第13話 憎悪
今日は4時間目と5時間目を潰しての合唱コンクールだった。
つまり、この時間に下校している生徒はオレ位だ。
体育館のあの場所にいたのは間違いなく「元」父親だった。
離婚の訳なんて知らない。オレにとってはある日突然父親がいなくなったという事だけが事実で、それが全てなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
こんな時間だ。学生服で歩くのはオレ位なもので、すれ違う人たちも怪訝な表情で見てくる。どうせ、こんな時間になんで?とか、そういう事だろう。不良だから?何か良からぬ事でもするんでは?そういう目だ。その度にその相手を睨みつける。
クソが。気にいらねぇ。
憎い。
「元」父親のあの笑顔。
幸せそのものの家族。
別に戻ってほしいなんて事は思わない。だが。
全てを破壊したい。
憎い。憎い。憎い。
喧嘩を売ってくる他校の不良どもにも感じた事のない種類の怒りだ。
せめてオレに別れの言葉をくれていたら?こんな気持ちになる事なんてなかったのではないか?
いや、そんなモノいらない。何の前触れもなくオレと母親を捨てた男だ。どんなに立派な父親だったとしても、結局その程度の男だったのだ。
この裏切りは許せない。
その感情はオレの中で禍々しい狂気に変わっていく。
ドス黒い闇は、やがて心の全てを飲み込んでしまった。
景色が歪む。
この怒りの矛先をどこに向ければいいのか。
気がつくとオレは人気のない路地裏に迷い込んでいた。あまりの怒りにどこをどう歩いてきたのかわからない。
地元はどこもオレの庭だ。知らない場所なんてない。
だかしかし、ここは?
すると次の瞬間、目の前の景色が突然色をなくした。
なんだ?何が起こった?
色をなくした世界。人もいない。空は灰色に染まり、雲も動きが止まっている。
まるでビデオの一時停止だ。
視線を正面に戻すとオレの背後に気配を感じた。気配というよりこれは・・・殺気?
確実に誰かが背後にいる。
しかしオレは動けない。この距離まで近づくその気配を気付けなかった?
あり得ない。
真後ろにいる「誰か」は動かずにいる。
振り向く?
振り向いてこの拳を打ち抜くか?
しかしその只ならぬ気配に縛られてオレは硬直してしまった。
握り込んだ拳が汗ばんでいる。
やるしかない。
そう覚悟を決めた次の瞬間、その気配の主の声がした。
『あなたがワタシなのね。』
背筋が凍る。
今までこんな恐怖は感じた事がない。音で聞こえる声とは明らかに異質の、直接頭に響く声。この世のモノではないという事が直感でわかる。
そして声の主は女だ。
視線を下に落とす。振り向かずに相手を確認しようと思ったのだ。
僅かに足元が見える。黒いブーツのような靴を履いている。その右足のさらに横。なんだ?何か杖のような物を持っているのか?
畜生。武器なんか持っていやがる。
しかし相手は女だ。臆するな。
一歩だ。一歩前に踏み込んで、振り向き様に相手の肩を掌底。突き放してその面を拝んでやる。
やるぞ。
そう思った次の瞬間、振り向いたオレの目に飛び込んできたのは深くフードをかぶってマントのような服を着た「女の子」だった。フードでその表情はよく見えない。しかし、不気味にも口元は微笑んでいるように見えた。そして、その手に持っていた物は大きな刃のついた鎌だった。
あまりのその武器の恐ろしさと不気味さに、オレは「死」を意識した。突き飛ばす事などとても出来ない。
慌てて逃げようと試みるが足がもつれてしまう。オレは尻もちをつくような形で道に転がってしまった。
逃げられない。そう感じた。
確実にここで殺される。無様だ。あまりの恐怖と情けなさで涙が出てくる。
さっきまでの怒りなど、もはや何処にいったのかわからない。
只々怯えるオレに、その女の子が一歩近づいた。
そしてまた声が頭の中に響く。
『あなたの魂魄こんぱくは面白いのね。その憎しみの正体はなに?』
何を言ってるんだ?わからない。
『あなたの憎しみはあまりに強く、そして醜い。でも、だからこそ面白い。興味があるの。ワタシに見せて。』
何を言っているのか全くわからない。
とにかく助けを呼ばなければ・・・。そう思って叫ぼうとするがあまりの恐怖に声が出せない。いや、むしろ声・が・出・な・い・⁉
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!
オレは生まれて初めて気絶した。
『ワタシはトリカブト。あなたはワタシの次の器よ。』
意識が途絶えるその瞬間、遠くで微かに聞こえた気がした。
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