過去の形と現在の形












 家族会議を終えた翌日、月曜日ということもあって店は平常通りに開店していた。

 俺と親父は二人で客を歓迎し、対応に追われていた。涼音は高校生なので、学校に登校。

 

 いつもなら客の応対、注文を取るのは奏さんがやってくれるのだが、今日は休んでもらい涼音が所属するであろう企業へ一足先に話し合いに行った。


 まぁ昨日、就寝前に涼音が企業側に連絡を入れているから話し合いはすんなりと進んでいるだろう。


「裕也! 盛り付けが下手過ぎるぞ! やり直せ!」


「すまねぇ親父、すぐに直す!」


 普段は親父を下に見ているが、仕事とあれば違う。親父の店を継ぐ為に修行中の身であり、こうやって作業している間だけは親父のことを尊敬することができ、かっけぇと思う。


 言われた通り出来上がったラーメンが冷めない内に盛り付けを再び丁寧に直し、親父の許可を得る。

 そしてそのまま待ってくれている客たちの元に、次々と配っていきまた厨房に戻る。


 男性と女性では器用の差があると言われるが、あながち間違ってはいないのかもしれない。

 俺のしているこれは、普段奏さんがやってくれている事。ろくに盛り付けをしたことがないとはいえ、これを一発で合格できるのもすげぇよな。


 親父に叱られながらも、時間はあっという間に過ぎ去り昼の閉店時間。

 客が居なくなって開店の文字を閉店に切り替えたのを確認し、俺はテーブル席にある椅子で横になる。


「んあぁ……! 疲れたァ……!」


「ご苦労さん、裕也。けど奏が居なくなっただけで、午前の作業でくたばってんじゃねえよ!」


「体力は意外とあるもんだと思ってんだけどなぁ……。客に接する技術、注文の聞き取り。それに、盛り付け……。親父は最初、これを一人でやってたのかよ」


「今では地元の方々に愛してもらえるようなラーメン店だが、当初は瑠実が俺以上に活躍してくれてたからなぁ」


「あぁ、納得。あの人なら親父に言われるまでもなさそうだしな」


 神代瑠実、俺の実の母親だった人だ。いつも元気に明るい笑顔を振りまいて、周りの印象は良かった。

 

 だが俺がまだ小学生のガキだった頃、事故に遭い亡くなった。相手の信号無視によるものだと後々に警察から知らされたが、俺も親父も母親を亡くしたことによるショックが大きすぎて、もはや相手を責める余裕すらなかったな。


 保険やら賠償金やらで多額の金が入ったとはいえ、亡くなった人間が蘇るなんてのはファンタジーの世界だ。

 幾ら金があったところで、俺と親父の記憶では母親の思い出はその当時で止まっている。


 けど、親父は強いな。誰よりも寄り添ってきたのは親父だってのに、事件のショックを乗り越えて母親と開いたこのラーメン店を守り抜いてきたんだから。


「なぁ、裕也」


「なんだよ」


「……俺が再婚したこと、本当は不満に思ってないか?」


「なんでそう思うんだよ」


「いや、ほら……。お前にとって母親は瑠実だけだったし、今回の再婚は俺と奏の二人で強引に決めたようなもんだしよ。その、なんていえばいいのだろうか。俺が瑠実以外の女にすぐ目を向けたっていうのが、お前にとって不満じゃないかとか色々だ」


「……なんだそれ、アホくさ」


 平日の昼間から、少しだけ重い空気が流れる。そりゃ俺にとって母親は間違いなく奏さんじゃない。

 それはどれだけ綺麗ごとを吐こうが変わらない事実。だがそれでも俺は、親父が選んだ道にとやかくケチをつけたくはない。


――故に。


「お袋を事故で失った今日までの十数年、男手一人で育ててくれたのはあんただろ。俺は彼女が出来たことも、ましてや結婚したこともないからわからないが、その期間は親父にとって大変だっただろうし、辛かったと思う。親父は俺に不満を抱いていないかと聞くが逆にその質問が不満になるわ」


「裕也……」


「十何年も頑張ったからいいじゃねえか。それに親父が再婚してくれなきゃ、俺は変われなかっただろうしな。あの時こうすればよかったそうすればよかった、なんてのは結果論でしかない。今は奏さんが居る、涼音が居る。過去をいつまでも掘り返したってそこにあるのは虚しさだけだろうが。だから俺は別に、親父の選択を馬鹿にはしないし、俺自身も後悔はしてない」


 それに親父は、再婚したからと言ってお袋のことを忘れるようなことをしない。

 思い出は事故に遭う前しか残ってないが、それでいい。俺たちの中でお袋を忘れなければ、十分だ。


 しばらく静寂が続いた後、厨房の方からすすり泣くような声が聞こえてくる。

 

「泣いてんじゃねえよ、情けねぇ」


「泣いてねぇよ、バカやろう……。ただ、ありがとうな。今はお前だけじゃない、奏も涼音ちゃんも居る。一日一日を大事に頑張らねえといけねぇなって思ってるだけだ」


 涙を拭い、親父は笑いながら言った。それから午後の営業が始まり、午前とは変わって互いに連携良く進めることができた。

 夕方、店の裏側からドアが開き涼音が帰ってきた。普段ならまだ仕事があるが、涼音の件もあって今日は夕方に閉店となる。


 親父に休憩を挟ませ、俺一人で厨房の片付けや掃除をしていると着替え終えた涼音が顔を出した。


「ただいま、兄さん。お母さんは……?」


「あぁ、おかえり。奏さんはまだ帰ってきてないぞ」


「そか……。えっと、なにか手伝いたい……」


「じゃあ皿洗いを手伝ってくれ。洗ったの置いていくから、拭いていく作業を頼む」


「うん、わかった」


 袖を捲り、涼音が隣に立つ。小柄な身長、俺の胸下辺りに顔が来るが、いつ見ても本当に小さいな。

 ちょっと突いただけで崩れそうな程に、か細く見える。俺が皿を洗い、涼音が拭いていくという作業が数分と続く。


「ねぇ、兄さん」


「んあ?」


「私の我儘でVTuberの件が出て、マネージャをしてくれるって話なんだけど……。兄さん、このお店はどうするの……?」


「あぁ、そのことについては心配すんな。親父の知り合いで何人か手伝ってくれるって話はしてあるみたいだし、店が回らない状況にはならないだろう」


「う、うん……」


「まさか、俺が店に集中できなくなるんじゃないかと罪悪感を感じているのか?」


「……ッ」


俺の言葉に、涼音は言葉を詰まらせる。


図星か……。


「涼音」


「なに、兄さん――。 ひゃんっ!?」


 涼音に呼び掛け、俺は濡れた左手で涼音の後ろ首を掴んだ。すると可愛らしくも驚いた声を出す。

 

「お前は優しいからな。色々と心配してくれるのは嬉しいが、自分で決めた道なんだから前だけ見てろ。後ろは俺が見ててやるから、気にせずやりたいことを全力で貫け」


「う、うん……。あ、ありがとう……ッ」


「それで良し」


 涼音の首から手を離し、俺は皿洗いを続行する。なぜか顔を赤くしている涼音を横で見ながら、今この時に感じられる幸せの形を壊さないようにと改めて決意する。




 

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