私は兄さんに言いたかったことあるの……。それはね、私は大丈夫だよってことを言いたかったの……」
「な、なにがだ?」
「……ふふっ、それは内緒だよ……。今はまだ、頑張らないとダメだから……。それに、私のこの言葉を兄さんには考えて欲しい……」
私は兄さんから離れて、先に階段に足をかけた。振り向いて私は兄さんに、少しの課題を出した。
案の定、兄さんはまた困惑した表情を見せる。私は、そういう一面も大好きなんだよ。
そして、ごめんなさい。気持ち悪いかもしれない、思い違いかもしれない。
それでも今だけは、自惚れさせてください。きっと兄さんは、私のことを意識してくれているのかもしれないって。
でも今はまだ、タイミングじゃない。互いにやらなきゃいけないこともあるし、これからが大変な時期に入るから。
――兄さんのモヤモヤ、それはきっと本当の恋愛なんだよ。
■
涼音が俺に抱き着き、部屋に戻った後。俺は同じように、ゆっくりと部屋に戻った。
今日の出来事もそうだが、それ以上に先ほどの涼音が抱き着く感触が忘れられない。
なぜ、俺に抱き着いてきた? 大丈夫ってどういうことだ?
ベッドで横になり天井を見上げ、考える。しかし一方的に解決策が出てこず、俺はスマホを取り出してある人物に掛けた。
「……もしもし、海斗か。俺だ」
『オレオレ詐欺は古いぜ、時代遅れかよ』
「ぶっ殺すぞ」
『ひゅ~! 相変わらず毒があるねぇ。んで、今日はどうしたんだ? まさか、またパソコン関係か?』
「いや、そういうわけじゃねえけど……。なんだ、ちょっと相談に乗って欲しくてよ」
池上海斗、唯一中高を共にした親友だ。電話をかけた際のやり取りはいつものことだ、気にするな。
『お前が相談? それも、プライベートの? こりゃ明日は天変地異だな、あっはっは!』
「笑い事じゃねえ……。今日は色々ありすぎたんだよ。色々あり過ぎて、ちょっと整理が追いつかねぇんだ」
『本当に珍しいな。それで、なにがあったんだ?』
親友である海斗は信用に値する関係だ。だからこそ、俺は今日の一日の流れを話した。
その中で特に、涼音の事を話した。海斗は俺の親父が再婚したことも、義妹が居ることについても知っている。
だからこそ話しやすいというのもあった。その中で俺は、義妹に抱く感情が一体なんなのかを、相談した。
すると海斗は、こう言った。
『お前、それ……“恋愛感情”じゃねえの?』
結論的に、俺の抱く思いは恋愛感情じゃないかと言ってきた。とはいえ、理解できるはずもなく。
「バカ言えクソ野郎。義理とはいえ妹だぞ? それに恋愛感情で胸が痛くなるわけがないだろ。なんか、病気じゃねえのか?」
『うっわぁ……、リアルで鈍感を目の当たりにすると二次元の鈍感がすげぇ可愛く見えるわ。んじゃ、診断してやるよ。俺の質問に一言で答えていけ、いいな?』
「お前の診断は宛てにならんと思うが、いいだろう」
『妹に好きな人が居る、どう思う?』
「気になる」
『妹がその好きな人とデート、どう思う?』
「結構気になる」
『妹が正式にその男と付き合った、どう思う?』
「コロス」
『おーん、恋愛感情決定だわ。もう最後の返答が決定打だわ。今こうして淡々と受け答えしたが、ちょっと脳内で妹が好きな奴と絡んでるシーンを想像してみな』
海斗の言う通り、俺は天井を見上げて想像する。涼音が好きな奴と、デートをする……。
以下、俺の想像世界。
『〇〇くん、好き……』
『俺も大好きだよ』
『嬉しいな……。次、どこに行く……?』
『じゃあ、大人のホテルに行こうか』
『えっ? そ、それはまだ早い気が……』
―――――
――――
―――
――
―
「ざけんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!!」
『あっ、鼓膜死んだ』
「なにが好きだァ!? なにが大人のホテルだァ!? ざけんじゃねえぞ、死体も残らねぇぐらいにブッ殺すぞォ!!!!」
『どんな想像したかは知らんが、それお前の本音。おけ?』
此処数十年と、上げたことのない怒りの絶叫を上げた。いや、想像した俺によるものだが、こんなにムカつくのか。
それつまり、俺は涼音を気に掛けている? 兄としてじゃなく、一人の女の子として?
いや、しかし待て。これまで普通に妹として接してこれたのに、なぜ今になってそのような感情が?
『大体お前は目先の事になるとそれだけしか見なくなるからな。そのVTuberのマネージャをするって話の前は、ずっとラーメンに没頭してただろお前』
「いや、まぁ……確かに」
『そんで今回、妹を気に掛けているかもしれない男の子が現れたんだろ? そん時、まだわからない未来とはいえお前はそのことに関して嫉妬、あるいはヤキモチを焼いたわけだ。特にVTuberを通して妹との接点が増えたが為に、隠し抑えていた感情が爆発したって話じゃねえの?』
海斗に論され、俺はなにも言い返せなくなる。しかし、これまでまともに恋愛感情を抱いたことがない俺からすれば、新鮮と言えばそうなのだが、不思議な気持ちだ。
いや、というか普通にダメじゃね?
「しかし、俺は兄で涼音は妹だぞ……。傍から見れば気持ち悪いかもしれないのに、それで好きになったら余計に……」
『ちなみに、義理とはいえ結婚出来るぜ』
「そうなのか? ……じゃねぇよ! 世間から見たらヤベェし、普通に論外だろ!」
『はぁ……。お前が世間の目を気にする時が来るとはな。そういうところに限っては本当にチキンだな』
なぜか深い溜息と共に幻滅された。だが実際にそんなのはアニメや漫画での話であって、リアルでは厳しいだろ……。
『ともかくだ、お前は妹に恋愛感情を抱いた。その事実は間違いないと思うし、覆らない。それに言っておくが、俺は別にお前がどうしようと見限るようなことはしないぜ。冗談抜きで気持ちに整理を付けてどうするべきかを考えた方がいい。お前の本当のお母さん方の時のような後悔をしないようにな』
海斗の言葉に、俺は身体を伸ばして深い溜息を吐いた。ここまで悟らされたら、受け入れるしかない……か。
ここにきて俺は、涼音のことをちゃんと気に掛けたんだな。それも兄としての感情と一緒に、恋愛感情も。
後悔しないように、とはいえ今回の話は違う。また難しい問題が出てきたことで、俺は軽い頭痛を起こす。
神代裕也は義妹を気になっていた。その事実だけが、今日一番の出来事じゃねえかと、改めて思った。
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