第3話 下層:遺骸

墟恒無人街

 魔物は水中に潜んでいて、こちらを認めるや飛沫しぶきとともにおどり出てくる。


 細く長い首に似合わない巨大な頭部を持つそいつ——蛇頸鮫サーペントシャークは、真上からレリックたちをみ砕き飲み込もうと大口を開けた。口腔内にびっしりと列をなした牙が目前に迫ってくる中、しかしレリックはぴくりと眉を動かすのみ。


 軽く手を振る。それだけで蛇頸鮫サーペントシャークの頭が頸部けいぶごと消失する。数瞬遅れ、未だ水中にあった胴体から真っ赤な血が噴き上がり湖面を赤く染めた。


「フロー、他には?」

「ん、この近くはもう大丈夫。水の中の奴らもしばらくはあれに夢中」


 血の混じった湖面がばしゃばしゃと波打っている。つい今しがた死んだ蛇頸鮫サーペントシャークに魔物たちが群がっているのだ。さぞ美味いご馳走だろう——地上にいるレリックたちなんかよりもよほど。


「じゃあ、今のうちにこのを抜けておこう」

「りょ」

「言い方」

「むー。りょーかい」


 湖畔に沿って伸びるのは、舗装ほそうされているとしか思えない整った小道。右手には森があり、所々には長椅子ベンチまで据えられている。


 だが湖の中には獰猛な魔物が潜んでいて、森の中からはぎいきいといかにも恐ろしげな鳴き声が響いてくる。長椅子ベンチに腰掛けてそよぐ風を感じていたら、あっという間に水の中か木陰の奥かへ引きり込まれるだろう。


「相変わらずの手際だな」

 レリックたちの背後を歩いていた少女が、薄い笑みを浮かべて感嘆した。


われが手を出す間もないではないか。せっかく依頼したというのにこれではおんぶにだっこだ」

「手を出す気がなかったくせによく言う」


 少女の称賛に、レリックは苦笑で応える。


「どうせ面倒がったんだろ?」

「失礼な。信頼しているのだ、ぬしらのことを」

「ものは言いよう」

「ふふん。まあいいではないか」


 顔をしかめたレリックへ、腕を組んだまま頷く鬼人族きじんぞくの娘。

 歳は十九——名を、ツバキという。


 鬼人族きじんぞくとは東方に出自を持つ少数民族で、額の左右から生えた二本の角が最大の特徴である。


 前合わせでぴったりと身体を包んだ装束は太い帯でぎゅっと締められており、そのくせ袖だけが大きく垂れ下がっている。いかにも動きにくそうだがこれは彼女らの民族衣装らしく、街中まちなかで鬼人族を見かける時はだいたいこれを身に纏っていることが多い。

 ツバキのその着物には蛇の絡みついた髑髏どくろ深緋こきひの布地に刺繍されており、見るものをぎょっとさせる。


 が、不思議と彼女に似合っている。


 どこかあどけない面立ちに鋭い双眸そうぼうは、暖かさと冷たさの矛盾した印象を同時に与える。唇は薄く引き締まっていて、意思の強さが見てとれた。真っ直ぐに長く伸びた黒髪は艶やかで鴉羽からすばのように光っており、同じ黒髪でも癖っ毛なフローなどは時々「あれうらやましい」とこぼしている。


 ヘヴンデリートでも有名な準一級冒険者であり、レリックたちの知己ちきでもあるこの娘。

 彼女が、今回の依頼主であった。


「いや、申し訳ない気持ちもあるのだぞ。迷宮に立ち入ってからはや二時ふたとき下層ここまで降りるのにほとんど最短距離で進んできたのはわれ我儘わがままだからな。フローの振り子を頼っていれば、時は要したにせよもう少し楽に進めていたであろう?」


 ツバキは謝罪する。

 ただ、申し訳ないと言いつつも態度はどこか尊大である。それがあまり厭味ではなくなんとなく許せてしまうのは彼女の愛嬌だろう。


「そうでもない」

 それに首を振ったのはフローだった。


「敵を避けて道を選ぶのはちょっと疲れるし、最短距離を行くなら行くで私はむしろ楽。魔物はレリックが倒すので」

「いや僕は面倒なんだけどな……」


「まあ、下層ともなれば相手も手強くなってくる。そろそろわれも加勢どきかな」

 そう言って、腰にいた得物えものつかをひと撫でする。


 身の丈ほどの尺を持つ大太刀である。長さに比して細い刀身を包むのは浅葱あさぎ色の鞘、あでやかなこしらえが施されている。


「……とはいえ、さすがにそろそろ一度小休止を取った方がいいかもな」


 彼女の太刀をぼんやりと眺めながら、レリックはそう告げた。


「僕はこれでも慎重派なんでね。を考えたら万全を期しておきたいと考えてる。鬼人族あんたたちの刻みでいう『二時ふたとき』——四時間の行軍で、さすがに疲労が蓄積してる」


