それでも並んで歩こう

 ニーナがレリックたちを訪ねてきた。

 地上に戻ってから五日後のことだった。


 応接室で待っていたのはニーナと、ティアード——神殿騎士のひとりだ。安全区画セーフエリアに泊まった次の日の朝、庭先でレリックの喉元に剣を突き付けてきた青年である。


 あの時の刺々しさが嘘のように神妙な表情で、レリックたちに頭を下げた。


「この度は本当に失礼なことをした。申し訳ない」


 迷宮に入ってからの彼——というより神殿騎士たち全員——は、ライラの姿をしたトラーシュによって操作されていた。ぼんやりと意識はあったが身体が言うことを聞かず、自分の登場する他人の夢を傍観しているような感覚であったという。


 おそらくレリックに対する暴挙も、トラーシュの悪戯だろう。

 ただ、ニーナが抱きついた時に顔を赤らめていたのは精神操作と無関係だったのかもしれない。今の彼からはそんな印象を受ける。

 隣に腰掛けたニーナを見る目は、優しさと愛しさに満ちていた。


「支部を代表しても謝罪をしたい。うちのいざこざに冒険者ギルドを巻き込んでしまう形になった。すまなかった」

「いや、その謝罪は無用だ。経緯は込み入っている。ひもといていけば、あなた方だけの問題ではないんだし。お互いさまってことにしておこう」


 そもそもの発端は三十年前にさかのぼる。


 グレミアム国教会、ヘヴンデリート支部の府主教ふしゅきょうとなったばかりのダイモスは、教会の地位と権威が他の街と比べて低いことに不満を覚えた。そしてその原因が『聖女』にあると考えた。


 希少な宿業ギフトを持った人間の多いこの街では、万人位ハイレア以上の治癒士もまた数が多い。他の街では聖女として充分な基準を満たす者でもさして珍しがられず、また聖女として輝けそうな者はより高待遇でギルドか病院かに迎えられてしまう。


 ではどうするか。

 ヘヴンデリートでも衆目を集める『聖女』がいないのならば、を作ればいい。


 これを手助けすべく『継承の首飾り』を与えたのがトラーシュだった。


 彼女はどこかから経由で彼の不満を知り、その不満に寄り添うような呪具じゅぐを作成し、第三者を通じて横流しした。


 他者の精神を縛り、擬似宿業ギフト——百万位エクスレア相当の治癒能力を与え、かつその代償として玄詛げんそを溜め込むような呪具を。


 彼の目論見は成功し、『神殿』はヘヴンデリートでもそこそこの威光とお布施を集めるに至った。この権勢はおよそ三十年ほど続くことになる——先代聖女エリザ=キシュリィが、首飾りを持って迷宮に消えるまで。


 ——これが、レリックの捕らえたダイモスが自供したことのあらましである。


 ただ、トラーシュ=セレンディバイトについての情報はまったく得られなかった。ダイモスは首飾りを得る際も製作者、つまり彼女に直接会ってはいなかった。


 一方で彼女と無関係に『玄天こくてん教団』との癒着はあった。後年になってからできた繋がりらしい。トラーシュの遺した呪具を探していた教団がダイモスに接触し、秘密裏に協力体制を結んだそうだ。


 ただ。

 或いはこれも彼女の目論見のうちなのでは、とレリックは考える。


 というのも、エリザの逃走だ。

 あれにトラーシュ本人が絡んでいる。


 作成から三十年を経て『首飾り』を回収しようと思い立った彼女は、まずエリザと接触した。そして迷宮へ逃げるように促した。

 その際、エリザに付き添って一緒に消えたライラの姿を借りて本人は『神殿』に潜入、なに食わぬ顔で『首飾り』の探索に同行した——。


 そんな彼女が、ダイモスと教団の繋がりを把握していないはずがない。潜入の際には利用していて然るべきだし、むしろ首飾りの整備メンテナンスのためさりげなく教団を紹介した可能性すらある。

 

 こんな迂遠な方法を取った理由はわからない。『神殿』の組織内で調べたいことがあったからかもしれない。もしくは「その方が面白そうだったから」というだけなのかもしれない。


