1 ロザリオ(3)
終わることに怖れはない。はじめから、ここには何もないのだ。せめてカイトの銃で逝けるなら、思い残すことはない。
ゆく先にカイトはいるだろうか。
否、カイトでなくてもいい。誰でもいい。いつまでもナルオミをそこへ縛りつけてくれる誰か、所有してくれる誰かはいるだろうか。
運命は定められたもの、逆らうことはできない。かつてそう言った女の声が思い出されて、ナルオミはささやかな希望すら奪われる。
失い続けるよう、定められた運命なのだろうか。だとしたら、ナルオミはあちらへ行ったとしても、またそこでカイトを失うことになるのだろう。カイトだけではない。これまで失ってきたものを、またはじめから失っていくのだろう。
ただ、必要とされていたいだけなのだ。ここにいるための赦しが欲しいだけで、他に望みなどありはしないのに。
銃を介してアキの鼓動が伝わってくるようだった。乱れのない、永遠を感じさせるリズムだった。ナルオミは薄ぼんやりとした暗闇の中で、魂を委ねた。
もし、彼のために生きられたなら……。
不意にアキがため息をつき、規則的だった鼓動が途切れた。目を開けると、もうそこに銃はなかった。
「なぜ……」
「殺すつもりなら、とうにしている」
「……そうか。そうだな」
ナルオミは苦笑をもらした。安堵とも落胆ともつかない倦怠感が首筋に残る。余韻を感じる暇もなく、押さえられていた背中が軽くなった。血の滞った上半身を、古くなった蝶番のように軋ませながら起こす。
「ナルオミ、ぼくの右腕になれ」
あまりにも唐突な命令に、ナルオミは返す言葉を持たなかった。
銃を持ったままアキが快活に笑った。途端に少年らしい。
「そこまで驚かなくてもいいだろう。使えるものは何だって使う主義なんだ。それがたとえ、跡目争いをした男の片腕だとしてもな」
「おれがカイトの仇討ちをするとは考えないのか」
「考えないわけじゃない。だが、させない」
手の中の銃を撫でて、アキは囁くように言い添えた。
「おまえの絶望は、ぼくが払う」
一片の曇りもない。臆するところもない。力強く、澄んだ声だった。だが、だからこそ現実感に欠けた。
理想はいつだって美しいものだった。美しいからこそ憧れるが、長じるにつれて理想がいかに罪深いものであるかを思い知ることになる。
アキの囁きは理想だ。たとえそれがアキの本心でも、ナルオミはその美しさに目が眩むほど無垢ではなかった。
ナルオミは小さく首を振って、目にかかる前髪を嫌った。
「あなたに何がわかる」
「わかるさ。置いていかれる者の孤独は」
慰めるでもなく、知った振りをするでもなく、アキはただ静かに微笑む。少年にしては長い睫毛が、眼差しに深い影を落とす。ささやかな、だが確かな拒絶だった。ナルオミにはわかる。それは彼の傷なのだと。
この状況で思わず目を伏せるような傷とは、何であろうか。何もかもを手にしているはずの彼の喪失とは、一体何であろうか。ナルオミの胸に湧いた疑問は、すぐに興味へと変わった。
「逆らえば、ここで死ぬだけでしょう?」
「カイトに合わせる顔がないと言うなら、無理強いはしない」
アキはナルオミに銃を差し出した。
理想を掲げる無邪気さはない。一人で生きるほどの強さもない。だが、そうしようとする人を支える力なら、ここにある。
求められれば、無敵になれる。
「わかりました。アキさん、あなたに従いましょう」
ナルオミの答えにアキは一瞬驚いたようだったが、すぐに目を細めた。
「ありがとう、ナルオミ」
場違いなほど爽やかな笑顔も、アキならば許された。彼は殺伐とした世界に落ちた、ひとしずくの色彩だ。
光を従え、闇を呑みこむ白い色彩。それがアキだった。
なるほど呑みこまれるはずだ、ナルオミは心の中で呟いた。
ハセベがアキの目顔を受けて、ナルオミの手枷を解いた。ようやく自由になった腕を動かそうにも、ままならない。体の横にぶら下がった腕を見おろして苦笑する。目に見えるだけで自分の体である感触がない。血の気の失せた指先は、くすんだ象牙のようだった。
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