カルマの器

「さて」


 フローと手を打ち鳴らしたレリックは、改めて一同を睥睨へいげいする。


 敵は四人。

 ハーフリングの弓術士アーチャー、ビッケ。

 斥候スカウトの短刀使い、ヒューイ。

 依頼主である剣士ソードマンの青年、フィックス。

 そして彼の連れである治癒士ヒーラーの女、アマリア。


 とはいえ、四人のうちひとりはもうかたが付いている。


「あ、あっ、ひ、ひひ。ひは、あああ」

 地面で痙攣しながら言葉にならない呻き声をあげるビッケだ。


 彼の周囲にはまるで水場に集う蛍のように、ほの赤い鬼火が舞っている。それは婚星暗窟こんせいあんくつの天を流れる光芒とは違う、禍々しくも美しいともしだった。


ビッケそいつに、なにをした……?」


 こちらを睨み据えながらフィックスが問うてきた。


 ついさっきまでは唖然自失としていたのに、今はもう腰の鉄剣を抜いて構えている。危機への対応力はさすがと言えた。


「フローの宿業ギフト……『尸童よりまし』は、死者の霊に呼びかけることのできる力だ。そこの彼に群がっているのは、彼が今まで殺してきた人たちの霊魂だよ」


尸童よりまし』は百人位アンコモンである『霊的感知』の最上位互換と言っていい宿業ギフトだが、そもそも霊とか魂とかいった概念については謎が多く、ほとんど解明できていない——正確には、もはや解明できない、だが。


 宿業ギフトに対する原理的な解明がわずかなりとも可能だったのは先代文明の滅亡直後、まだ当時の知識や技術が残滓ざんしとして在った時代の話だ。その残滓すらうしなわれてしまった現代ではもう、資料群の大半も『よくわからない単語の羅列された古文書』でしかない。


 故にわかっているのは、


「死者の霊魂は物理世界への干渉力をほとんど持たない。せいぜいが振り子を動かしたり、鬼火として光を放つことくらいだ。だけど、同じ魂に対しては違う。あの鬼火が放つのは、魂を侵食し、食い荒らし、き焦がす焔。死者の怨念が……今際の痛み、苦しみ、憎しみ、無念をまとめて、己を殺した相手の魂に刻み込む」


 実際に試行した結果として判明している事実のみ。


「身体を矢で貫かれた痛み。善意に悪意を返され無惨に殺された苦しみ。理不尽に背後から射ち殺された憎しみ。家族や恋人、大事な人ともう二度と会えない無念。彼はそれらを、かつて自分が他者に与えたそれらを、集った鬼火の数だけ己の魂に突き刺された。いや……今もまだ突き刺されている。まあ、耐えられる訳がない」


「魂たちは素直。自分を殺したやつに仕返しするし、そこに嘘はない。あの弓使いがもし無実なら、そもそも集まってこない。だから冤罪とかじゃないよ」


 フローが感情の込められていない声音で補足した。その瞳は今なお赤く染まっており、ビッケに群がる鬼火たちの背を押すように輝いている。

 彼女の唇が、緩やかに歪んだ。


「要するに……自業自得己のカルマは魂に帰るってこと」


 そのうちにビッケの痙攣が小刻みになっていく。無論、回復などではない。苦痛の移植と怨嗟えんさの圧搾により魂が耐えきれず、腐敗し始めたのだ。待っているのは心の死である。


「っ……おい、ヒューイ、いつまでうずくまってる! さっさと攻撃しろ、宿業ギフトを使え!」


 フィックスはビッケから視線を逸らし、ヒューイに叫んだ。


 どうやらビッケのことは諦めたらしい。見切りの早さはさすが悪党どもの親玉といったところである——アマリアに治癒を命じない辺り、悪辣さが伝わってくる。大事な回復薬は自分の近くに置いておきたいのだろう。


「ぐ、わかったよ! ちく、しょうめ……」


 フィックスに命じられたヒューイは右手を布で縛り止血すると、残された左手で落ちていた短刀を拾った。


「なんの手品か知らねえが二度と生き返らねえよう、今度は首を斬り落としてやるよ」


 そうして宿業ギフトを発動。

 す——と、暗がりに溶け込むようにその痩躯そうくが消える。


 姿だけではない。気配も、魔力も、足音すらも。彼の存在を知覚するためのよすがが完全に失われる。万人位ハイレアというのも頷ける素晴らしい宿業ギフトだ。


 だが、いかに宿業ギフトが希少であろうと。

 どんなに人間離れした能力であろうとも。


 それを使う者が軽佻けいちょうにして浮薄ふはくであれば、


「僕の宿業ギフトは『収納』。フローのように偽装はしていない、正真正銘の、どこにでもいる十人位コモンだ」


 闇に潜み隙をうかがっているであろうヒューイに、そして慎重を期してこちらを警戒しているフィックスたちに、レリックは告げる。


「どこにでもいるだけあって、先代文明の終わりには随分と研究されたそうだ。でも、汎用魔術として再現することは叶わなかった。『収納』を使える人間は山ほど生まれてくるが、後から使えるようになる人間はいない……このことはあまり知られてない」


