華胥の夢

 かくしてすべてを片付けた後。

 レリックは、溢れ出た玄詛げんそを再び『収納』する。


 ソラウミニスに語った通り、玄詛げんその情報量は質量に比してごく少ない。レリックの頭の中に、ヘヴンデリートをまるごと覆えるほどの量が『収納』されているのも事実である。


 ただし『収納』の能力が及ぶのは自身を中心として半径十メートラ制御剣せいぎょけん——『遺物に沈く渾沌レリック・アンダーグラウンド』の支配域もおよそその倍、半径二十メートラ程度しかない。


 故に、たとえ収納量に余裕があったとしても、街中へ一気に玄詛げんそが氾濫したならばレリックにも対応は難しいのだ。『玄天こくてん教団』の目的が本当にならば、頭の痛い問題だった。


 とはいえ今は、目先のことである。


 ソラウミニスは生きたまま捕らえた。地上へ戻ってからギルドに引き渡し、そこからはギルドと王国の仕事となる。せいぜい酷い拷問を受ければいい。そういう宿業ギフトの持ち主もいるのだ、黙秘を貫ける根性などないだろう。


 そして後は、キースバレイドの遺体と愛刀、なのだが——。


「ごめん、ツバキ。全部なくなってしまった」

「構わんよ」


 佇んでいたツバキは、寂しげに笑った。


 剣神の遺骸とそれに『阿修羅顕明あしゅらけんみょう』は、制御剣によるマイナスの濁流が呑み込んでしまい、もはや跡形も残っていない。すべては呪いと相殺され、消えてしまった。


 あの時、破壊対象の取捨選択ができる余裕はなかった。遺骸は目視できないほどの高速で移動していて、幾ら制御剣で操れるといっても玄詛げんその触れたものまでは知覚できない。そしてレリックが知覚できなければ『収納』も不可能なのだ。


 だが師の遺体と愛刀を喪ってなお、ツバキの顔はどこか晴れやかだった。


「これでよかったのだと思う。もともとわれは師匠の遺体を残しておくことに抵抗があったのだし。火で弔うのと変わらんよ。『阿修羅顕明』もそうだ。われに受け継ぐ気はなかった。今もない。もし持ち帰ればまた要らぬいさかいが起きよう。だから、これでいいのだ。それにな……」


 そして彼女はゆるりと、目の前に在る家屋——キースバレイドの隠れ家を仰ぐ。


「この家がある。きっと師匠は迷宮探索の度、ここに立ち寄っては英気を養ったのであろう。時には拠点にして修行に励んでいたのかもしれん。……ここをわれが貰い受けよう。なによりの形見だ」


「ねえツバキ」

 そんな彼女に、フローが問うた。


「兄弟子の気持ち、見る?」

 その瞳は『尸童よりまし』の力を受けて、ほの赤く光っている。


 アカシアの遺体もキースバレイドと同様、巻き込まれて消滅してしまった。だが魂はきっとまだ、この辺りを漂っているだろう。

 それを可視化し、残留思念としてツバキに送り込むことが、フローにはできる。


「いや」


 しかしツバキは首を振った。


「兄者とはもう剣で語り合ったし、別れも告げたから。……ありがとう、気を遣ってもらったな」


 そう言って彼女の頭をわしわしと撫でる。フローは猫のように目を細めた。蓬髪ほうはつの隙間から伸びた耳もぴくぴくとしている。ひょっとしたらツバキはフローを撫でるのが上手いのだろうか——今度、こつを聞いてみよう。

 

 ——と。


 ツバキの手が止まる。

 そしてすんすんと鼻を鳴らし、今度は彼女が犬みたいな仕草を始める。

 

「……まさか、この香り」


 ツバキはつぶやき、フローから手を離して踵を返し、歩きだす。


 レリックの横をすり抜け、隠れ家の正面を横切る。

 隣の建物との敷地を隔てる、壁と壁の隙間へと入っていく。


 ふたりは首を傾げつつも後を追った。隙間は狭いが通れないこともない。そしてそれを抜けた先、つまりは玄関の反対側——。


「これは……」


 小さな裏庭がある。

 裏庭には、木が植えられていた。


 二本の木だ。


 ひとつは高さいちメートラほど。こんもりとした枝葉が丸みを帯びた輪郭を形作っていて、あちこちに、花弁の折り重なった大振りの——赤い花がいくつも咲いている。


 もうひとつは三メートラほど。細く伸びた幹から連なる枝は細いが、それをまるで玉のような綿毛のような——黄色い花が鈴りに彩っている。


「あ……あ」


 ツバキが、その木と花を見て。


「そういうことか。師匠、そういうことなのか……!」


 その場に膝からくずおれ、嗚咽おえつし始める。


「あなたは、ばかだ! 言わねばわからないだろう!? 言葉にせねば伝わらない思いもある! だから兄者はあんなふうに間違って……ああ、兄者も、われもだ、みんなして、己の心を胸に秘めるばかりで……ばかだ! こんなの……こんなのっ」


