たとえ胸がはれなくとも

 ひとり残されたアマリアは、一切の抵抗をせずに降伏した。


 当然といえば当然だろう。アマリアは無名の冒険者——経歴キャリアもほぼ新人と言っていい。おまけに攻撃手段に乏しい治癒士ヒーラーである。曲がりなりにも下層に足を踏み入れたことのある『無二の黎明』旧メンバーをこうまであっさりと負かした相手に対して、もはやどうこうできるはずがなかった。


フィックスの、治療をさせてもらえませんか?」


 そして降伏とともに、アマリアはそう願い出た。


「もちろん最低限にします……といっても、そもそも私程度の腕では完治できそうにありませんが。今の状態では死を待つばかりです」


「構わない」


 レリックがあっさり許可を出したのは、利があると見てか、あるいは余裕ゆえか。おそらくは両方だろう。主犯格は生かして捕らえた方がいいし、仮に全快したとしても——、彼らの前では相手にもならない。


「意識はありますか? フィックス」

「あ、ま……りあ」


 倒れて呻くフィックスが、こちらの姿を認めると瞳に希望の色を宿した。

 歩み寄り、横にしゃがみ込む。


「た、のむ。はやく……なおしてくれ」


 アマリアは、にこやかに穏やかに、いつものように笑む。

 そうして頬を撫でると、そのまま五指を喉元に這わせ、



 フィックスの首を絞めながら——懐に忍ばせていた短刀を、彼の肩口にずぶりと突き入れる。


「ぐ、っ……!?」


 それは驚愕か、苦痛か、それとも唖然か。

 どれだろうと関係ない。アマリアの成すべきはこいつのその感情を、絶望と後悔に塗り潰すことだからだ。


 故に、語る。

 自分がこんなことをしている、その理由を。


「……私の育った村は、ヘヴンデリートから馬車で二日のところにあるの。この周囲一帯の村々がそうであるように、ヘヴンデリートに穀物を売ることで生計を立てていた。麦畑がいっぱいに広がっていて、のどかで。ありふれていて、裕福ではないけど貧しくもない、そんな当たり前の、どこにでもある村」


 ぐさり。

 話しながら短刀で、今度は腕を抉る。

 あちこち折れ曲がって内出血で染まった腕でもちゃんと痛くなるように、ぐりぐりと捻じ込みながら。


「私には幼馴染がいた。三つ歳上の、男の子。笑顔が優しくて、穏やかな性格で、一緒にいるといつも暖かい気持ちになれた。気弱な私がいじめられて泣いてるのを見ると、すぐに駆けつけてくれた。『収納』の宿業ギフトしかないのに、冒険者に憧れていて……死んだ彼の両親が、冒険者だったから。ふたりの後を継いで外套への奈落ニアアビスに潜るのが、夢だった」


 続いて脇腹。

 鎧が壊れているのは僥倖ぎょうこうだ。歪んで広がった接合部の隙間から挿し入れ、左右に動かす。

 ゆっくりと、入念に、それでいて、まだ死なないように。


「が、ああああ、く、あまり、あ! おまえ……」

「馴れ馴れしく私の名を呼ぶな」


 思わず短刀に力が入る。

 深呼吸して気を落ち着かせ、今度は切っ先を目玉に近付けながら、


「彼の名前は、ハルト。私の大好きだった……私の大好きな、幼馴染。三年前、冒険者となるために村を出た。


 目玉を、ごりんと、刺して潰した。


「そう……を!」


 彼から定期的に来ていた手紙に、ある日、記されていた。

『あの剣を友人に貸すことになった』と。


 魔力に特化した宿業ギフトを持っている魔術士キャスターで、自分より聖剣を上手く使いこなせるから。彼が剣士になった方がパーティーのバランスも取れる。だからこの判断は間違いじゃない——どこか言い訳のようにも読み取れる書き方に、当時少しだけ違和感があった。


