頬を叩かれて目を開ければ、白いもふもふのコートに身を包んだ冬香がいる。

「ハルキ。行こ」

 春季の頭はぼんやりとしていて、双子の姉がなにを言っているのかいまいち理解できていない。

「どこに」

「行くったら行くの。だから着替えて」

 冬香はほとんど説明せずに、自らの要求だけを伝えてくる。こうなると、長年同じ時を過ごした経験もあり、この姉自身が言おうと思うまでは何も話さないだろうなと理解した。かといって、ここで行かないといったら、なぜだか気合が入っている冬香が臍を曲げかねない。

「これから外に出ることは、言ってきたの」

 念のため尋ねてみるものの、姉はキョトンとしたあと、

「言ってないよ」

 はっきりと告げる。なんでそんな必要がある、と言わんばかりの口ぶりだった。

「一応、言っておいた方が良いと思うけど」

「大丈夫。書き置きはしておいたから」

 それで充分だろう。面倒くさげな様子の冬香は、これで義務は果たしたつもりでいるらしい。一方、春季の持ち合わせる常識内では、まだ成人もしてない子供二人が、深夜に家から急に書置きしていなくなるというのは、家に残っている人たちを控え目にいってとても心配させることになる気がしてならない。とはいえ、周囲もまた冬香の突拍子もない行動には馴れているため、呆れはしても、またかで済ませてしまうかもしれなかった。

「あんまり、みんなに心配をかけるのはいけないから、やっぱり誰かに言っておいた方がいいんじゃ」

「だって、そうすると余計なのがついてくるかもしれないし」

 気に食わなそうに漏らされた姉の声。たぶん、これが本音か。そんなこと思いながら、小さく溜め息を吐く。

「わかった。今回だけだからな」

「ありがとハルキ」

 途端につい数秒前まであった不満を打ち消し、無邪気な笑みを浮かべる冬香。既に何度目かも忘れてしまった、今回だけ、の数をまた積み重ねつつ、おそらく、今後もこの笑顔に押し負けるんだろうなと察する。もっとも、三人の姉全員に対して、勝てる気などしたことはなかったのだが。

「ハルキ」

「なに」

 呼ばれてすぐ尋ね返すと同時に、頬を優しく引っ張られる。あるいはそれなりに力を入れて引っ張っているのかもしれなかったが、姉妹内でもっとも非力な冬香の力ではくすぐったさしかおぼえない。

「だから、どしたの」

「なんか、さびしそう」

「そんなことないよ」


 二人でこっそりと外に飛び出せば、まだ暗い空の下において、足元は一面白で埋め尽くされており、空からも白い花がはらはらと降り注いでいる最中だった。

「ハルキ、こういう雪、好きでしょ」

 家から大分離れたところで冬香はそう断言する。

「別に、普通だと思うけど、なんでそう思うんだ」

 よくわからず尋ね返せば、同い年の姉は、白いニット帽、白いコート、白いマフラーで完全装備した姿でくるりと踵を返して見せてから、ほぼ同じ背丈の春季の顔を覗きこむ。

「だって、春季の好きな桜が散るのに似てるでしょ」

「そういうことかぁ」

 よりにもよって散るところに注目するあたり、我が姉ながら独特な考え方をする。春季はそんな風なことをやや苦々しく思った。

「それとも、あんまり好きじゃないの」

「いいや。割と好きだと思うよ」

 少なくとも去年の頭くらいまでは、冬香のこの認識はきわめて正しかったといえる。しかし今は、いずれ跡形もなく溶けてしまうこの白い桜の花弁に対して、どことなく複雑な感情を抱かざるをえなかった。

「フユ、なんか悪いこと言っちゃった」

 春季の感情が顔だとか言い方とか声の震え方で伝わったのか。途端に姉は不安げに瞬きをはじめる。

「そんなことないよ」

「けど」

「フユ姉が悪いわけじゃないよ」

 あくまでもいまだに心の中で整理をつけられていない自らが悪い。心の中で自らに言い聞かせつつ笑みを形作る。少なくとも、春から大抵の時はいつも通りに時間が進み去年までと変わらず過ごせていたのだから、今もまたいつも通りに振る舞えるはずだった。

「無理しなくて、いいから」

 どこか悔しげな冬香の声に、春季はへらへらとしながら、無理なんてしてないよ、と口にする。もう、大丈夫。そのはずだった。

 直後に、姉の白い手袋に包まれた両手が伸びてきて弟の頬挟む。

「無理、しないの」

 冬香は言い聞かせるような声に、春季は黙りこむほかない。姉は普段は何事にも興味なさそうな目に怒りだとかやるせなさのようなものを浮かびあがらせ、まっすぐに弟を睨みつける。こうして見ると、おれとフユ姉の顔は本当に似てるんだな。他人事のように春季は思った。

「お願いだから、フユの前で無理しないで」

 訴えかけてくる冬香の目を見た春季は、やはり勝てないな、と諦めにも似たような感情を抱く。生まれた時はほとんど同じなのにもかかわらず、お腹から出てきた順番の違いゆえに、姉は姉だということが規定され、春季もまたほとんど抵抗なくそのことを受けいれてしまっている。あらためて考えてみると、姉が姉だということが少し不思議だった。

「悪かったよ。去年は色々あったからさ」

 頭の後ろを掻きながらそう応じてから、そう言えば年が明けたばかりだったなと思い出す。大晦日はそばを食べてからすぐに寝てしまったことや、少しばかり長い休日によって行事や日にちの感覚が狂っていたのかもしれない。

「言い忘れてたけどあけましておめでとう」

 付け加えるように口にすると、冬香は頬を膨らます。

「遅い」

 そう告げてから、小さく、あけましておめでと、と付け加えた。同い年の姉の声を耳にして、気付いてたんだったらさっさと言ってくれればいいのに、と思いながらも、そもそも大晦日だとか元日を忘れるという春季のありえなさも大概だったので、黙りこむ。

「じゃあ、今日は」

 同時に目的地がなんとなく理解した春季が口を開こうとしたところで、冬香が自らの唇に手袋に包まれた人差し指をつける。

「ついてからのお楽しみ、だから」

 どうやら、口にしないで欲しいらしい。その意図に従い頷きつつも、夜明け前の雪に覆われた上り坂を懐中電灯で照らしながら慎重に進んでいく。こころなしか徐々に空が明るんでいっているように見えた。

「今年はいい年になるといいな」

 並んで歩く冬香に話しかけると、無言で頷かれる。直後に姉は漏らした白い息を手袋に包まれた両の手で受け止めた。

「みんなにとって、いい年であるといいな」

 言い聞かせるようにして呟く春季。答えは返ってこない。雪ははらはらと降り続け、まだまだ止む気配はなく、不意に飛びこんできた白い花の冷たさに思わず目を閉じる。

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