「ふふん。鍛え方が足らんのだ。主ら、見るからにひ弱ではないか。われを見習うといい。二時ふたときどころか一昼夜歩いたところで苦にもならんぞ?」


「鬼人族そういうところある」

 フローがじと目でツバキを睨む。


「エルフも普人ふじんも繊細にできてる。鬼人族とは違う」

「む、種族差別はよくないぞ! 鍛え方の問題だ!」

「聞こえない。つーん」

「ほう、その長い耳は飾りか?」

「エルフに長耳っていうのは差別ですー。はいツバキの負け、私の勝ち」

「なんだとぉ!?」


 フローの肩に手を回してぐらぐらと揺さぶるツバキと、そんな彼女から顔をそむけてにやにやとするフロー。

 昔からこのふたりは妙に仲がいいのだった——しかも軽口を叩き合う方向で。


 そうしてひとしきりぐらぐらされた後、フローが真顔になって言う。


「でもやっぱり一度休憩を入れた方がいいよ。この先にある安全区画セーフエリアを逃すと、しばらくは危ない地帯が続くから。……ツバキが急いでるのはわかってるけど」

「ずるいぞ。そんな目をされたらなにも言えぬではないか」


 ツバキは優しい表情を浮かべ、フローの頭を撫でた。

 だが両の瞳にはそれでも、剣呑けんのんな——切迫した色が混じっている。


「まあ、確かにそうだな。気は急くが、慌てても仕方ないか」


 その科白せりふはどこか自分自身に言い聞かせているようであり、彼女は無意識にか、フローの頭から離した五指を太刀の柄に置く。


「……師匠には、今しばらく待っていてもらおう」


 そして、のことを口にするのだった。



 ※※※



 箒星ほうきぼしのごとき光芒が瞬く『婚星暗窟こんせいあんくつ』を抜け下層へ降りると、『外套への奈落ニアアビス』の景色はまたがらりと変わる。


 それは上層——森や岩場の点在する草原とも、中層——立体的に入り組んだ洞窟とも、まったく異なったもの。


 ひとつの街である。


 民家のような建物がある。

 噴水のある広場がある。

 そういった集落があちこちにある。

 そして、集落から離れた場所には様々な施設らしきものが点在している。


 内部のほとんどが大きな水槽で占められた四角い屋敷。

 森と湖畔を沿う、ベンチの据えられた小径こみち

 絵、彫刻などが整然と飾られた美術館。

 中空を這う線路や見上げるほどの車輪、円形に並んだ作り物の馬など、なんに使うのか、なんのためにあるのかわからない構造物たちが点在する一画。


 そんな集落たちと施設群とは、舗装された道路で結ばれている。辺を上り下りするための階段も、鈍色に光る金属でできている。あらゆる風景、あらゆる建物、あらゆる景色が、すべて現行文明ではとても再現できそうにない——どの国ともどの文化とも違う意匠デザインのものである。


 ただし、暮らしている人間はひとりもいない。


 民家にも、広場にも、集落にも。

 水槽屋敷にも、自然公園にも、美術館にも、謎の構造物にも。

 明らかに人の造った風景であるにもかかわらず、住んでいるのはすべて恐ろしい魔物たち。


 民家に巣を作り、噴水広場を闊歩かっぽし、水槽屋敷を泳ぎ、自然公園に潜み、美術品に擬態し、構造物の間を徘徊する。上層から深層まで通して最も多種多様な魔物たちが生息する場所。


 冒険者たちが家屋の建材や構造物の破片などを剥ぎ取っても、数日も経てばいつの間にか元通りにになっていて、ここが迷宮ダンジョンであることを物語る。廃墟でありながら恒久の時を経ても変わらぬ、無人の街。


 曰く『墟恒無人街きょこうむじんがい』。


 先代文明の痕跡色濃く、しかしなにひとつとして訳がわからない。

 それが『外套への奈落ニアアビス』下層である。



 ※※※


 そしてその『墟恒無人街きょこうむじんがい』での失せ物探しが、今回の『落穂拾い』に持ち込まれた依頼だった。


 探し物は、人だ。

 ただし生者ではない。

 故に『探し者』ではなく『探し物』だ。


 墓をあばかれて持ち出された、今は亡きツバキの師。

『剣神』と異名を取ったかつての一級冒険者にして、特級冒険者序列二位の座にあった男——。

 キースバレイド=ルビスウォーカーの、である。

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