 きっと後者だろう。

 トラーシュ=セレンディバイトとはそういう性格の女であり、そういう形の災厄なのだ。


『水槽屋敷』の奥に消えていく彼女の背中を思い返しながら、レリックは嘆息混じりに笑った。


「『神殿』はこれからどうするんだ?」

「まだ内部は大混乱中で、頭が痛いな。王都の本部が新しい府主教と聖女を寄越してくるようだが、実質的な乗っ取りなのではないかと幹部は荒れている。……まあ、先代の府主教が非合法組織と癒着していたくらいだ、どこに闇が潜んでいるかわからないからな。むしろ乗っ取ってくれた方がありがたい」


 ティアードはうんざりしたような顔で首を振る。が、その仕草はどこか人懐っこい。見るからにいい奴そうだ。

 あの時、殺さなくてよかった、危なかった……と密かに思った。


「あなたたちの去就は?」

「迷ったが、残ることにした」


 ティアードは隣のニーナと微笑み合った。


「ニーナ、新しい聖女さまのお世話係をしたいなって思ったんです。これでも、お姉さまにはよく気が利くって褒められてたんですよぉ? だからそれを忘れないためにも、頑張らなきゃ」

「それが彼女の意思ならば、私に否やはない」


 操られていた神殿騎士たちは目覚めた直後に不調があったものの後遺症などもなく快復し、今では至って健康だという。

 ただ、当事者ということで事件の関与を疑われ、立場は難しい。聞けば、およそ半数が『神殿』を辞して別の職を探すそうだ。


 残った面々の理由は様々。

 名誉挽回に尽くさんと燃える者、信仰あつ贖罪しょくざいを志す者。

 そして、大切だった人に胸を張りたい者と、大切な人と一緒にいたい者——。


 ふたりの瞳に強い意思が宿っているのを見ながら、レリックは頭の中ストレージから包みをひとつ取り出した。


 テーブルに置き、


「ニーナ嬢、それからティアード殿。餞別せんべつだ」

「ん? なんですう?」


 受け取ったニーナは怪訝な顔をして布を開き、目を見開く。


「こ、れ……。まさか」


 中に入っていたのは、腕輪がひとつと、剣がひと振り。


 腕輪は、百合の紋章を象った細工が施されたものだ。意匠自体は控えめで一見すると地味に見え、持ち主の性格が伝わってくる。

 剣の方は『神殿』で採用されている制式の両手剣である。全体的に白を基調としていて、だが柄の根元に腕輪と同じく百合の花の紋章が彫られている。


 それは先代聖女エリザ=キシュリィと、その妹であるライラ=キシュリィの遺品だった。


 ニーナの目尻に涙が滲む。

 ふたつを手に取って抱き締めた。


「どこに、あったんですか?」

「『水槽屋敷』の中だ。あの広場から進んだ先に」


 腕輪と剣の持ち主に遅れて気付いたティアードが、声を小さく問う。


「その……お身体は」


 レリックは無言で首を振りながら、封書をひとつ彼に渡す。


「ここに詳細を記してある。彼女に見せるのは酷だろう」

気遣きづかい、痛み入る」


 腕輪と剣はふたつ揃って、水槽の中に落ちていた。

 それ以外は衣服も遺骨も、なにひとつとして残っていなかった。水槽を割って魔物へ身を捧げ、食い散らかされたものと推察される。


 だが肝心の首飾りは、その秘められた呪詛を魔物と迷宮に忌避されてしまった。早々に死体から外れ、恒常性による復元からも弾かれ、水槽の外に放り出され、広場まで流され——結果としてあんなところに、ぽつんと落ちていたのだろう。

 すべては状況からの憶測に過ぎないが。


「それにしても、いったいいつ?」

「あなたたちを地上に送り届けてからすぐ、引き返して探した。……依頼を達成できなかったお詫びと思ってくれ」


 結局、聖女も、首飾りも、依頼主へ返すことはできなかった。

 それはレリックたちにとって密やかな屈辱だった。必ず失せ物を依頼主に届ける——それはパーティーを結成した時に決めた誓いのようなもので、これまで守れなかったことはほとんどなかったのだから。


