1 ロザリオ(2)
背後にいた幹部らが、眉をひそめて声を洩らした。ナルオミはそれを肩越しに睨みつけて、ため息をついた。
「おれひとりを押さえたところで、カイトが怯むはずがない。カイトはおれの命など惜しまない」
「おい、ナルオミ。おまえ、何を言ってる」
ナルオミのすぐ後ろにいた白髪の男が、席を立った。古くから先代に仕えていた男で、カイトの世話役を務めたこともある。当然、カイト派の核として皆をまとめていた。
「何って、それはおれが訊きたい。ハセベさん、この茶番は何です。あなたはカイトを裏切るつもりか」
「まさか。カイトに裏切られたのはこちらだ。しかも茶番だと。いいかナルオミ、すべては終わったことなんだ。おまえは次第を見ていたはずだろう」
ハセベに肩を掴まれ、体を揺さぶられる。空っぽの体がカラコロと鳴る。
「次第。いったい、なんの……」
「今朝のことを覚えていないのか」
「……けさ」
繰り返すだけのナルオミの口振りに、ハセベは顔を曇らせた。それまで二人のやり取りを眺めていた他の幹部も、思い思いに口をひらき始めた。
「さすがカイトの右腕だけあって、とぼけるのがうまい」
「かわいそうにな。どこまでもカイトに味方するか」
「時流が読めないのは、馬鹿の証拠よ」
「誰だ、奴を忠臣なんて言った奴は。ただの愚かな男じゃないか」
「それだけよく調教された犬ということさ」
「だがあれはナルオミの最大の武器だ。裏切らない、その身を尽くす……」
「は! 尽くした結果がこれだぜ」
「もしやナルオミがカイトを――」
一人の男が、口にしかけた言葉をとっさに呑み込んだ。しかしその続きはもう皆の心に聞こえていた。
――ナルオミがカイトを殺したのでは。
アキと呼ばれた少年が、突然声を上げて笑った。
「妄想、結構。でもぼくは本当のことが知りたい」
男たちは唖然してとアキを振り返った。だが本当のことにいかほどの価値があるのかとは誰も問わない。
アキは口元を手で押さえながら、目を細める。
「ナルオミ。この椅子は、ついさっきぼくのものになった。おまえなら、経緯を話さなくても理解してくれると思ったんだけど」
「期待に沿えず……」
「大丈夫、きっとすぐに理解する」
アキは置いてあった包みから銃を取り出し、ナルオミの足元に投げた。銃は床の上をすべり、立ちつくすナルオミの靴に当たってとまった。
見覚えのある銃だ。カイトが好んで使っていた、銃身が長めの回転式だ。その黒さは金属固有のものではない。内から這い出てくるものだ。覗いても見えない底から、深い闇がわき出てくる。
ナルオミはとっさに目を逸らした。
これは、見てはいけない。知ってはいけない。
「ナルオミ、現実を見ろ」
アキが椅子から立ち、ナルオミの襟を掴んだ。強く引っ張られて、膝をつく。
「よく見るんだ」
言われて、すぐそばに銃を見つめる。光を跳ね返した部分が白く欠けて、盲目の夜が明けていく。無理やりねじ込まれた朝の前では、ナルオミなど無力だった。
「あ……、あ」
空っぽだった体の中に、濁流が流れ込む。色や形やにおいや音や、たった一つの情景に対して、抱えきれないほどの心象がナルオミを襲う。
「ああぁ!」
押し寄せる激流を受けとめきれず、ナルオミは叫びをあげた。体が中からはじけそうになって激しくもがく。それを周りにいた男たちが押さえ込んだ。ナルオミは頬を床に押しつけられ、視線の先に銃を見つめた。
そうだ。カイトは死んだのだ。
闇に溶け込みそうな銃を握り、疲れ切った頬を窓硝子に映して、二度と光に染まることなく、カイトはたった一つの銃弾で逝ってしまった。
縄の食い込んだ手首が今さら痛む。ここ数日、寝食を惜しんだ体が鉛のように重く感じられた。
「カイト」
ナルオミの切れ長の目から涙がこぼれた。だが、葉の上に残った雨粒が風に吹かれて落ちるように、ただそれきりだった。
カイトの死が悲しかった。生きている自分が切なかった。ともに在ることをあんなにも願っていたのに、また捨てられた。なぜ自分ばかりが生き残るのか。なぜいつまでも誰かのものになれないのか。
「うわさどおりだな、ナルオミ。おまえのカイトへの忠誠は、すでに腹心の域を超えている」
アキはナルオミの視線の先に腰をおろし、あぐらを組んだ。背をかがめてナルオミを覗きこむ。舞い散る粉雪のように、色のない凛とした香りがふわりと伝う。
ナルオミは奥歯を鳴らしてアキを睨みつけた。
「あなたが殺した。おれのカイトを、あなたが」
「違う。奴が死んだのは奴の弱さのせいだ」
「カイトを愚弄する者は殺す」
「だったらまずはおまえが死ぬべきだな、ナルオミ」
「なにを――」
「お前だって、心のどこかでカイトに絶望していたんだろう」
アキは膝に頬杖をついて続けた。
「この一ヶ月、カイトの動きはそれこそ煙草の本数に至るまで追わせてもらった。だがカイトを追うほど耳に入ってくるのは、ナルオミ、おまえのことばかりだ。ぼくは無鉄砲にここへ来たわけじゃない。それなりの準備をして来た。その意味が、賢明なおまえにならわかるはずだ」
「準備……」
「先代はぼくの母親に随分とご執心だったから、組織との繋がりは作りやすかった。ここにいるほとんどとは、先代の生前から顔見知りだよ」
場にそぐわない爽やかな笑みを見せて、アキはハセベを見遣った。ハセベは視線を受けて黙り込む。ナルオミは息を呑んだ。
「そんな、まさか……」
「カイトはただの血筋、先代の息子、それだけの存在だ。カイトをカイトたらしめていたのはおまえだよ、ナルオミ」
アキの白く細い指が、黒く沈んだ銃を取る。
「おまえを始末して、ぼくが組織の総統になる」
銃口がナルオミのこめかみに当てられる。いまだ押さえつけられたままのナルオミに逃れるすべはない。
アキの指に力が入る。ナルオミはそっと目を閉じた。
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