 それがやがて、文面に元気がなくなり。

『僕は頑張ってるよ』『もっと努力しなきゃ』なんて自分を無闇に鼓舞するようなくだりが多くなり。

 いつしか枚数も少なくなり間隔まで開き始め、不安のあまり様子を見に行こうかと考え始めた矢先——アマリアの元に届いたのはギルドからの報せ。


 彼の消息不明を告げる通知書だった。


 そしてアマリアはヘヴンデリートへと向かう。

 向かった先で知ったのは、絶望だった。


「お前は……借り物を……あの人から借りただけのものをまるで自分のもののように! 周囲もそう思い込んでいてっ! ……”輝ける聖剣”? 街に着いて、ハルトのよすがを探して、初めてその二つ名を聞いた時、私がどれほど驚いたか!」


 フィックスたちの名前だけは知っていた。彼は手紙に『無二の黎明』のメンバーのことも書いてくれていたから。だけど、書かれていなかったこともあった——これほどまでに傲慢で、身勝手で、唾棄すべき奴らだということだ。


 ハルトは友人を悪く言うような人間ではなかった。それがたとえ、増長して自分を見下し蔑み、小間使い扱いしてくるような輩であったとしても。いや、当のハルトがそうは思えなかったのかもしれない。きっと彼らにも円満に幸福な時期があったのだろう——仲間として手を取り肩を組み、笑い合いながら冒険に一喜一憂した時期が。アマリアの知り得ない、輝かしい思い出が。


 なのに——ああ——なのに。

 

「お前は……お前たちは、ハルトの気持ちを踏みにじった」


 少し調べただけで、すぐに直感した。

 、と。

 確たる物証や証言があった訳ではない。それはアマリアにしか抱けなかった違和感だった。仲間を——ハルトを失ったというのに、こいつの表情に喪失感や悲しみ、後悔といった色がなかったのだ。


 だから素知らぬ顔をして接触してみた。丁寧な物腰で、恭敬きょうけい 諂諛てんゆで繕った仮面で、新人冒険者として教えを乞うて、懐に潜り込む。垂らした餌に食い付いてくるまで、半月とかからなかった。


 かくしてアマリアは真実に辿り着いた。

 おぞましく憎らしい、最悪の真実に。


「あの人の大事な、両親の形見。それを貸すくらいにお前は信頼されていたのに。なのにお前は、借りた剣をまるで我が物のように自分の腰にぶら下げて、自分の代名詞にまでした。そして奪っただけに飽き足らず……あまつさえその剣で、彼を刺して捨てたのよ!!」


 叫びながら、もはやアマリアの手は止まらない。

 目玉をかき混ぜる。

 耳を貫く。

 喉に爪を食い込ませ肉を抉る。

 脇腹を刻み、胸を斬りつけ、思うがままに感情をぶつけ——、


「……る、ぜ」


 弱々しく痙攣するフィックスの唇が、動いているのに気付いた。

 喉から漏れている小さなつぶやき。


「は? なに? 後悔なら聞いてや……」


 だがそれは、後悔でも恨言でもなかった。


「みんな、きをぬくなよ」

 もはや瞳はアマリアを映しておらず、心は現実を捉えていない。


「ビッ、ケ。そこの、ごぶりんだ。そげきを、たのむ」

 それは今際の際に見る幻。

 

「ひゅーいは、背後を、けいかいしろ。わなを、みのがすな」

 かつて実際にあったのだろう、彼の、彼らの記憶。


「いいぞ、ハルト……おまえの剣が、たより、だ」


 フィックスが最期に見た、最期にすがった、思い出——。


 その輝かしい白昼夢とともに。

 フィックスの呼吸が止まる。


 身体が弛緩する。瞳孔が色を失う。

 命が、消えた。


「う、うう……ううう。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなああっ!!」


 アマリアは叫喚きょうかんした。

 叫喚しながら、ただひたすらにざくざくと、フィックスの胸、もはや鼓動の止まった身体に短刀を突き立てる。何度も、何度も、何度も何度も。


 ——やがて。

 