 土を握りしめた掌が、駄々をこねるように打ち据えられる。

 子供のように泣きじゃくりながら、涙が地面を濡らしていく。

 そうして喉を詰まらせながら、ばか、ばかと、今は亡き師を、そして自分たちを罵倒した。


「レリック? ……ツバキ、どうしたの」

 その様子を見守っていたフローが、小声で尋ねてきた。

 彼女がどうして泣いているのかわからず戸惑っているのだ。


 レリックはツバキの代わりに応える。


「あのふたつの木。フローは名前を知ってる?」

「ううん」

「赤い花の方は、椿ツバキ。黄色い花の方は、金合歓アカシアだ」


「……それって」

「ああ。これはきっと、爺さんが植えたやつだ。地上の植物を迷宮内に移植するなんてよくやる。さぞ高い魔道具を使ったんだろうな」


 無言で続きを促してくるフローに、続けた。


「これは、爺さんの謎かけだよ。——『阿修羅顕明』を迷宮内に隠して、探させる。やがてこの隠れ家を突き止めるも、玄関は開かない。突き止めた者は外観を調べる……そうしたら裏庭には、ツバキとアカシアが植えられてる」


 隠れ家の扉を開く鍵は、キースバレイドの遺伝子情報だった。

 これはおそらく、あらかじめ登録しておいた特定の人物が触れることで起動する先史遺物アーティファクトが用いられている。


 ならばそのは、果たしてキースバレイドひとりであったか。


 そして、或いは。

 先史遺物アーティファクトの機能によっては、


「きっと、扉は……爺さんだけじゃない。ツバキとアカシア、ふたりが同時に触れることでも開くようにしてあった」


 老人の遠回しな悪戯であり、面倒くさい説法だ。

 刀はお前たちふたりに譲る、という。

 ただし、仲良くせねばやらんぞ——という。


 お前たちはふたりともわしの大事な弟子だ。

 だからこの木のように、ふたりで一緒に『剣神』の後を継いでくれ——。


「ばかだ」


 フローはレリックの結論を聞いて、ツバキと同じ罵倒を口にした。


「ばかだよ、キース爺ちゃんは。そんなの伝わんなかったら意味ない。でもって伝わんなかったし。……だいたいじいちゃん、死んだ時さ、私が呼びだしてもそんなこと全然……。強く思っといてくれたらよかったのに。私、せっかく尸童よりましなんだから。裏庭の映像イメージだけでも見えれば、どうにかしたのに」


 一年前、キースバレイドが殺された際。

 当然、フローは『尸童よりまし』の力を用いて彼の残留思念を探った。

 だが、幾ら死者の魂を操れるといっても会話までできる訳ではない。言葉で問うても答えは返らず、ただ残留思念を読み取れるだけだ。


 彼の魂から得られたのは、アカシアに対する申し訳なさと、ツバキに対する感謝の念だけだった。


「……きっと、もういいと思ったんだろうな。今更もう、答えを教えても遅いって。それを知ってもツバキが苦しむだけだって」


 不器用さもあったのだと思う。


 妻帯もせず、妹夫婦にも先立たれ、家族のいない孤独な身で剣に邁進まいしんしてきて。晩年になってようやくできた弟子ふたりが可愛くて。

 兄弟子は養子に取り、妹弟子には姪っ子の面影を見て、そうしてふたりのことを家族だと思った。

 けれど孤独の長かった彼は、家族という関係性に対して理想を持ちすぎていたせいで、心の機微を測り損ねた。


 通じ合っているのだからと——だから示唆すれば行動で伝わると思い込んでしまった。

 言葉の代わりに剣を交わし続けてきた人だから、そんなふうに勘違いしてしまった。

 

「爺ちゃん、そういうとこあった。変に夢見がちっていうか、言葉にせずとも伝わるのがよき、みたいな。なのに、師弟だからって他人ができる訳ないよ。……ばか。ばか、ばーか」


 フローも泣いていた。

 これで彼女もまた、あの老爺を慕っていた。キースバレイドもフローを猫可愛がりして、まるで本当の祖父と孫のように——ああ、そうだ。きっとあの人はフローにも、亡き姪の面影を見ていたのだろう。


 ツバキと、同じように。



 ※※※



 風が吹く。

 椿つばきの花はびくともしない。

 金合歓アカシアの枝は、心細げに揺れる。


 ふたつの木は隣り合って、けれどやや離れた位置に植えられており、枝は決して触れ合わない。


 きっとこれを植えた人物は、長じても刃は交わらぬようにと願ったのだろう。






―――――――――――――――


 これで第3話は終わりです。

 読んでいただき、ありがとうございます!


 いつも応援ボタンを押してくださっている方、★評価をくださった方、フォローいただいた方、コメントやレビューを書いてくださった方、みなさま本当にありがとうございます! 控えめに言ってだいぶ嬉しいです。


 なんかこう、web小説としては目立ったフックがあまりない(追放ざまぁとか覚醒とか……)本作ではありますが、作者は面白いと思って書いていますので、読者のみなさまにとってもそうなら嬉しいな。


 引き続き『レリック/アンダーグラウンド』をよろしくお願いいたします。

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