二
「だーれだ」
「姉ちゃん」
「姉ちゃんだけじゃわかんないよ」
「おれが姉ちゃんって呼ぶのは、夏姉ちゃんだけじゃん」
春季がそこまで口にすると、つまんないの、と夏子が目の前に回りこんでくる。
「あんただって、呼び間違えとかあるかもしれないじゃん。それにもしかしたら、気分転換に、秋穂や冬香を姉ちゃんって呼びたくなるかもしれないし」
一番年上の姉の文句に、春季は縁側から飛び出している足をぶらつかせ、ありえないって、と主張する。
「おれの姉ちゃんは姉ちゃんだけだから」
「へぇ~、なかなか嬉しいこと言ってくれるじゃん」
言葉通りの喜びを表に出した直後、春季は夏子の気配が隣にやってくるのを感じた。それと同時に、脇に置いておいた皿の上に乗ったスイカを手にとる。
「美味そうなものを食ってるじゃん」
「いいだろ」
内心ではたいして美味いとは思ってなかったものの、なんとはなしに自慢してみせる。
「あたしにも一口ちょうだいよ」
案の定、ねだってくる姉。
「姉ちゃんの分もあるだろ」
「たしかにあたしの分もあるけど、残したままこっちに来ちゃったから。それにこっちからもらった方が早いし」
だから、ちょうだいよ。そう訴えかけてくる一番上の姉の前でスイカを食べる速度をあげる。ああ、あたしのスイカがぁ。そんな悲鳴に、姉ちゃんのじゃないだろ、と心の中で突っこみつつも、素早く食していき、ついにはほぼほぼ皮だけになる。
「いつから、あんたはそんなに意地悪になったのさ」
ぼやく、夏子に、春季は、
「別に。おれはおれの分を食っただけだよ」
素っ気なく応じてから、眼前の庭を見やる。視線の先には背の高い向日葵がいくつか重なって立っていた。その隙間から、コンクリート塀を背にして生える一本の木に止まっているとおぼしきアブラゼミの声が降りそそいでくる。
「夏だねぇ」
しみじみと呟く夏子に、春季は顎をわずかに下に動かすことで応じつつも視線は動かさない。少なくとも表面上、庭は春季が子供の頃からさほど変わらない風景を保っている。
放っておくと荒れ放題になるらしいので、誰かしらが庭を密かに整えているはずだ。誰だろうか。そんな風に、頭の中で数名のそれらしい該当者を絞り込んでいく。
「そう言えば、ハルと最初に会ったのもここだったねぇ」
懐かしげな様子の夏子に、
「そうだっけ」
とぼけ気味に応じつつも春季の頭の中に鮮やかにその日の光景が浮かんでいる。
「おぼえてない。あたしが久しぶりにこの家に帰ってきたら、あんたが今日みたいに縁側でつまらなさそうに足をぶらぶらさせてたんだけど」
「そんなこともあったっけ」
ぼんやりと答えながら、春季の眼差しは太陽をかすめた。
日差しを背にしていたのは、麦藁帽子を被った女の子。白い半袖のシャツに濃い緑色の短パンを合わせていた当時の夏子を見て、春季は呆然としていた。なにを思っていたかまではよくおぼえていないものの、誰だろう、と不思議に思っていたに違いない。
「実家に帰るって話は聞いてたけど、他の子供がいるなんて話は教えてもらってなかったから、最初は誰だこいつ、って思ったよ。ただ、まあ、なんていうの。ハルがあんまりにもかたくなってかわいそうだったから」
「なってない」
「なってたんだよ。おぼえてないならわかんないでしょ。とにかく話を戻すと、自分よりも年下のガキを苛めるの格好悪い気がしたから、どうしようかな、って考えてから、とりあえずまあ笑った方がいいかな、って」
あれは後の夏子にも通じる何の衒いもない健康的な笑いだったと記憶している。それゆえに白い歯を覗かせたまだ姉だとわかっていない女の子への警戒は緩めたのだろう。
「そしたら、あんたも笑い返してくれて」
「そんなことして」
「してたの。さっきから、おぼえてないことになってるのに、口を挟まない」
口を閉じる春季。夏子、それでねそれでね、と続ける。
「その時のあんたのかわいかったことといったら。もうたまんなかったね」
満足げな一番年上の姉。それを春季はちっとも嬉しくない、と思いながらも、昔から何度言ってもかわいい扱いは直らなかったので、今後もこのままだろうなと諦め、皿の上へと視線を落とす。ほとんど果肉が残っていないスイカの皮が乗った皿の上には、一匹の蟻がのたりのたりとたかっていた。もしかしたら、そのうちもう何匹か集まってくるかもしれない。加えて体中いたるところから汗がたらたらと流れだしているのもあり、さっさと皿を持って引きあげるべきかなと考えはじめていたがどこか離れがたさも感じている。
「その後すぐ母さんからあんたを紹介されてからは今日まで一緒に過ごしてきたけどハルはずっとずっとかわいいままだったよ。最近はちょっと生意気だったけど」
「ほっとけって」
「いいね。そういうのは大好物。かわいいからどんどん言ってって。」
愉快そうな笑い。春季の胸は複雑な気分にまみれていたものの、夏姉ちゃんとともにいるというのはこういうことだと身内として慣れ親しんでいたのもあり、小さく溜め息をつき天を仰ぐ。どこまでも広がる青空にいくつかの小さな雲がぽつりぽつりと浮かんでいるのをみつけてから、日差しの眩しさに目を閉じた。
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