「それがどうかしたのか?」


 嘲弄とともに応えたのはフィックスだ。


「ビッケの矢が刺さっていなかったのも、ヒューイの手首が切り落とされたのも……大方、やじりや手首を『収納』した結果なんだろう? なるほどそれは確かにたいした手際だろうさ。だが、所詮は十人位コモンだ。ちんけな宿業ギフトでどうにかできるほど、ヒューイの本気の奇襲は甘くない」


「『収納』とはどういう仕組みの宿業ギフトなのか。先代文明の終わりにさんざん研究されたから、実はほぼ解明している。だけどその理屈は現行文明においては再現どころか理解さえも難しい。かく言う僕もよくわかっていない。古代の禁書を読んではみたが……書かれている単語がまず意味不明なんだ」


 レリックは無視して続けた。


「『ここではないどこかにある別の空間へ物体を保管する』……今を生きる人間のほとんどが、『収納』のことをそんなふうに解釈している。だが正確には違うらしい。『収納』している先は、別の空間じゃない」


 とん、と。


だ」

 己の頭を、指で突く。


「『任意の物質を量子情報化し、その四次元デジタルデータを脳内へと保存セーブ、そして脳内から呼び戻しロードする』……だ、そうだ。単語の意味がわからないだろう? 僕もわからない。ただわかることがある。それは……」


 言葉の途中で、レリックの背後から音も起こりもなくヒューイが姿を現す。

 最小限の動作で真っ直ぐに、心臓を目掛けて短刀が突き出される。首を斬り落とすと宣言してからの陽動フェイント


 レリックが気付く様子はない。

 故に、ヒューイはにやりと笑み、確信とともに短刀を、


っ……!」


 須臾しゅゆ、ヒューイの身体が。

 再び——消えた。


 ただし『隠密』によるものではない。

 何故ならば消えたのは、ヒューイの身体——肉体だけだったからだ。


 ふわりと落ちたのは、彼の纏っていた衣服。

 かつんと地面を打ったのは、彼の握っていた短刀。

 どさりと転がったのは、彼の腰に巻かれていた小物入れポーチ


「な、っ……」とフィックスが言葉を失い、

「え」とアマリアが困惑をする。


 レリックはすべてを意に介さず、言葉を再開した。


「それは、『収納』という宿業ギフトの力がなんに依存しているか。小物ひとつふたつで容量がいっぱいになる者もいる。時計みたいな複雑な機械となるとお手上げの人もいる。この能力差は……体内魔力オドの内包量や自然魔力マナの感知力ではなく、ただ純粋に、使に依存する。空間認識力、記憶容量、神経機能、などだ。……つまりね、」


『収納』の難易度を決めるのは、対象の情報量であり。

 どんなものをどれだけ『収納』できるかは、対象の情報量をいかに認識し、把握し、記憶できるかにかかっている。


 生き物や先史遺物アーティファクトは『収納』できないものの代表格である。

 これは対象の情報量があまりに多く複雑すぎて、人の脳では処理しきれないからだ。


 だが、もしも。

 常人離れした脳機能を持つ者がいたら。


 空を飛ぶ鳥よりも優れた空間把握力と、数多の書物を収めた図書館よりも膨大な記憶容量と、それらを十全に発揮できる高い神経機能を有する者がいたら。


 十万人、百万人どころか数百年にひとりの——天才と評するよりは奇形と形容した方が相応しい、そんな頭脳を持つ者がいたら。


 そしてそんな頭脳の持ち主が、『収納』の宿業ギフトを使いこなすなら。


「——僕はから。人間ひとりを『収納』することなど造作もないんだ」


 レリックは、さっき『収納』したヒューイを目の前に取り出して捨てる。


『収納』した際に頭の中で情報を裁断しておいたのでそれは分割死体となって、まるで千切れたネックレスのように、バラバラに地面へ転がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る