 腕輪と剣を抱きしめるニーナと、彼女を支えるように隣に立つティアードは、部屋を辞す際、揃って深く頭を下げた。


「この恩は決して忘れない。……また会おう、気高い冒険者たちよ」



 ※※※



 そして。

 ふたりが去った後の応接室。

 残されたレリックとフローは、ソファに腰掛けたまま深い息を吐く。


「……感謝されるいわれはない。ないんだよ」


 あれはつまるところ、ただの自己満足、欺瞞だ。

 迷宮に引き返せば、ひょっとしたらトラーシュにまた会えるかもしれないと思った。そうせずにはいられなかった。探して、探して、結局は足跡すら掴めなくて——だからやるせなさを誤魔化すため、聖女たちの遺品を捜索した。せめてそうすることで、少しは己の無力感を薄れさせることができるのではないか、と。


「ニーナたち、喜んでくれたね」


 レリックの隣で、フローがぽつりと言った。


「ああ、そうだな」

「よかったね」

「……ああ、よかった。それだけは」


 ややあって。

 長い耳をしなだれさせ、蓬髪の隙間で視線を俯かせ、


「お母さん、私たちを見なかった」


 彼女は、つぶやく。


「目も合わせた。会話もした。言葉もかけてきた。でも、。お母さんの目に、私たちは映ってなかった。私より、レリックより……お母さんにとって、三十年前に作った首飾りの方が、価値のあるものだった」


 震える声で。


「まだ、足りないんだ。私たちはまだ、お母さんの三十年前にさえ追いつけてない。ねえレリック、あの時……ニーナたちを見捨ててたら、お母さんは私たちを見たのかな。ニーナも騎士たちも全員どうでもいいって、お母さんだけを追いかけてたら……私たちを、見てくれたのかな」


「フロー、違う。それは違う」


 レリックは彼女の頭を乱暴に、けれど想いを込めてぐしゃぐしゃに撫でた。


「僕らはこの五年間、頑張ってきただろう? それはあの人にためじゃない。あの人が僕らをためだ」


 フローにではなく己にも言い聞かせるように。

 声を少し大きくして、告げる。


「僕らはあの人の隣に立ちたいんじゃない。隣に立とうとすると、あの人みたいになってしまう。それじゃ駄目だ。あの人と正面から向かい合って、あの人の敵にならなきゃ駄目なんだ! ……僕らは間違っていない。今回はまだ足りなかっただけ、まだ届かなかっただけだ」


 告げて——、


「だから、泣くなよ」


 フローを強く、抱き締めた。


「ないてないもん」


 レリックの肩に顔を埋めながら、フローは言う。


「泣いてるだろ」

「だいでだいもん……」


 ひくひくと嗚咽するフローの体温を頬で感じながら、レリックは唇を咬んだ。


 ——確かに僕らの五年間は、彼女に届かなかった。


 五年間の空隙くうげきは、果てしない断絶だった。自分たちは敵にすらなれなかった。五年間で積み重ねてきたもの——手の内のすべてを見せることすらできず、彼女はただ去っていった。


 だが、それがどうした。


 五年で足りなかったのなら、今日からは五年分の研鑽をひと月でやれ。トラーシュの三十年前にまだ追い付いていないのなら、その三十年を半年で埋めろ。少なくとも四十年前に作った指輪は壊しているのだ。ならば不可能ではない。辿り着けない場所ではない。


 深淵を覗くなら隣を見るな。

 そう彼女は言った。


 まさに然り、彼女は決して隣を見ない。誰も比肩できないまま、誰も重んじることなく、ただ深淵に首を突っ込み、脇目も振らずに邁進まいしんしている。


 ならば僕らはそれとは違う方法で、彼女を否定する。


 レリックの隣にはフローがいる。フローの隣にはレリックがいる。そして周りには友達がいる。仲間がいる。知己を得た様々な人がいる。


 他者をなんとも思っていないあいつに、その尊さはわからない。

 深淵を覗くだけで隣を見ないのなら、横あいから殴りつけてやる。


「行くぞ」

「……うん」


 フローの背を撫でて促し、ふたりは応接室から出た。

 身長も歩幅も違うけれど、ふたりは一緒に並んでいる。






―――――――――――――――


 これで第5話は終わりとなります。

 今回はラスボス登場からの初負けイベントということで少し苦いエンディングとなりましたが、次回以降の布石ということでご容赦くださいませ。


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