 啜り泣く声が小さくなり。

 フィックスの遺体を壊すのをやめ、アマリアはゆるゆると立ち上がる。


「……ごめんなさい。おふたりには、迷惑をかけました」


 背を向けたままレリックたちに告げた。


「私の知っていること、この人たちのしてきたこと、すべて証言します。私は彼らとずっと一緒にいました……私も、当事者で、共犯ですから」


 村を出てヘヴンデリートに到着し、酒場で談笑するフィックスの顔を見て、復讐を誓ったあの日。

 あの日から、アマリアはすべてを捨てた。


 復讐がしたい。しなければならない。だけど自分には力がない。

 彼らを真っ向から殺せる暴力も、誰かを雇う財力も、どちらもない。あるのは『治癒』の宿業ギフトと、この街でもなお衆目ひとめを惹く、整った容姿だけ。


 だから、それをどうにかやりくりすることにした。


 治癒の宿業ギフトは、いつかハルトと一緒に冒険者となるため村で鍛えたもので。

 可憐で洗練された面立ちは、ハルトの恋人に相応しくなるため必死で磨いたもので。


 全部、ハルトではなく仇のために使うと決めた。


「復讐には、二種類ある。私はそう思います」


 懺悔ざんげのように、慚愧ざんきのように、アマリアは言う。


「胸を張れるものと、そうでないもの。胸が晴れるものと、そうでないもの。やったぞ、って、ハルトに自慢できるような復讐ではありませんでした。えらいね、って、褒めてもらえるような復讐ではありませんでした」


 目蓋の裏に浮かぶハルトの顔は、悲しそうに歪んでいる。

 あの日からずっと——アマリアの中のハルトは、笑っていない。


「フィックスたちが冒険者を騙して殺すのを、黙って見ていました。騙す相手に媚を売って気に入られて、そうやって手伝ってもいました」


 彼の笑顔を思い浮かべる資格など、もはや自分にはない。

 彼の遺体を前にしても——形見の剣を前にしても、それに触れる資格は、ない。


「罪は償います……いえ、とても償えるものではないけど、私ひとりの命をどう使っても、殺してきた人たちは戻ってこないけど。それでも、できることはなんでもします」


 ここに辿り着いてからずっと、魂と喉から溢れそうになる絶叫を抑えていた。鉄の仮面を被ったつもりで表情を消し、ハルトの遺体を見ないようにしていた。


 今こうして仇討ちを終えた後でも、触れていいとは思えない。


 こんなふうになってしまった自分が、汚れきってしまった自分の手が、彼に触れていい訳がない。


「今ここで死ねというなら、それに従います。だから……」

「ねえ」


 そんなアマリアの告解を、フローの声が遮る。

 彼女は興味のなさそうな、気の抜けたような口調で語りかけてくる。


「その敬語、仮面でしょ。あの金髪たちに取り繕うための」

「それが今、なんの……」

「やめなよ」


 関係があるのですか、と。

 そう続けようとしたアマリアの目に、ぼう——と。



 ほの赤い、ふわふわとした。

 優しく揺れる、光が映る。


 それはアマリアの周囲を、いたわるように踊り。

 少し先に散らばった白骨死体のところへ行って、名残惜しそうに廻り。

 レリックの手にある聖剣ブルトガングの横を誇らしげに飛び。

 再びアマリアの許へと戻って、その頬を撫でた。


「あ」


 知っている。

 この気配を、知っている。


「あ、あ……」


 昔からずっとそうだった。

 アマリアに悲しいことがあった時、いつも。男の子にいじめられたり、大事なものを失くしたり、悪戯をして親に怒られたり。

 どんな理由でも、たとえアマリアが悪くても。


 アマリアが泣いていると、きまって傍にきてくれて。

 黙って、なにも言わず、横に座ってくれて。


「……ハルト」


 アマリアの胸に、その光が飛び込んでいく。

 燃えているのは愛しさで、輝いているのは優しさ。

 そして広がっていくのは——、


「ハルト……ああ、あああ、わあああああ!」


 それを抱き締めるように崩れ落ち、アマリアは慟哭した。



 ※※※



 ごめんね。

 ありがとう。

 がんばったね。

 えらいよ。


 だいすきだよ。

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